穴と橋とあれやらこれやら

隧道や橋といった土木構造物など、様々なものを訪ねた記録です。新旧問わず記事にしていますので、古い情報にご注意下さい(笑)。

先日のたからったさんの記事を見て思い出したネタを投下します。


岐阜県飛騨市某所にて、
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通りすがりに急停車。



おいおい、マジか!?
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マジなんか!?


パパラッチ(〈イタリア〉paparazzi)
《ぶんぶんうるさく飛び回る虫の意。「パパラッツィ」とも》
有名人を追い回しゴシップ写真を撮ろうとするフリーランスのカメラマン。 [補説]パパラッツォ(paparazzo)は、単数形。
(小学館 デジタル大辞泉より)


・・・やっぱりろくな意味ないよなあ(笑)。な〜んでこの名前にしたんだろう。

破壊力重視か?

うーん、でも「ザソギリ」には負けるなやっぱ(笑)。



拙ブログ、実は密かにこれまでに理/美容院ネタを何度か投棄してきております。コレとかコレとか、あ、懐かしのこんなんもありましたな〜。まだあったっけ?

んで、まだいくつかネタ持ってますので、忘れた頃に出ると思います(笑)。





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2011年2月25日、第七次房総探索。この日のネタで記事にしているのは、最序盤の(なぜか検索ワードで多い)猿ヶ城隧道万名浦第三隧道、そして最終盤の増田隧道

今宵ご紹介するのは午後早めに見つけた、千葉県ネタでは数少ない橋ネタでございます。


タメなく、コチラ。
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なんてことない橋?そうかね?(笑)


通りすがりにチラ見えしたこの橋、完全に個人宅への橋にしか見えなかったのだが、ささやかな親柱ながらも銘板がしっかりとはまっている。いったいどんな橋なんだろう?ということで停まったのだが、

けっこう、クセが凄かった。


向かって右の親柱には橋名が。
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「鍵掛橋」。

実は千葉県で見つけた鍵掛橋はコレが二本目だったりする。似ても似つかないけど。ってか、コレ公道なのか?普通にこんな銘板ついてるけど?謎。

この手の表札みたいなタイプの銘板、ともすれば文字の褪色で判読が困難だったりするが、ここのはまだハッキリと読める。


のだが、そんなことよりも
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コレなによ!?

なんでかボケまくっているが、銘板側面に書かれたのは・・・書いた人?つまり揮毫者ですか?このパターン、マジで表札でなら見たことある気もするんだけども、コレ橋っすよ?まさか・・・この奥のお宅の苗字とか言わんよね(爆)。

なんにせよ、非常に達筆、美しい文字であることは間違いない。いや〜こいつはレア。


向かって左の親柱。
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昭和三十二年二月竣工・・・って、思ったより古い!ん〜、やっぱ公道なのか?

そしてこれまた達筆。まあこの手の白銘板はおしなべて達筆であるという法則があるけどね。(個人の意見です)


渡っていいのか悪いのかよくわからんながらも、とりあえず渡って(笑)。
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「かぎかけばし」。

右側の親柱を撮ってないのは、たぶん反対側と同じ情報だったからだろうな。引きでのショットを撮ってないのは謎だが、慌ててたのかな。
欄干・・・いや、地覆の上には金属棒が飛び出ていて、かつては何かがあったのであろうことを示している。なんだろうか。


で、ルーティーンどおりにサイドアングルで・・・って!
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まさかの方杖橋か〜。

確かにこの桁の薄さじゃあ橋脚は要るよねえ・・・ってか、橋脚、細っ!意味あんのか?


方杖橋であったことにも驚いたのだが、それよりもさらに気になることが。

まさかこの橋脚・・・
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アレじゃないの?



ちょっと明度をいじってみて・・・やっぱり!
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コレ、古レールだ。

しかもこの細さは、林鉄などで使用される規格じゃなかろうか?この橋を架けたのって、誰?行政?個人?


