悪魔的なもの

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悪魔は幽霊ではないのだ
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 最近、無差別殺傷事件が頻発している。基本的に、無差別殺人事件は流行る。つまり1つ起きると、そ

れを模倣しようとする人間が必ず後に続く。内田樹氏は、「連続殺人は模倣犯罪だ」と述べたが、

卓見である。


 ここから、昨今の無差別殺傷事件の犯人像を描ける。彼らは特定の個人を狙わない。つまり、動機が個

人的人間関係からは発生していないのだ。動機が特定の個人に向けられていないということから、彼らの

動機が推測できる。おそらく彼らの「動機」は、動機ですらないだろう。彼らを無差別殺人に駆り立てた

のは、おそらく純粋な憎悪だろう


 特定の個人を殺す場合、そこには特定の恨み、特定の欲望、特定の怒り、特定の利益があるはずであ

る。つまり、犯罪に個性がある。しかし、無差別殺傷事件が本質的に模倣的だとすれば、そこには

個性がない。つまり個人の臭いがしない。「むしゃくしゃしたから殺した」、「誰でも良かった」と犯人

は語ったそうだが、そうとしか供述しようがないだろう。


 犯人が抱いているのが特定の憎悪ではなく、純粋な憎悪だから、その憎悪を引き受けるはずの個人がいない。

彼の憎悪とは、個人的引き取り手のいない憎悪なのだ。

したがって、その憎悪は特定の方向と形式に欠けている。つまり、その憎悪を向ける特定の個人がいない

ので、憎悪の特定の表現形式も存在しないのだ。


 憎悪の表現形式が犯人に内在しないということは、その憎悪は眠っていることになる。形式を得

ない限り、何も存在できない。憎悪の表現形式を得る以前の犯人は、普通の人間にしか見えないだろう。

憎悪の片鱗も感じさせないだろう。彼の憎悪はマグマのようにうごめいているが、それを表現する形式を

自己創造できないのである。


 したがって、犯人の純粋な憎悪は、外部から形式を得ることになる。すなわち、模倣であ

る。外部から表現形式を受け取った憎悪は、眠りから覚めて突如として噴出する。しかし、他人の物まね

で・・・。この手の犯罪者の殺傷形式が、極めて凡庸で没個性的なのは、憎悪の表現形式が個性から内発

的に生まれたものではなく、マスコミからの聞きかじりだからだろう。


悪魔的なものとは、没個性的なものである。宗教史を概観すれば、悪魔像が数千年変わらず凡庸なの

は、悪魔的形式が個性から生まれる内発的形式ではなく、外発的に模倣されるものだからだろう。悪霊憑

依現象やエクソシストで観察される「ウギャ〜!」という表現形式が笑えるほどワンパターンなのも、そ

のへんに理由があるのか・・・・?
 環境保護や慈善ボランティアや人権活動など、それ自体では有益な活動がある。それに携わる多くの

方々は善意の人間であり、正常な普通人である。ところが、ある種の少数の人々は、恐るべき方々

である。この少数の方々との出会いは、小生に少しばかり人間への洞察を与えてくれたので、ここで記し

ておきたい。


