西田幾多郎

[ リスト | 詳細 ]

西田幾多郎は、偉いぞ!
記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

 西田幾多郎は、「われわれの底にはわれわれを否定するものがある」と書きました。さらに詳し

く言えば、われわれの底にあるわれわれ自身を否定するものは、われわれの成立の条件であるということ

です。これを西田は、「絶対矛盾的自己同一」という用語で言い表しました。


 私流にいいかえれば、

「あるものが成立する前提とは、その破滅の前提でもある」

ということです。なかなか深い哲学です。これって、応用範囲が広いんですよね。ロバート・ケーガン

は、「EUがポストモダンな世界にいられるのは、アメリカがモダンに留まっているからだ」と言い

ました。EUは国際法が支配する多極化世界を目指して、アメリカをそこに組み込むことを目指しています

が、それが可能なのはアメリカが唯一の覇権国家として力の政治を行っているからです。


 国際法が支配する世界が可能なのは、アメリカという覇権的警察国家あっての話ですから。つまりEUの

目指す世界が可能なのは、アメリカがEU的理想世界の「そと」にある場合だけであるというわけで

す。したがって、EUが目指す理想社会は、厄介もののアメリカが消えた瞬間、その成立の前提を失いま

す。


 資本主義は、封建的世界を切り崩すことで拡大していますが、同時に資本主義が存続するためには封建

的世界が絶対に必要です。たとえば、家族とか伝統という封建的要素を解体することでのみ資本主義は成

長しますが、家族と伝統なしには資本主義は解体します。


 資本主義が生産できないのは人間と土地です。したがって、資本主義は人間の共同体を成立の条件にし

ますが、資本主義の拡大は共同体を解体することによってのみ可能です。ところが共同体を解体すると、

資本主義もその前提を失うわけです。資本主義は癌にたとえられますが、癌は寄生する身体を失うと自分

も消滅します。しかし癌が成長するためには、身体を破壊しなければいけません。


 護憲派の平和主義は反米です。ところが憲法九条的世界が可能だったのは、アメリカの軍事主義のおか

げでした。アメリカの武力行使による安全保障が、日本の護憲派の条件だったわけです。しかも皮肉なこ

とに、反米護憲派が守ろうとする九条は、アメリカが与えたものだったというおまけつきです。武力放棄

の理念が、超大国の武力に支えられていたとは。したがって、超大国の武力放棄が実現すれば、護憲派的

平和主義は、その成立の前提を失います。

 西田幾多郎は知っていたんですね。
 西田哲学の重要な用語に、『自覚』というものがある。さて、物理学者たちは宇宙の究極の法則

を探している。仏教的に云えばダルマである。もし、そのような法が存在するならば、それは普遍的に臨

在するはずである。つまり、ここに、あそこに、どこにでも働いているはずだ。すると、その法は私たち

にとって最も身近な存在であるに違いない。つまり、

私たち自身より私たちに近いものに違いない。



 私たちがその法を知る場合、その法によってのみ、その法を知ることになるだろう。なぜなら宇宙の究

極の法は、その法自身に則ってのみ知ることが可能なはずだからだ。つまり認識という行為そのものが、

この法に従っているはずである。そうすると、私たちがその法を知る場合、私たちの内に働くその法に

よって知ることになる。そうすると、

私たちが法を知る時、私たちの内の法が法自身を知ることになる。

これがいわゆる、『私たちが神を知る時、神が神自身を知る』という、古い定式の言わんとするところで

ある。


 究極の法則は、存在するもの全てがそれによって存在する法なので、客観化することができない。法を

客観化した時、客観化した究極の主体は法自身である。

論理的には、そうとしか言いようがない。

残念ながら、物理学者たちの夢は、必ず徒労に終わる。宇宙の大法則は、大法則が大法則自身を知るとい

う形でしか現れない。大法則の数式が完成した時、実は真に定式化すべきは、数式を完成させた真の主

体、つまり物理学者の内に働く法自身である。しかし、法は主体になることなしに、決して客体になるこ

とがないものだから、主体としての法は、論理的に常に客体としての法に先行するので、

永遠に捕まらない鬼ごっこなのだ。

宇宙の究極法則を真剣に探している物理学者には失礼だが・・・、

「なんでこんな簡単なことがわからない?」

