私の武蔵国歴史考

改定版「武蔵の歴史」を作りました。気が向いたら見てください。

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第6章繁栄期の武蔵(江戸時代)

江戸時代の石高制と年貢

貫高制と石高制


貫高制

江戸時代になって経済の大きな変化は貫高制から石高制に変わったことでした。この石高制は秀吉が始めましたが、徳川政権も踏襲しましたので、江戸時代を通して幕府と藩それから村の組織を大きく規定しました。

秀吉以前は貫高制でした。この貫というのはお金の単位で、具体的には中国からの渡来銭である永楽銭のことでした。銭貨は永楽銭のほかにも数種類あり、さらには私鋳銭といって誰かが勝手に作った銭貨もありました。そこで信用の高い銭と低い銭が生まれ、信用が高くてなおかつ広く使われていたのが永楽銭でした。そのため、永楽銭が標準貨幣になりました。貫高の代わりに永高という表現もあるくらい一般的でした。この永楽銭1枚が1文で、1000文で1貫になります。そして、この永楽銭の1貫で土地を評価したのが貫高制です。この貫高制は戦国時代に全国的に行われていて、とくに北条氏の貫高制が有名です。
北条領では水田1反(10アール)で645文に評価しました。畑は165文でした。こうして家臣の領地を永楽銭の金額で表して、この貫高に応じて、家臣が保有すべき兵数を決めていました。当時は家臣たちはそれぞれの領地に住んでいましたから、小田原の北条当主はこの数値を前もって把握して置くことで、必要な兵士をもっとも戦場に近い所から集めることができました。

北条氏がこのように領地を永楽銭で換算したのは、領地を持つ家臣たちは軍役のほか上納金(年貢)を納めることになっていたからです。戦国大名は北条氏に限らず、直轄地が少ないのが特徴です。ですから、大名は家臣たちから上納金を集め、この上納金で領国の行政軍事費にあてました。(この稿の「北条氏綱」の項を参考)


石高制

秀吉が始めた石高制の目的もこの貫高制とほぼ同じでした。ただ、秀吉は貫に替えて米の容量である石にしました。
1石は米150kgで、成年男子が1年間に必要とする食料です。また、おおむね1反あたりの米の収量でもありました。つまり、昔は1反の田んぼがあれば1石の米が取れ、この1石の米があれば成人男子1人の1年間の食料が確保されたということでした。ちなみに現在は、品種改良と栽培技術が進んで1反当り4石の収量があります。
しかし、石高制の石は領内の水田を調査して米の収量をで計算したということではありません。貫高制と同じく、水田ばかりでなく畑や屋敷地などの土地を米の容量単位である石に換算した数値です。

秀吉が石に変えた理由ははっきりしません。たぶん貫高制は貨幣がある程度流通していないと意味がありません。貨幣の流通は地域差があったからかもしれません。また、その後秀吉政権や徳川政権が小判を作ったのをみると、金本位の貨幣を考えていたかもしれません。確かに永楽銭という銅貨は、1枚の価値が低すぎて使い勝手がよくなかったと思います。室町時代の絵を見ると、銅貨を大きな瓶に入れ、大人の男二人が棒を渡して駕籠を担ぐように運んでいるのがよくあります。こうなると銅地金とあまり変わりません。銅銭は補助貨幣にしか向かないようです。

しかし、貫高から石高に変わってもその役割は変わりませんでした。それは主として軍役を決める単位でした。秀吉は諸大名に対し1万石につき250人の軍役を定めました。つまり、1万石の大名は250人の兵を動員できるよう準備しておくことを命じたのです。さらに、秀吉は諸大名に年貢には大豆も取るように強く命じています。この大豆は軍馬の飼料でした。ですから、秀吉も石高制を採用しながら、その主なねらいは年貢の徴収よりも、大名とその家臣に対する軍役をはっきりさせることでした。

この時期秀吉は朝鮮出兵をしていました。そのため諸大名は兵を率いて朝鮮に出陣しました。それは大名たちが自ら進んで出陣したのではなく秀吉の命令でした。当然、引率する兵員数も秀吉から指示されていました。その根拠となったのが太閤検地による大名領地の石高でした。太閤検地は実際は大名による申告(これを差出検地と言います)でしたが、石田三成や浅野長政などが目を通すことになっていましたから、意外と正確だったと思います。
そして、その後を継いだ徳川幕府もほぼ同じ考えでした。幕府の軍役令は秀吉より細かく、元和2年(1616年)に出した軍役令では、例えば1万石につき、鉄砲20、槍50、弓10、騎馬14、旗3というように具体的でした。

