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スキャンダル

アルバム名
HELLO WORLD

曲名
Place of life

生前の娘の気持ちと思いも取り込んでくれて完成した歌が収録されていました。
13曲収録中のアルバムでラストを飾っておりました。皆さんに感謝。

1年前の今日は、娘が体調を崩し救急搬送先にてこの日が最後になる可能性があるかも知れないと病院で宣告された日である。以前より1年後の今日は何も起きないようにと願いつつ今朝近所を通学する中学生の子供達を見ながら当時の娘の様子を思い浮かべては涙が出てしまった。変に心配してしまうのだが今日は天候同様で少し気持ちも雨のち曇りである。

虫の知らせ

子供の時から年寄りから聞いていた言葉の中に「虫の知らせ」という言葉がある。今ではネットで検索すれば望む回答が得られるので説明は省かせて頂きます。さて、この虫の知らせとは。私は子供なりに何となく意味が解っていたが体感するようになったのは中学生頃だったような気もした。鮮明に記憶があったのは祖父の時だった。当時彼女(現在の嫁)とのデートで滅多にいかない空港に行き「なんで空港なの?と聞かれたが回答はなくて、今から飛行機に乗れば間に合うがついでに彼女も連れて行こうかな」と思っては落ち着かずそわそわしていた。デートも終わり部屋に戻ったらその日の夕方に大好きだった祖父は入院先で息を引き取ったとの連絡が20時頃に親からあった。飛行機に乗っていれば自分が看取る事が出来ていた時間帯でもあった。家族は誰も間に合わなかった。その日から1月近く前より部屋の扉に「便所バチ(アメリカミズアブ)」が1匹飛んでは止まりの繰り返しで居座っていた。虫が嫌いだったので嫌だなと思っていた。その後、私は結婚し子供に恵まれ安定した生活をしていたので曾孫の面倒でも見ながら余生を楽しんでもらおうと祖母を呼び一緒に暮らしていた。息子が部活で忙しくなった時は私も応援に駆けつけてる日々が多くなりそんな中で、対戦相手の少年がバッターボックスに立った時、大きなアゲハ蝶が必要以上に接近し彼の周りを飛び回り試合が中断するハプニングがあった。ギャラリーは「なんか凄いね〜、なんだろね〜」なんて湧いていた。彼は3回登場したが3回とも蝶がまとわりついていて結果良い成績を出していた。そんな光景もなにげに見ていたが蜂が寄り付いたり蝶が寄り付く違いなんて気にもしていなかった。ある日、住まいの玄関周囲に見たことのない小指1関節分位の土の塊で3mm程穴の空いた巣が何個かあった。よく見ると「便所バチ」の巣で4匹程が住み着いていた。ベランダ側にも同様に住み着いていて気持ち悪かったが駆除できず視界に入らないようにしていた。後に私は交通事故に遭い半身不随に近い状態になってしまったが緊急手術を断り続け50日後に退院でき歩けるようになった。後に祖母はガンと診断され余命3ヶ月と宣告され手術を繰り返しては担当医も驚く程の回復力で退院し何もなかったかのように日常生活をしていた。私は「便所バチ」が虫の知らせなのかと思うようになり巣を駆除する事でいなくなったら良いかもしれないと思い全部駆除をした。気分的にもスッキリした。時は7年経ち玄関に「便所バチ」が来るようになり1月経った。前夜は普通に会話をした祖母だったが早朝自分の部屋で息を引き取った。「便所バチ」が死神であると確信した。それから6年後に引越しをした。もう「便所バチ」は来ないであろうと願い快適な生活空間を満喫できると思った矢先に「便所バチ」が玄関周りをうろついていた。正直うんざりした。私が借りているガレージのシャッターにも1匹飛んできていたので、ただ事ではないと意識をしていたが私が熱中症の重症になり自力で外来に行ったら「年配者だと死んでますよ」と先生に言われ要安静にて仕事を長期休む事になった。30日程でなんとかシャワーの水が冷たく感じるようになった。また直ぐに「便所バチ」が飛んできた。今度は何なんだ!怒りさえも出る感情を落ち着かせるのに嫌気もさしていた矢先に娘が緊急入院の始まりとなった。絶対に負けてたまるかと心に誓った。11ヶ月後の娘の納骨の日では大きなアゲハ蝶が墓石の周りをゆらゆらと大きく羽を広げて飛び回っていた。妻と顔を合わせて涙目ながらに微笑みながら「娘からの良い知らせなんだよね」と話てお経を唱えてもらい合掌した。
虫の知らせとは。由来もあるでしょうが、私の場合は虫が知らせに来るパターンのような気がしました。

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10月7日の話になりますが、MBS毎日放送さんが娘の件で自宅へ取材に来てくれました。記者さん、カメラマンさん、音声さんの3名で私から見て本格的な機材の持ち込みに感じたが控えめのコンパクトだと言っていた。ワンボックス車で登場かと思っていたが新幹線とタクシーでの移動との事で機材搬送は大変であっただろうとも思った。13:00頃に到着で、まずは打ち合わせを30分ほど行い取材に入った。内容としては当時の娘の様子が中心で入院前の元気な様子の話や急に体調を崩し緊急手術を受けるも非常に危険な状態であった様子から大阪へ移動してからの闘病生活や家族の心情などだった。記者さんの質問には淡々と思い出のように話もできたがやはり込み上げてしまう場面も多くなり、それが辛いとは思はず娘に対する精一杯家族愛を注入していた自分達がいて共に娘も頑張って闘病生活をしていたのだと改めて気付ける良い機会でもあった。何せ入院から退院までと再入院から亡くなる日まで気を抜く事も無く自分達の事に関しては無意識ではあったし全力で娘のサポートをしていたのだろう辛いと思う気持ちはもちろん無かったし、そう思うような隙間がなかったのも事実であった。記者さんも涙ぐみながらも途中で中断も挟み5時間近い取材も無事に終える事ができた。このような機会を作ってくれた娘に感謝である。放送は14日となっていたようだが台風の影響で番組内容変更がありそうなので放送日は日を改めるとの事だった。

ちょうど1年前の手紙

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ちょうど1年前にもらった手紙。
父母思いの娘が張り切って結婚記念日を盛り上げる為に、イベント担当の様に張り切って先頭立っては何かと積極的に準備をしてくれていた事が印象強く焼き付いている。子供達が主役の時は私共も子供達には最高の思いをさせたくて喜ばせていたが娘は手際よくニコニコしながら裏方の様に動き回る。プレゼントとしてもらった娘からの手紙が写真に写る物なのだが手渡しの時に嬉しさで涙ぐんでしまう最中に表紙のメッセージを読んだ瞬間、体感したことのない不吉な感じを察してしまった。中1の娘が書く内容にしては、大人が書いたさりげなく最後の挨拶をも伝えているかのように読みとれる。その時は自分が考え過ぎたのかなとも思ったが祖母も手紙を見たときにも同じ様に察したと言っていた。その4日後に悲劇が来てしまった。さて、今日の記念日はどうするかと私は悩んだが、天国の娘も祝ってくれている様な気もしたので例年通りに記念日のお祝いを今回からは仏壇の前にて行うことにし私が買い出しをして準備をする事にした。1年は早すぎる。

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