私有地入口っぽい立地、表札ちっくな銘板、低い地覆の金属棒、そして極細古レール方杖という型式。

こんなにちっぽけな橋なのにクセが強すぎ。


例によって、何も解決しませんよ?(笑)



以上、完結。



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【隧道後篇】より続く。


11:33、山の神隧道に別れを告げ、下山開始。

往路を2回にも分けて記事にしたというのに復路も、とか、どんだけこの道気に入ったんだって話だが、まあお付き合いくださいな。

この復路も、コメントは控えめにしておきたい。素材の味を味わっていただきたい(笑)ので。では、どうぞ〜。


11:37。
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11:38。
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11:40。
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11:42。
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陽当たりの悪い所ではまだ残っている雪だが、不思議なことに(不思議じゃないのか?雪国の摂理がわからん・笑)、陽のあたる表面でなくって下から溶けていくみたいで、


このように。
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わかりにくいが、アスファルト上に残る雪の層の下を、さらさらと雪解け水が流れていた。

なんで表面が溶けずにこうなるのか?雪解けをしげしげと観察したことなどない南国の(笑)わたくしには不思議で仕方なく・・・。


この復路は、路盤の上を自在に流れ下る雪解け水と伴走しながらの、心休まる道程だった。


11:45。
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11:46。
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ある時はちょろちょろと、ある時はこのように路盤いっぱいに。


そして
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適当なところで、滝となって路外へ落ちていく、この繰り返し。



11:47。
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11:50。
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11:53。
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眼下に道が見えてきた。あのヘアピンまで降りてきたようだ。



いや〜下りのこのタイトヘアピン、
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雪がなくってもなかなかの迫力でしょうなあ〜。



11:57。
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予告篇でも使った、お気に入りの一枚。



11:58。
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11:59。
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12:00。
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博識な皆様におたずね。この植物(高山植物?)ってなんでしたっけ?

なんか、和えたり天ぷらにしたら美味しそうな・・・。あくまでイメージです(笑)。



12:01。
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12:03。
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12:12。
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12:13。
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そして・・・


12:17。
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ノートさん、待たせたね!

往路の48分に対し、下りである復路も44分かかった。コレは写真を撮りまくっていたことと、雪解け水に葉っぱを流してどこまで流れるか、とか、落ちた枝や土砂でできたビーバーダムを決壊させたりして遊んでいたから(笑)。

いや〜ホントいろいろ楽しかったな〜この道の往復は。


本来遠征時には、メインの目的地でない限りはこういう道草は極力避けるんだけども、ここばっかりは珍しい例外となった。おかげでこの日最後のターゲットが日没直前&バッテリー切れ寸前に追い込まれたけどなんとかセーフだったし、まあ結果オーライだ(笑)。



以上、完結。


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※前回記事でわたくし東西を逆に書いておりました。正しくは、東側から入洞して西側に抜けようとしています。前回記事と併せて訂正します。ごめんなさい(笑)。


【前篇】より続く。


西側へ抜けんとするその時、振り返り。
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足元の惨状・・・(笑)。



その西側は・・・
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明らかに、東側よりもハードコアな雰囲気。



雪が目線の高さくらいまで・・・
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じゃないよ、もっとだよ(笑)。

4月末でもこんななのか〜凄いな・・・。この2012年が平年よりも多かったのか少なかったのかはわからんけど。


えっちらおっちらと、登りまして・・・
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・・・うわ〜・・・。

なんか隧道前とは思えない、広々した平場が開けていた。まあ、夏場とはかなり感じが違うんだろうけど、かなり想定外の光景。

右手に何か石碑っぽいものが見えている。後ほどチェックするとして、


まずは西側坑口と正対。
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東側と同じ無愛想さですな〜。

違うところといえば、ポータルの汚れ。まあきったない(笑)。



その理由は明白。イメージ 7
ポータル直上から、そのまんま雪解け混じりの土砂が落ちてるからだ。

いや、そりゃあ洞内のあの惨状も納得。冬季通行止めが明ける前の整備ってかなり大変なもんなのね〜。

こうして見ると印象が、この1年10カ月後に訪ねたあの北谷隧道・北側坑口に似ている。もちろんあそこまでの状況ではないけど、もし数年放置でもされれば、近い状態になっていくような、そんな危うさを感じる。


さて、ようやく坑口前を離れて、
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先ほど見えていた石碑の前に。



よく読んでみると、
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慰霊碑だった、明治時代の。隧道ができる遥かに前だ。

難しい漢字で判読が困難だが、これは・・・壓死(圧死)か?二月廿五日なんていう厳冬期の日付から察するに、雪崩による不慮の死をとげたのだろう、下梨(現・南砺市下梨)の横井石松さんという方が。