したがって、石高制も貫高制も元々は主な目的は軍役でした。たぶん、江戸時代になっても最初はこの石高は年貢徴収には使われなかったと思います。

とくに武蔵は正確な検地などできる状況ではありませんでした。1590年に武蔵に入った家康がまずしなくてはならなかったことは領地の割り振りでした。家康は北条氏が降伏してわずか1月後に江戸に入っています。たぶん、北条攻めで連れてきた兵士も本国に帰ることもなくそのまま江戸に入りました。
この領地の割り振りは大久保長安や伊奈忠次などの民政部門の官僚が、北条氏から引き継いだ書類を頼りにほとんど突貫工事で、家康直轄地、師団長クラスの幹部家臣の領地、それから直属部隊の中堅クラスの旗本領地と割り振りました。そのため、江戸入府から1わずかケ月後には、家臣たちはすべて東海から関東に移住を終えてしまいました。このようにすばやく領地の割り振り作業ができたのは、北条時代の貫高の資料をそのまま使ったからでした。
 そして、家臣たちもそれぞれの領地に入ると、落ち着く間もなくすぐに朝鮮半島での戦争の文禄慶長の役(1592年〜1598年)が始まりました。家康は朝鮮には出兵しませんでしたが九州に詰めました。それから1598年に秀吉が亡くなって朝鮮戦争が終わると、すぐに関ヶ原の戦(1600年)が起こります。おそらく家康と家臣たちにとって領地の経営どころではありませんでした。さらに関ヶ原の戦いの後は、今度は家康の息子や幹部クラスが大名として他国に転出してしまいましたから、また新しく領地の割り振りを行うことになりました。

こういうことを考えると、家康も家臣たちも落ち着いて領地経営などする時間などなかったはずです。たぶん武蔵領の年貢は年貢の額も北条時代のままで、その年貢徴収も村の名主に任命した旧北条家臣たちが北条時代と同じように納めるということだったと思います。つまり年貢については北条時代のままでした。

武士の収入

この石高制が変質したのは江戸時代になってからでした。すなわち軍役より武士の収入額を表す数値になりました。また、日本中の村の生産力を表記する数値になり、この石高にもとづいて年貢を徴収するようになったのです。
ただし、武士にとってその石高がそのまま収入の数値ではありませんでした。例えば10万石の大名は、10万石の領地を持つということで、その10万石から農民の取り分を除いた石高が大名の収入でした。ですから、例えば大名と農民の取り分が半々(五公五民)なら5万石、大名の取り分が4割(四公六民)なら4万石が大名の収入でした。

また、江戸時代には、大名の家臣や幕臣たちの収入も石高で表記されるようになります。大名家臣や幕臣には二つのグループがいました。一つは領地を与えられた武士で、もう一つは藩や幕府から現米を支給された武士です。前者を知行取りといい、後者を蔵米取りといいます。一般に、知行取りは大藩の上級武士や幕府の旗本たちで、大半は蔵米取りでした。この蔵米取りには、何俵何人扶持というように最初から蔵米取りだった武士のほか、何石取りと一見知行取りのように見えますが実際には藩庫から現物米を支給される武士もいました。彼らは藩から支給される現米を一部は飯米として残し、残りは売却してお金に換えて生活していました

ここで問題になるのは知行取りの武士たちです。というのも武蔵は旗本領が多く、彼らの多くが知行取りだったからです。旗本たちは1000石とか500石とかの領地を与えられていました。しかし、これはそのまま収入高を意味していません。それは基本的には大名と同じで、100石とか500石の一部が収入でした。しかし、旗本の取り分は蔵米取りのようには一定していず、時代によって変わりました。そのためその詳細はよくわかりません。

ただ、3代将軍家光の頃から、幕府は蔵米取りの旗本たちを知行取りに切り替える政策を進めました。その時、家光が旗本たちを集めて申し渡しましたが、そこでは100表を100石に換算して領地を与るとしました。1俵は3斗3升ですから、1俵は1石の1/3であることになります。ですから1000石取りの旗本はその1/3の約330石が実際の収入だっただろうということがわかります。もちろん、先に言ったようにいつも1/3ということではありませんでしたが、おおむね名目石高の3割くらいが旗本の収入だったといえるかと思われます。

この石高の数値は江戸時代初期に決まりました。しかし、その後の経済成長で地域の石高は増加します。しかし、それを調査して石高の数値を修正することはしませんでした。というのもそれを表面化させると、それまで上位にあった九州東北の名門大名の石高より、名もない関西あたりの小大名の方が多くなり逆転してしまい大名間の序列が狂ってしまうからです。そこで最初に決まった石高を表高(おもてだか)といい、実際の石高を草高(くさだか)と呼ぶようになり、公的な場所ではこの表高で通すことになっていました。

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