穴と橋とあれやらこれやら

隧道や橋といった土木構造物など様々なものを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意下さい(笑)。

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2010年3月20日、初めての紀伊半島南部徘徊。この日のネタで記事にしているのは、相野谷隧道越路隧道白見の滝見橋楊枝川の吊り橋紀州鉱山・上川坑などなど。


今宵ご紹介するのは、これらに先立つ朝7時前に出会った橋。そこには、驚きの発見があった。



いきなり、ドン。
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国道42号(今では旧道化してるけど)から丸見えのこの橋、橋好きとしては、急停止せざるを得なかった(笑)。




正対してみれば
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この狭さ。軽自動車ならあるいは?というくらいの幅員だが、明らかに橋上に刻まれているのはシングルトラック。

この時点では、ここに突っ込んだ猛者がいることはまだ知らなかったはず。



右側の親柱にて、さっそくお名前判明。
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「大又上橋」。

銘板の汚れがちょっと残念だが、はっきりと判読できた。が、それよりも。わたくし、親柱側面にもう一枚の銘板を発見。



これが、非常に興味深いものだった。
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請負人 
長崎縣西彼杵郡矢上村町名 
辻百市


コレは驚き、かつ感動した。この東紀州の片田舎(失礼)の橋に、なぜ遠く離れた長崎県の職人が関わることになったのか?


西彼杵(にしそのぎ)郡矢上村は、昭和30年に近隣の村と合併して東長崎町となり、昭和38年には長崎市に編入、現在の長崎市矢上町とその周辺にあたる。「町名」は「ちょうめい」ではなく、旧矢上村の小字である。

調べた限りでは、辻百市という名前も、ましてやなぜこの人物がこの橋を手がけることになったのか、という上記の疑問を解明することはできなかった。
ただ、一点興味深かったのは、現在の長崎市矢上町内、かつての町名地区付近と思しき場所に、「辻ビル」という建物が存在すること。もちろん偶然の一致で無関係なのかもしれないが、辻百市氏とのゆかりを感じたくなるのが人情ってもんでしょう(笑)。面白いな・・・。


んで、左側の親柱で、お誕生日が。
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「昭和十一年四月二十日」。


当時は今以上に知識がなかったので、「おお、古い!」としか思わなかったが、考えてみれば戦前橋。よくぞ金属銘板が引っペがされなかったものだ。よく苛烈な金属供出のエピソードを読んだり聞いたりしたが、案外ゆるかったのか?(例えばこの橋



さて、コレはな〜に?

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実はこれ、橋上から見下ろした、大又川上流側の川底。恐ろしいほど澄んだ流れで、この珍しい川底の相がハッキリクッキリと見える。

他には橋上でなにも撮らず。当時のわたくしってば、淡白やったなあ・・・(笑)。



で、渡りきって一枚。
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後付け金属フェンスの(やや)無神経な設置だけが、残念な感じだった。




こちらでは、読み方判明。・・・と思ったら、
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「かみはし」。


「大又」はドコ行ったのよ?とは言うまい。書くまでもないでしょう、ってことだろうかね。



車を停めたそばにあった、この看板。

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そのとおり、本当に美しい川の流れと橋の佇まいだった。


実は、この橋については今年6月に山神さんが記事にされている。変わらぬ姿にホッとして、わたくしも記事にしようと思ったもののソッコーで忘れ(笑)、またたまたま思い出したこのタイミングで記事にした次第。

前半でチラッと書いたように、山神さんが記事中で引用されている奈津子さんの記事のことは、この時点ではまだ知らなかった。見つけた時は感動した〜(笑)。謙遜されてるけど、奈津子さんの車両感覚も常人離れしてるんで・・・(笑)。



まあ、とりあえず

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イイ橋だった。



以上、完結。





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