この方がどういう方なのかはわからないが、立派な石碑が建てられるほどの仁徳、あるいは地位にあった人物だったのだろうな。


見たところ、少なくともここしばらく誰かが参った様子はなかった。イメージ 1
あたりには手向ける花もなく、ただ手を合わせた。

ここで、現在地の地図を出しておこうか。




隧道を背にして右方向へ、高草嶺方面への林道が分岐している。
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そこから望んだ、山の神峠・西側。

左端に見える雪に覆われた平場が、隧道から直進する旧道。ちょうど正面の山襞の谷間あたりが、下梨の地・・・になるのかな。


改めて、西側坑口を引きで。
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うん、やっぱり北谷隧道系の眺めだ。

でも北谷隧道を見た時に、ここのことは思い出さなかった不思議(笑)。



堪能した。



撤退開始。
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たぶん、もう来ないな・・・(笑)。



東側に戻ったら、
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例のスノーアーチを、外側から。

下からちょろちょろと雪解け水が流れている。いや〜こういうシチュエーションの隧道は、今のところ後にも先にもココっきりだ。


この雪解け水を道連れに・・・




しつこく【復路篇】やります(笑)。



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【往路後篇】より続く。



進軍開始から48分。
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山の神隧道に到達!

いや〜、徒歩探索はやっぱ達成感が三割増しですなあ(笑)。道そのものも最高だったし。

再度念のため書いとくが、こんな状態ではあるけども、この道も隧道も現役。単にこの時まだ冬季通行止めが明けてなかった、というだけのこと。
歩いてくる時の雪解け水でもわかる通りだいぶ溶けたんだろうけど、それでもまだコレだけの雪が残っていた。


坑口上には、一本だけ
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つつましい桜の木。

満開の桜並木もいいけど、個人的にこういうのもとっても好き。



さてさて、堆(うずたか)い雪に登って、東側坑口と正対。
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愛想のない、コンクリポータル。

典型的な昭和中頃のご面相。これが50分弱も歩いてまで見に来る価値のある隧道かと問われると甚だ疑問だが(笑)、わたくし的には後悔ナッシン。あの道を歩けたことで十分に元は取った。


なんだけど。



ただひとつ、残念だったのは・・・
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扁額の字ぃ間違えとるやないか!

これ、業界の残念あるある上位にランクされるやつやん。
×「隨」 ○「隧」ですよ。ちゃんとしてもう〜。


よく見たら、「道」も横棒が一本足りないな。なんやねん。まあ、ネタ的にオイシイのでいいんだが(笑)。


えー気を取り直して。
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見下ろす洞内。

雪の堆積具合がわかる、目線の高さ。埋まりかけの廃隧道で味わうやつ。が、そこは現役隧道、洞内に変状は見当たらないようだ。


先ほど坑口左側に銘板があるのに気づいていた。見てみると
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「竣工 昭和39年12月 施行者 株式会社米倉組」。

だいたい予想通りの年代だったが、この豪雪地帯で12月の竣工とは。かなりの突貫工事だったのだろうか。


おもむろに、洞内へと。


振り返って、鉄板の構図。
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遠くの山々もイイね〜。



・・・って、あら?坑口前の雪が?
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おお〜雪のアーチ!

融雪の産物だが、こりゃ面白い!てか、よく踏み抜かなかったな〜。案外強いのね。


さて・・・
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参りましょうか。

完全に向こうの明かりも見えていて、不安感はない。まあ、いかにも林道の隧道然とした、意外性ゼロな隧道ではあるな。

ちなみにこの隧道のスペックは、延長114m、幅員3.6m、有効高4.0m。ええ、もちろん帰ってから調べたんです(笑)。



さほど面白いこともなき洞内にて撮ってた写真、その壱。
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なんだっけ。

継ぎ目から染み出す水に注目した、のかな。



その弐。
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いや、なんだっけ(笑)。

これ、全然思い出せないけど、顔を出してた木片かなあ・・・?



(タイムスタンプによると)ゆっくりと5分かけて歩いてきたら、
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あー、この展開ね(笑)。

西側は、水没していた。さほどの水深ではなさそうだが。



だが、心配ゴム用 ご無用。
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こんな展開はお見通しよ!

雪の残る旧道への突入、当然長靴を装備してたのだった(スノ―シューまでは持ち合わせがない・笑)。


水没はすぐに、
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泥濘へと変化。

どうやら土砂が流れ込んでいるようで、ぐっちゃぐちゃ。長靴なかったら、泣く局面(笑)。



さて・・・
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西側はどうなっておるのかな?



【後篇】に続く。





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