ヘーゲルが『絶対精神』という仰々しい用語で言いたかったのは、じつはこういうことである。究極に探

求すべきは究極の客体ではなく、究極の主体である。そして論理的には、究極の主体は、私たちの内の真

の主体でもある。科学の限界は、

真理を探究する科学者自身の主体性を探求できない点にある。



 普遍的法則が、ここに、あそこに、どこにでも働いていて、私たちの全ての主体的認識もその法に依存

しているのなら、その法は誰にでも、すぐにでも認識されるはずである。なぜなら認識とは、法による法

自身の認識だから。したがって、法の認識は自覚という形式を取らざるを得ない。私たちが法を自

覚する時、法が法自身を自覚することになる。そうとしか言いようがない。西田哲学の自覚とは、こうい

う意味の自覚である。ある意味で当たり前であり、しかしこれを当たり前と実感するには何がしかの境地

が必要な種類の『自覚』である。

つまり私が私自身を自覚する時、法が法自身を自覚する。



 私が私自身を自覚するその深さに応じて、法を自覚する深さが決まるということになろうか。結局、宇

宙の大法則の認識は、広い意味で宗教的なものだなのだ。宗教はずっとそう言い続けているのだが、どう

もちゃんと伝わっていないようだ。
 西田幾多郎のような難解な哲学者の著作を読む時は、西田哲学についての研究書を参考にしたくなる誘

惑に駆られる。「わかりやすく解説してくれているにちがいない・・・」と淡い期待を抱いて読むのだ

が、ほぼ期待は裏切られる。西田哲学についての解説書を読み漁ったが、ほとんどの場合、読む前よりも

読んだ後のほうがさらに西田哲学が分からなくなってしまう。かといって、理解の助けになる本が皆無と

いうわけではない。一冊お勧めするとしたら、迷うことなく西谷啓治著作集第9巻191ページか

ら196ページを挙げる。わずか5ページであるが、私が知る限り、こんなに分かりやすく西田哲学を解

説した文章は他にない。さすが西田の愛弟子であり、かつ自身も優れた哲学者である西谷啓治だけのこと

はある。


 私も私なりに西田哲学を解説してみたい。『善の研究』などは平易な文章で書かれているので、後期の

西田哲学に今回は絞ってみよう。後期の西田哲学のテーマを分かりやすく一言で云えばこうなる:

現実はなぜこうなのか?

絶対矛盾的自己同一」という難解な述語は、ようするに「現実はなぜこうなのか?」とい

う問いに対する答えを簡略して表したものだ。


 現実は、過去からの流れで決まるわけではない。つまり過去が現在を決めるわけではない。誰でも実感

する日常的事実である。かといって、未来のある目的に向かって進んでいるわけでもない。これも誰でも

実感する日常的現実である。過去が未来を決めるなら、世界は決定論的である。決定論のウソがばれるの

は、

決定論者が自分の決定論については、決定論的に考えていないからだ。

もし彼の決定論が決定論的世界の一部なら、それは決定論(理論)ではなくなる。他方で、もし未来が現

在を決めているなら、世界はある目的に向かって生成していることになるから、私たちの行動は見かけは

自由だが、じつは未来の操り人形ということになる。


 過去が現在を決めず、未来が現在を決めないなら、残された答えは1つしかない。

つまり現在が現在を決めるのだ。

これが西田哲学の云う「絶対現在の自己限定」である。


 西田哲学というのは、ようするに当たり前のことを難解な用語で表現しているわけだ。どこがスゴイか

と言えば、こういう当たり前のことは誰も考えないのだが、西田は考え抜いた点にある。

そこがスゴイのである。

「なるほど云われてみればそうだが・・・」、ということは多い。誰も言われてみるまで考えないから

だ。私たち凡人は・・・。カントは過去が現在を決めると考えた。ヘーゲルは未来が現在を決めると考え

た。西田は現在が現在を決める考えた。もちろん西田の場合、絶対現在は過去と未来が出会う場所なの

で、両方をなんとなく含むわけだが。これは矛盾である。だから矛盾的自己同一と云われる。経験的に云

えば当たり前に感じていることを、当たり前に感じたままで理論化しているのだ。


 「物になって見、物になって行う」という西田独特の表現は、

当たり前を当たり前のままで理解するという意味である。

そこが実はスゴイのである。西田哲学の凄さとは、この当たり前さにあるのだ。
 科学的思考というのは不思議なもので、観察者は、説明の対象である「世界」に自分を含めよう

