穴と橋とあれやらこれやら

隧道や橋といった土木構造物など、様々なものを訪ねた記録です。新旧問わず記事にしていますので、古い情報にご注意下さい(笑)。

次回予告篇


先生からの確認もいただきましたので、

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取り急ぎここまでの成果を報告しておこうかね。



【1】に続く。



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今宵は、ひょんなことから知ったバンド…いや、ユニット?をぜひご紹介したく。その名も「ベッド・イン」。もうこの名前だけでツボなんですが(笑)。


これはとにもかくにも、「おっさん」に視聴していただきたい。


まずは「♂×♀×ポーカーゲーム」。

アタマ15秒の破壊力(笑)。とりあえず、ギターのおねいさんがSGを弾いてる時点で、八割がたヤラレちゃいましたわ(笑)。


そのコンセプトは一目瞭然で、まぁ陳腐に過ぎる…はずなのに、大変悔しいことに、カッコいいんだなコレが。
恐ろしくキャッチーな楽曲、高い歌唱力や演奏力といった前提の上に、とにかく世界観が突き詰められていて、単なるオチャラケでは片付けられないクオリティに到達しております。
結果、今の世の中では新鮮な、ノンカテゴライズ・ミュージックとなって、耳にまとわりつき、かな〜りクセになる感じ。同じバブリーなら、平野ノラさんや荻野目ちゃんよりコッチがいいわ(笑)。

んで、フロントの2人のおねいさん、どっちもおそらくかなりの実力をお持ちだと思うんですが、見せ方がイイねえ!絶妙にブサくて体型も絶妙にエロくて、非の打ちどころがないじゃないですか。失礼ながら、コレがスレンダー超美形だとちょっと違うんだな〜(笑)。しかもボディコン、ミニスカでSGをかき鳴らすなんて、完璧。

あっコレ、めっちゃ褒めてますからね(笑)。



もう一曲イッときますか。


メジャーデビューシングルらしい、「男はアイツだけじゃない」。

バブリーなPV(笑)。これまたイイなあ。


やっぱあれですな、「実力のあるミュージシャンが本気でバカをやる」のは、いつだって最高ですな。



おっさん各位、どうぞお楽しみくださいまし。おっさん以外の方も、お試しを(笑)。
















ところで、「ひょんなことから」の「ひょん」ってなんなんでしょうね。「ひょっとして」の「ひょっ」と同じく、もう40年以上疑問に思ってます(大爆)。




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この趣味で実際に動き始めて間もない2009年2月12日。腰越山隧道の次にやってきたのは、わたくしが現役鉄だった時点ではまだ走っていたはずの、専用鉄道の痕跡。

かと言って、現役時代を見た覚えはなかったなあ…。


まずはココ。
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近江鉄道多賀線・多賀大社駅の300mほど手前のある踏切。


左(西)方向へとそれていく道。見る人が見ればすぐわかる、廃線跡の景。ここから分岐(正確に言えば、並走していた多賀線から別れていた)していたのが、本日のお題・麒麟麦酒(キリンビール)滋賀工場専用線だった。


ちょっと角度変えて。
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気持ち、鉄道分岐感を強調してみました、的な(笑)。



道路に転用されたその部分、
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やたら広い。

複線分くらいの幅がある。いや、複線だったとは思わないけど。



鉄道らしい雄大なカーブで
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滋賀県道330号甲良多賀線を斜めに横切って、ほぼ真西へと。

上の写真は振り返り(東向き)。奥から手前へと、カーブしながら県道を横切ってくる線形がおわかりいただけるかと。




ここから工場までは、県道、川と農道?に挟まれた不自然なスペースとして、廃線跡が続いていた。


その間には、このような
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コンクリ製の橋梁が


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三か所ほど残っていた。



三つめの橋梁から先は、

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完全な荒れ地に。

向こうに見えるのは、もうキリンビール滋賀工場。廃線跡は、工場の南端に向かって真っすぐに伸びていっていた。



上の写真に写っている橋のたもとからの振り返り。
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多賀線から別れて90度カーブしてからは、ほぼ一直線なのがわかる。




最後に、ほぼ同じ場所でストビューから写真を拝借。
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右端が、ひとつ上の写真を撮った場所。こんな感じで踏切で道路を渡っていた。その先は、もう工場敷地内。ここからさらに工場西端へと回り込んだあたりまで続いていたようだ。



思えばもう9年以上も前のこと。よくもまあ臆面もなく記事にしたな〜わたくし(笑)。この後は多賀町の屏風集落、後谷集落を訪ねて、最後に仏生山隧道へ。



以上。



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まりなげ禁止。


今宵も、ちょっとほっこりする京都クオリティを。


今からお見せするのは、京都・北野天満宮の土塀に貼られているものなんだけども・・・

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「まりなげ禁止」。

これスゲーな…。

ボールのことを「まり(毬)」と呼んだのは、いつ頃までのことなんだろうか。ウチの年老いた親父は、確かに「まり」って言ってた(言ってる)けど、昭和30年代くらいまでは「ボール投げ」じゃなくって「まり投げ」だったのかも。