 特筆すべき点が2つある。まず第一に、人道的活動に最も熱心に携わっている方々の中には、少数だが

最も緊急に救済を必要とする方々がいる。つまり貧しく弱き者を救おうとしている当の本人こそ、

もっとも救いが必要な種類の人間である場合が多々ある。



 この人たちは、同情心に異常に富み、極めて善意の人間である。ヒューマニストという言葉がピッタリ

当てはまる。しかし、その印象の下に、別の顔を持っている。それは異常な頑固さである。この

方々は人道援助に熱心である。しかし、自分が最善と信じるやり方においてのみである。この人た

ちは、自分の善意を絶対に譲らない。自分の善意に関して妥協しない。

逆説的だが、善意において頑迷なほど自己中心的なのだ。



 この種の人たちは、いわゆる人格障害、あるいはボーダーラインに分類される人たちだろう。極めて知

的であり、学歴も高く、多くの場合、社会的に地位の高い両親を持つ。厳格な家庭で育った人が多かっ

た。


 本人は100%主観的には善意の善人である。しかし、その頑固さと狭量さと異常なこだわりが1つの

ことを暗示している。

彼らが正義と善意のボランティアに熱心なのは、自分が壊れないためである。

もちろん意識的にそう意図しているわけではない。本人たちは気づいていない。


 小生は仕事柄、この種の人たちに話を持ちかけられることが多い。彼らは常に世界の苦しみに共感して

生きている。したがって、苦悩の人たちである。彼らは常に他者の苦悩に同情するので、苦しみが去る日

はない。しかし、不思議なことに、この人たちは自分について悩むことはない。これが第二に特筆すべき

点である。彼は常に苦しんでいる人のために悩む。しかし自分のためには悩まない。

彼が自分のことを悩まなくて済むのは、他者のためばかりに悩むからである。

しかし、ここに欺瞞がある。無意識だが、彼らは自分の真実の姿に悩まないですむために、他者を悩むの

である。


 彼らは小生に、いかにある人たちは絶体絶命の逆境にあるか、いかに大きな不幸が弱者を襲っている

か、について真剣に同情して悩んで話す。主観的にはウソはない。しかし、他者の苦悩に悩み、他者の苦

悩に同情しているとき、彼らは最も生き生きと輝いているのである。もちろん顔は沈み、声も涙声であ

る。しかし、目の奥は光り輝き、人生の充実感に溢れているのである。もしこの世から不幸がなくなった

ら、彼らは生きる気力を失うのではないかと心配するほどである。

この人たちは、他者の苦しみを食べて生きている。



 こういう人たちに接すると、しかも何時間も接すると、人間は激しく消耗する。「人間は・・」という

風に一般化してはいけないなぁ。訂正。小生は激しく消耗する。念を押すが、ボランティアや人道

活動に携わる多くの人たちは、こういう方ではない。しかし、ある少数の方々は・・・・。

悪霊の名を呼ぶ

 古代社会では、名前は生命に直結していた。悪霊は名前を知られたとき威力を奪われ、人間は悪魔に名

前を知られたとき魂を奪われたという。ちなみに、忍者は名前を明かしたときは、自ら命を絶ったそうだ

が、事実かどうかは知らない。