としない。つまり、

科学者が説明する世界には、自分自身が含まれていないのだ。



 例えば、ある科学者たちは、世界の動きを自然法則によって決定論的に説明するが、説明される

世界」の中に自分自身は含まれていない。したがって、

自分の説明行為だけは自然法則によって決定されていないのである。

ある意味で、これは当然である。なぜなら、世界を説明する自分自身が自然法則の因果律によって決定さ

れていたら、彼の説明は「説明」ではなくなるから。自然科学の理論が理論であるためには、その

理論は自然法則を超越していなければならない。ここが科学の矛盾である。


 オックスフォードの生物学者・リチャード・ドーキンスなどの欧米の無神論的科学者たちは、21世紀

になった今でさえ、こんなことさえ気づいていない。前回のエントリーで書いたが、科学的思考とは合意

形成のためのルールであって、「真理発見」の方法ではない。大事な点は、ルールが公平に統一

れていることであって、科学的方法自身は、上記のように、決定的欠陥を孕んでいる。


 さて、その点で西田幾多郎は偉かった。西田の言う「歴史的世界」とは、自分がそこに含まれて

いる世界である。欧米哲学では、私はこちら(世界の外部)、世界はあちら、私が世界を対象として説明

する。ところが西田哲学では、私が説明する世界は、すでに私が含まれている世界である。私が世界の中

から、自分を含む世界を説明するのだ。どうりで難解なわけである。


 私が世界の中から世界を説明するとすれば、私の説明は世界の「自己説明」と同じである。なぜ

なら、私は世界の内部にいるので、私の説明は世界の自己運動の一部だからだ。「私が自覚するとき、世

界が自覚する」という西田の言葉は、こういう意味である。論理的には、西田が明らかに正しい。


 さて、そうなると、「私」の数だけ、世界の自覚が存在することになる。西田が、それぞれ無数の

「私」が世界の無数の焦点(focal point)である、というように。西田は、明治時代にして、すでにポス

トモダンだったのだ。というか、日本という国自体が建国の始めからすでにポストモダンだったのか

も・・。


 西田の哲学は、多元論哲学のスーパー先駆者だが、他方で、これでは共通のルールが出てこない。真理

が必ずしも「正しいルール」にならないとは不思議である。世界の焦点が1つじゃないと、ルールもでき

ない。で、とりあえず、真理かどうかはともかく、説明する世界に自分自身を含まないことが、共通のル

ール作りには最適なのだ。そういうわけで、科学的思考が勝利した。


 しかし科学の勝利は、実用的勝利であって、真理の勝利ではない。ドーキンスのような科学者た

ちは、このへんのニュアンスが理解できないので、「科学主義」に陥ってしまう。なんでもそうだ

が、「〜主義」は最悪である。

自分も説明に含めよう

 西田幾多郎の発想の斬新な点はどこにあるのだろう?科学的視点と比較してみよう。科学は

世界を説明の対象にするが、その世界に「説明する自己」を含めない。

主観は、対象として世界を目の前に立てるが、その世界に自己を含めないので、自己は世界に対して超越

的立場にある。


 ところが西田の哲学にとって、

世界とは「説明する自己」を含めた世界なのだ。

そうすると事情はかなり複雑になる。説明すべき世界に自己が含まれながら、自己が世界を説明する。西

田の用語が、「絶対矛盾的自己同一」、「行為的直観」、「作られたものから作るものへ」など意味不明

が多いのは、そういう理由による。


 科学的発想では、ある出来事は、原因となる主体と、働きの対象となる受動的客体の2つに分けられて

しまう。環境を主体として見た場合、無差別殺人の犯人は、主体である環境によって形成された客体とな

る。すると評論家の、「彼が人を殺したのは、社会が悪い」というバカなコメントとなってしまう。


 西田のように、説明する主観を説明される世界に含めると、絶対的主観・客観という区別が消失して?H3>主体は同時に客体となり、客体は同時に主体になってしまう。 ニートが増えているのは、ニート自身の自己決定であり、日本社会の自己表現の一要素でもあるという理

屈になる。西田哲学が理解しにくいのは、通常の発想と違う視点から物事を考えているからである。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
tillich37
tillich37
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事