かつてはきっと、近所の子どもたちがこの天神さんの土塀にボールを投げて遊んでたんだろうな〜。子どもにゃあ文化財なんて関係ないし(笑)。たまらず天神さん側が貼ったのがこの貼り紙…っていう昭和のひとコマが想像されて、なんかノスタルヂィ〜(笑)。

それにしても、「壁にボールを投げて、跳ね返ってきたのを自分で捕ってまた投げて、それを繰り返す」だけの謎の遊び(笑)、今の子もするんだろうか。



この写真を撮ったのは2012年11月のことだが、つい先日確認したところ、全然普通にまだ貼ってあった。こういうのが何気なく残ってるのが、これまた京都クオリティですなあ…。



以上。



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2014年1月4日、おっさんの逃避行・紀伊半島彷徨2日目。その中で出会った、ちょっと面白かった橋…のことを。


朝イチの水呑隧道、その24分後。和歌山県道221号市鹿野鮎川線を走っていて、見つけてしまった。


いつもながら、前見て走れや、って感じだが(笑)
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橋…の跡。もちろん、急停止。

二本の親柱が残っているのが見て取れた。しかしあれは…県道に対して向きが直交。よく見れば対岸には、橋へと続く道も残っていた。



県道上から正対。
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見下ろす、この高低差。

橋はまっすぐに川を渡り、県道下へと突っ込んでいる。此岸には親柱などは残っていないようだった。県道は、いかにも新しく整備されたような、広くてきれいな道。


はっはーん…。ぐるっと周辺を見て、状況が呑み込めた。


大きなポイントは、

上の写真の撮影ポイントから真後ろを振り返った、この景。
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県道から直角に分岐する、林道。

市街地ならともかく、この山の中で直角の分岐なんて不自然極まりない。これはつまり、この背後に道が続いていたから、だろう。


要は、こういうこと。
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黄色は県道の旧道で、赤線のように林道が分岐していたが、県道の新道が整備された際に林道の接続が現在のようになり、結果旧分岐〜橋が存在意義を失い、橋は撤去された…ってことで間違いなかろう。


以上、完結。









…って、いやいや、冗談(笑)。

ちゃーんと見に行かずにはおれんさ!



というわけで、
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以前の分岐点へ。

ああ、いいなあ。やっぱコッチのほうが落ち着くなぁ(笑)。



左へ登っていくのが県道旧道。ここはもちろん、
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右へと下っていく。

ダブルトラックが見られたが、チェーンで簡易封鎖されていたので、ここからは徒歩にて。


途中、
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こんなのもありつつ…



程なくして周囲が開け、
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いつしか路面はダートとなっていた。

そして、先で右へカーブしているように見えたが…。



ちょうどカーブのところで路面は不明瞭となり、そして…
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見えた。

まともな道が無くなっていることで、橋の痕跡のみがポツンと存在し、それが得もいわれぬ凄惨な雰囲気を醸し出していた。



そして、正対。
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おおっ…。

生々しい、橋の遺構。もちろん現役当時はあんな高い位置に現道は存在せず、そのまま徐々に高度を上げていってたんだろう。


この延長線上、つまり三枚目写真の奥のほうを拡大してみると…
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舗装が切れてるのが見えた。

おそらくあそこまでが、県道路線改良に伴って付け替えられた区間だと思われる。


さて、最初に視認したとおり親柱が残っていて、幸いにもちゃんと情報が残っていた。銘板が失われてるとかがあるあるなんやけど(笑)。


向かって右側。
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「下津屋橋」。お名前、即判明。ヤッター!



そして左側。なんか字数多い!?
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「愛賀合谷川」。

「愛賀合(あいがごう)川」が正しいはずなんやけど、たまにこんな感じで「谷」のひと文字を放り込んであるのを見る。ある時期、こういう表記が流行ってたんだろうか?

時期といえば、これでお誕生日は判明しないことが確定した。残念!コンクリ製親柱のテイストからは、昭和三十年代前半くらいの印象だが…。


続いては、河原へ降りて
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エアー・サイドビュー(笑)。

橋脚の痕跡がないことや橋台の形状から、おそらくはシンプルな桁橋だっただろう。


この右側の橋台、
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堅牢な石積みが素晴らしい!

多くを占めているのは、間知石を用いた谷積みか?かつ、隅角はちゃんと切石の算木積みになっていて、まったく綻びが見られない。スゴ…。


堪能した。



橋上…いや、橋のたもとから、分岐点を振り返り。
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これが、廃された区間の全て。短いものだ。




最後に、県道の新旧分岐付近から望んだ、下津屋橋跡。
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写真中央あたりが橋跡。

目前の橋は「下津屋口二号橋」といい、「平成16年5月竣工」の銘板があった。逆に考えれば、その頃までは下津屋橋は生きていたってことになる。

チョー快走路(笑)な県道と、それに巻き込まれて消えた橋。あくまでも直線的な現代土木に文字どおり「踏んづけられた」、ちょっと不憫な橋でありました。



この14分後に深谷隧道へ。以降記事にしているのは、時系列で久木のあれやらこれやら熊野川隧道高尾隧道上滝トンネルなどなど。濃かったなあ、この日は(笑)。



今度こそ以上、完結。




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