|
私が子どもの頃の沖縄では、センスよく笑いのとれる奴を「ワラワサー」と呼んでいた。小学校3年生 のとき、クラスでワラワサーという栄えある称号をいただいていたのは、私とミツグだった。休み時間に お笑いバトルを繰り広げた。まず私が、教壇に立ってネタで笑いをとる。すると、次にミツグがネタで対 抗する。代わりばんこに、ネタを競い合った。笑いの大きい方が勝ちだった。 当時なぜだか、4人でグループを作り、4つの机をくっつけて並ぶという配置で授業を受けていた。男 女それぞれ、2人ずつ。私とミツグと一緒になった女子は幸せだった。2人で競って、授業中に同じグル ープの子を死ぬほど笑わせた。 かといって、ミツグと仲が良かったわけではなく、よく殴り合いの喧嘩をした。ミツグの方がガタイが 大きかったが、負けたことはなかった。かといって、勝ったのは1回だけだったが。当時の沖縄では、喧 嘩は涙を流したかどうかで勝敗を判定した。喧嘩の見物人は、双方の目に注目し、一方の涙が1粒ピチョ ッとこぼれたところで割って入り、「お前、泣いたから負け!」と、勝敗を告げていた。涙がこぼれたの に、「負けていない!」と駄々をこねても、周囲は決して認めなかった。涙という物理的証拠で客観的に 勝敗を判定したシステムは、じつに優れていると思う。 今から思うと、ちゃんと喧嘩にも厳正なルールがあって、客観的な規範のもとにケンカが管理されてい た。小学3年生の世界でも、秩序と法の支配があったのだから、偉いものである。したがって、ケンカは 暴力だが、決して過剰にはならず、K−1やプライドのような運営がなされていたわけだ。しかも、子ど もだけで。 笑いのライバル関係にあり、決して仲が良いわけではないミツグとなぜか、放課後一緒に2人だけで遊 んだことがあった。ミツグの家は、材木屋の近くにあった。何をして遊んだか忘れたが、遊びまくってお 腹が空いた。ミツグのお母さんがインスタントラーメンを作ってくれたので、2人で「美味しい、美味し い」と喜んで食べた。 それからしばらくして、教室でミツグと口論になった。殴り合いのケンカになりかけた。フックを放っ たが、ブシュッ!という空振りの音だけがして、ヒットしなかった。止めようと割って入った友だちが、 「おっ、いいパンチさ〜!」と言ったのが、嬉しかったので覚えている。 殴り合いができないので、言葉のボクシングになった。お互いワラワサーと呼ばれただけあって口が達 者だったので、周囲の観客に笑いをとれるような罵倒を繰り返した。ネタが尽きてきて劣勢になったの で、あせったせいか、「ミツグの家に遊びに行ったんだけどさ、何が出てきたと思う?インスタントラー メンだったんだよ!もっと、いいもの出せないのかね〜」と口走ってしまった。喜んで食べたインスタン トラーメンの記憶と、それをネタにミツグを貶めたギャップが、どうも心の中で埋まらなかった。 小学校時代のミツグについての記憶は、その時点でブチッッ!と切れてしまっている。この事件以後に ついては、何も想い出せない。多分、2人の笑いの競演は、2度となかったのだろう。
|
昭和の小学生
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]







