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人は、自ら行使する支配に束縛される。支配者は失うことを恐れるから、支配されている側よりも、よ りいっそう支配に束縛されるのである。支配される側は支配権の喪失を恐れないが、支配者は支配権の喪 失を恐れる。したがって、支配者の側の方が、自ら行使する支配に束縛されるのである。貧乏人は貧乏を 恐れないが(既に貧乏だから)、金持ちは貧乏を恐れるのと同じ理屈である。 ヘーゲルは初期の神学論文において、ユダヤ教を「不幸な宗教」と呼んだ。なぜなら、ユダヤ教 の神は支配する神であり、したがって非常に真摯だからである。真摯な宗教は、なぜ不幸な宗教なのか? ヘーゲルによれば、幸福とは戯れである。遊びである。不幸とは、真摯さである。ユダヤ教の神に欠けて いるのは、他のようにもありえるという可能性である。つまり、戯れの可能性に欠けているのである。だ から真摯なのだ。 ヘーゲルは、ユダヤ教の神は戯れに欠けている、遊びに欠けていると述べる。つまり、他のようにもあ りえるという可能性に欠けている。なぜか?それは、その神は支配する神だからだ。支配する神は、自ら 行使する支配に束縛される。その神は、支配を手放すことができない。他のようにもありえるという可能 性に欠けているのだ。 中国がチベット問題で世界中に醜態をさらした。最近では、日本からの援助の自衛隊機でさえ、国内の 「愛国的批判」を恐れて辞退しなければならなかった。ヘーゲル的な意味で云えば、中国とは不幸な国で ある。なぜなら、中国には戯れが欠けている。遊べない国・中国である。中国には、他のようにもありえ ている。しかし、その支配に最も拘束されているのは、中国自身なのだ。 チベットや日本にあって中国に欠けているもの、それは戯れる自由である。支配を手放せない中国は、 今日も真摯である。聖火防衛や地震からの復興努力・・・、テレビに登場する中国人はなんと真摯に見え ることか・・・。真剣そのものである。しかし、それが不幸な真摯にしか見えないのは、小生だけであろう か?支配することをやめれないのは、支配に支配されているからではないだろうか? それに比べて、日本の国会のおちゃらけていること・・・。「遊んでいるのか」、と疑いたくなるが、じ っさい遊んでいるのだろう。しかし、そこが幸せなところでもあるのだ。・・・、でももう少し真面目に やれよ!
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1945年までの日本は戦争に狂っていた、経済は戦争によって推移していてその最大の被害者は中国だった。日本は中国の殖民地化を計りうまくいかないと見ると欧米に宣戦布告して窮地を脱出しようとした。当時の日本人は狂っていた、正常な判断ができず戦争こそ日本が突き進むべき道だと勘違いしていた。当時から中国は日本に勝っていた、蒋介石は欧米に接近し日本を潰してくれるように頼んでいた。
戦後の日本はふぬけのようにアメリカ一辺倒になり国ではなくなった、国民も政治家も無責任でお互いに国を売ることしか考えない、その昔中国を植民地化しようとしたことを忘れて悪口雑言をぶつけるていたらく振りを私は大笑いして見ている。「過ぎたるは及ばざるごとし」中国の格言は今に生きている。日本人はふんどしを締めなおして国土の建設に励め。
2008/6/2(月) 午前 8:53