 個人や家庭、学校や社会に巣食う悪霊は、名前を明かされることを嫌う。というより、悪霊は名前を明

らかにされたとき、つまり正体が暴かれたとき、その威力も失っていまうのだ。キルケゴールが云うよう

に、悪魔的なものとは、沈黙するもの、自己を閉じるものである。名前が明らかにされた時、悪魔は沈黙

を解かねばならない。


 悪霊は交換を欲しない。人間生活は、交換によって成り立っている。つまりコミュニケーションによっ

て成り立っている。言葉を交換する、貨幣を交換する、愛を交換するなどなど・・・。悪霊は、交換の輪

の外に自分を置こうとする。悪霊は、意図的にコミュニケーションから疎外しようとする。


 私たちを支配する悪霊は、「たしかにそこに何かが存在するが、それが隠されたまま」である何かであ

る。人間関係が、いつも同じパターンで破滅する人がいる。何度幻滅してもダメ男と交際する女性、懲り

ずに新興宗教に騙される信者、繰り返して傷つけあうくせに離れようとしない家族など、いつも同じ失敗

を繰り返す反復強迫のことだ。あるいは、過度のアルコール依存、異常な性癖とかは、何かが自分を駆り

立てているのは確かなのに、その何かが隠されたままなのだ。矛盾した言い方だが、悪霊は常に秘密とし

て現れる。秘密が隠された物として、現れるのだ。


 したがって、悪霊の呪縛を解くためには、「沈黙としてだけ現れる何か」を明るみに出さねばならな

い。明るみに出すことによって、交換の対象にしなければならない。悪霊が怖れるのは、交換活動

に巻き込まれることである。つまりコミュニケーションに連れ戻されることを怖れる。コミュニケーショ

ンは、悪霊から威力を奪う。犬神家を襲う呪われた反復強迫は、一族の隠された秘密が暴かれてコミュニ

ケーションの対象になった時、呪縛の威力が奪われる。人間関係の反復強迫が支配力を失うのは、その隠

された原因(過去)が、自意識にのぼりコミュニケーションの対象になった時だ。自分の過去の恥や致命的

な弱さを告白できる人は、すでに悪霊の呪縛から解かれている。他者との言葉の交換に入った人は、悪霊

の支配の外に出ようとしている。


 新約聖書によれば、イエスは悪霊に呪縛された人に尋ねる、「名は何というのか?」。悪霊は答える、

「名はレギオン。大勢だから(マルコ5:9−10)」。勝負はここで決まった。名前を明かした途端、

悪霊は沈黙を破られ、その名前で語りかけられ、言葉の交換活動に巻き込まれる。


 個人の問題、家庭の問題、社会の問題は、そこに憑依する悪霊の名前が、明らかにされねばならない。

名前が明らかにされた途端、悪霊はその呪縛の力を緩めるのだ。もちろん、解決には時間がかかるだろ

う。しかし、悪霊は隠れたものではなくなり、白日の下にさらされて対話の過程に巻き込まれる。悪霊に

力があるのは、それが秘密のままである期間だけである。カウンセラーや精神科医、政治家や評論家の仕

事とは、悪霊をその名前で呼び出すことである。

沈黙で沈黙を破る

 キルケゴールは、『不安の概念』において、悪魔的なものを「善に対する不安」と定義している。一節

引用してみよう。

悪魔的なるものとは、自己を閉じ込めようと意欲するところの不自由性である(岩波文庫)

