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よく識者たちが政治家たちに求めるのは、「国家像を提示して欲しい」ということです。言わん とすることはわかるのですが、日々の政務に追われる政治家たちに、国家像まで要求するのは過大かもし れません。むしろ識者たちこそ、国家像を政治家に提案すべきだと思います。 のことです。そして「労働こそ、生活に消費されるあらゆる必需品と有用な物質を本源的に供給する基金 であり・・・」とされ、労働力が国富の源泉であるとしました。マルクスも同じ考えです。 技術革新と良質の労働力による商品取引の増大です。これを産業資本主義といいます。 アメリカとイギリスは、20世紀後半からアダム・スミスの定義を捨て去ったように思われます。まだ 部分的かもしれませんが、英米にとって国富とはマネーです。製造業が減少した英米は、流入する 投資(マネー)によって経済を維持しています。これをポスト産業資本主義といいます。 実際、アメリカには実体経済をはるかに超えるマネーが流れ込んで経済が潤ったわけですが、それが世 界同時不況の原因にもなりました。とはいえ、アメリカの消費を支えているのは流入するマネーであり、 アメリカの消費のおかげで日本の製造業は支えられているわけです(中国も)。世界を駆け回るマネーを 無視して、グローバル資本主義は成り立ちません。 では、国富とは何か?製造される商品なのか、マネーなのか?日本は古典主義のように労働力を国富と すべきなのか、それとも英米のようにマネーを国富とすべきなのか?それによって、国家像がまったく変 わってくるわけです。 産業資本主義は、販売価格から生産コストを差し引いた差異によって利潤を得ますので、中国やインド のような圧倒的な人口と安い労働力を持つ国には勝てないわけです。産業資本主義流の国富を追求する限 り、日本は、中国やインドに労働力も市場も依存して生きていくことになるでしょう。 私も何を国富とすべきか、今のところわかりません。国富とは何でしょうか?なんとも難しい問題で す。
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問題意識の背景
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