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「俺の方が強い」−。何気なく口にした一言が凄惨な“集団リンチ”に発展した。兵庫県伊丹市で今月4日、同市立中学2年の男子生徒(14)が、同じ中学3年の男子生徒(15)ら複数の中学生から殴るけるなどの暴行を受け、17日朝、死亡した。被害生徒は事件から10日以上経った今も危険な状態が続いている。なぜ暴行がここまでエスカレートしてしまったのか。関係者の衝撃は計り知れない(産経)。 まぁ、驚く点があるとすれば、以下の点でしょう。 (続き)しかし、3年生が優勢となり、馬乗りになって殴るなど一方的な暴行が1時間近く続き、被害生徒がふらつくようになると、傍観していた生徒たちも周辺から暴行に加わり、けんかを続けるように要求。 ジャッキー・チェンの格闘シーンも比較的長いですが、一時間も一方的に殴るケンカなんて、私 は見たこともありません。ここでお決まりの専門家が登場するのですが、少年の非行問題などに詳しい関 西学院大法学部の鮎川潤教授(犯罪学)によれば、 (続き)「年少少年(中学生〜高校生低学年)は年長少年(18〜19歳)と比べ、法知識や経験が薄いため、どうしてもけんかがエスカレートするケースが多い」と中学生特有の心理が背景にあったとの見解を示す。 中学生特有の心理・・・・・???私が通っていた中学校は当時、熊本県でも有数の極悪校でし て、そこに不幸にも私は沖縄から転向してきたんですが、ケンカなんて日常茶飯事でした。でも、一時間 も殴り続ける「中学生特有の心理」なんてお目にかかったことはありません。パンチが10発以上交差し たケンカは見たことがありません。だいたい、この程度で結果が決まったものでした。 私の中学校では、今よりケンカの件数は多かったと思いますが、「エスカレートしたケース」は ありませんでした。犬や狼ではありませんが、ある程度勝敗がつけば、そこですぐに終わったものです。 周囲も頃合を見計らって、「ここで決まった!」と判断がつけばすぐに割って入ったものでした。 かわいそうに最近の中学生は安心してケンカもできないんですね。下手したら殺されるんですから。振 り返れば、当時はどんなケンカも安心してできました。相手が徹底して殴り続けない保証と、周囲がタイ ミングを計って介入することが、ケンカする前に予想できましたから。 最近、フランス精神分析の泰斗・ジャック・ラカンについてのコースを受講しているのですが、それに よれば子供が成熟するためには「父の名」による去勢が不可欠だそうです。体罰も許されないよう な社会は瑞穂さんが理想とする社会でしょうけど、「去勢」されていない子供は、相手の痛みも想 像できない怪物になってしまうんですね。
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よく識者たちが政治家たちに求めるのは、「国家像を提示して欲しい」ということです。言わん とすることはわかるのですが、日々の政務に追われる政治家たちに、国家像まで要求するのは過大かもし れません。むしろ識者たちこそ、国家像を政治家に提案すべきだと思います。 のことです。そして「労働こそ、生活に消費されるあらゆる必需品と有用な物質を本源的に供給する基金 であり・・・」とされ、労働力が国富の源泉であるとしました。マルクスも同じ考えです。 技術革新と良質の労働力による商品取引の増大です。これを産業資本主義といいます。 アメリカとイギリスは、20世紀後半からアダム・スミスの定義を捨て去ったように思われます。まだ 部分的かもしれませんが、英米にとって国富とはマネーです。製造業が減少した英米は、流入する 投資(マネー)によって経済を維持しています。これをポスト産業資本主義といいます。 実際、アメリカには実体経済をはるかに超えるマネーが流れ込んで経済が潤ったわけですが、それが世 界同時不況の原因にもなりました。とはいえ、アメリカの消費を支えているのは流入するマネーであり、 アメリカの消費のおかげで日本の製造業は支えられているわけです(中国も)。世界を駆け回るマネーを 無視して、グローバル資本主義は成り立ちません。 では、国富とは何か?製造される商品なのか、マネーなのか?日本は古典主義のように労働力を国富と すべきなのか、それとも英米のようにマネーを国富とすべきなのか?それによって、国家像がまったく変 わってくるわけです。 産業資本主義は、販売価格から生産コストを差し引いた差異によって利潤を得ますので、中国やインド のような圧倒的な人口と安い労働力を持つ国には勝てないわけです。産業資本主義流の国富を追求する限 り、日本は、中国やインドに労働力も市場も依存して生きていくことになるでしょう。 私も何を国富とすべきか、今のところわかりません。国富とは何でしょうか?なんとも難しい問題で す。
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