つまり、悪魔的なものは、自己の中に閉じこもることであり、したがって沈黙が特徴である。悪魔的なも

のは、交わりを欲しない。交わりに対する極度の不自由といってもいいだろう。オウム真理教の麻原彰晃

が、裁判の後期に、自分の弁護士にさえ口を開こうとせず、異常な沈黙の中に引きこもったことを思い出

すと、この点はなんとなく腑に落ちてしまう。


 キルケゴールは、このような閉じこもりに対抗する有効な方法を紹介している。それはなんと、沈黙と

凝視だそうだ。なるほど、相手の沈黙に対しては、こちらも沈黙で対抗するわけだ。黙秘を続ける犯罪者

がいるとしよう。取調官は、一言も発しず、ジッと相手の目を凝視して動かない。お互いの沈黙が続く。

何時間経過しても、眉一つ動かさず、取調官は沈黙して相手を凝視し続ける。キルケゴールによれば、こ

の方法でやられたら、どんな犯罪者も最後には白状せずにはいられないそうだ。疾しい心を秘めた人間に

とって、これより辛辣な尋問はないのだと言う。


 小生は自分自身で試したことはないので保証はできないが、夫の浮気を疑っている方などは、試してみ

る価値があるかもしれない。矢継ぎ早に問い詰めたりせず、一言だけ質問して沈黙し、相手をじっと見つ

めて黙り続ける・・。黙り続ける・・・。黙り続ける・・・・。誰か、麻原彰晃に試してくれないだろう

か。

理念は、理念のままで

 
 柄谷行人氏は、「理念とは、統整的であって、構成的ではない」と云っている。つまり、理念とは、現実

的なものではないので、そのまま実現するはずがない。実現の努力を調整する役目を果たすものなのだ。


 私が強調するのは、道徳性とは、人格の統合であるという仮説である。通常、私たちの人格を、最も

強力に統合してくれるのは、潜在的可能性のイメージである。もちろん、そういうイメージは種々ある

が、私たちにとって、最も包括的で、最も力強い「自分」を実現できる潜在性のイメージを産む自我の関心

を、ニーチェは「主衝動」と呼び、ティリッヒは「究極的関心」と呼んだと考えている。そういう潜在性のイ

メージは、いまだ実現はしていないが、その達成が不可能ではない状態である。類比的に云えば、旅行の

チケットは買ったが、まだ出発しておらず、旅の計画を練っている心理状態である。ちなみに、この時期

が、一番楽しい。


 こういうイメージが皆無な状態を、絶望と呼ぶ。何の展望も見出せない状態である。ティリッヒは、

生の本質を、「潜在的可能性が、自己実現する現象」と定義した。人間には、こういう潜在的可能性のイ

メージを創出する機能が本来存在するが、その具体的内容を与えてくれるのが、伝統・文化である。


 さて、正常な人間においては、人格の統合は、自分の潜在的可能性のイメージが統整的に働くことによ

って生まれる。イメージは、完成に向かう道しるべであって、仮にその理想がそのまま実現しなくても、

道標としての役目を果たせば、それで満足し、満足しなかった面は、次回の目標として、後の楽しみとし

て残る。彼には、統整的なものを、統整的なものとして受容できる余裕があるのだ。


 ところが、悪魔的なもの、つまり憑依状態の人格においては、本来統整的なイメージが、構成的に

働いてしまうのだ。つまり、現実に完全に実現すべきものだという強迫的観念において働く。もちろん

現実は複雑なので、潜在的可能性は、理想通りには実現しない。悪魔的な彼は、その不完全性の原因を

他者に投影する。彼は、全能性を自分自身に証明しなければならない。そのため彼は、他者を完全な支配

の下に服従させようとする。これがまさに、悪魔的なのだ。スターリン主義にしても、文化革命にして

も、クメール・ルージュにしても、理念で現実を構成しようとするから、悪魔的になってしまうのだ。


 悪魔的なものを生み出すのは、展望のなさ(絶望)である。絶望を回避しようとする生命力が、反動とし

て、偽りの潜在的可能性のイメージを生み出し、それに固執する。その場合、イメージは統整的なもので

はなく、完全に実現すべき強迫的なイメージになる。歪曲された自己の万能性を証明する手段は、本質的

に暴力にならざるを得なく、威嚇と、強制、殺人に行き着くだろう。イエス・キリストが、「悪魔は最初か

ら人殺しであって、偽り物の父である(ヨハネ8:44)と云ったのは、こういう意味においてである。

潜在性のイメージは、理想どおり現実化されることはない。私たちが秘めている可能性は、それが実現す

る時には、つねに多少期待を裏切る形でしか成就しない。この現実を受容できないと、人格統合のイメー

ジは、強迫的になってしまう。


 憑依現象が起こる人格には、外傷的記憶(トラウマ)が多いとされているが、社会的憑依も同様であるこ

とに注目したい。ルイ王朝絶対王政の後のフランス革命、農奴制の後のロシア革命、屈辱的ベルサイユ条

約の後のナチス・ドイツ、欧米包囲網の後の日本の戦争、日本敗戦ショックの後の絶対的自虐史観、日本

の植民地政策の後の北朝鮮、欧米列強・日本の侵略のあとの中国共産党独裁、アメリカの覇権的干渉のあ

とのイスラム原理主義、などなど・・・。外傷的体験によって、人格を統整的(Regulative)に統合するイ

メージが壊れる。それに代わって、新たな支配的イメージが、人格を構成的(Constitutive)に統合しよう

とする。すると、支配的イメージは、「意味−破壊的−意味」、「形態−破壊的−形態」となって、最初に

強い人格統合を生み出し、次に矛盾と葛藤に苦しみ、最後に自己崩壊してしまう。これが、小生が考える

「悪魔的なもの」についての仮説である。

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