吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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江戸前期の浮世草子作者・俳人の「井原西鶴像」を描きました。
 
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西鶴の小伝
 
1642年大坂・難波に生れ、15歳頃から俳諧師を志し談林派を代表する俳諧師として名をなした。一昼夜の間に発句をつくる数を競う矢数俳諧の創始を誇り、またそれを得意とした(最高記録は23,500句)。その奇矯な句風から阿蘭陀流(オランダりゅう)と腐される。

1682年(天和2年)に『好色一代男』を出版し好評を得、その後様々なジャンルの作品を出版。従来の仮名草子とは一線を画する物として、現在では以後の作品を浮世草子と区別している。1693年没。
 

代表作は『一代男』の他に『好色五人女』、『日本永代蔵』、『世間胸算用』など。
 

また代表的な発句に、
・ 長持に春かくれゆく衣がへ
・  鯛は花は見ぬ里もあり今日の月
・ 大晦日定なき世の定かな
・ 浮世の月見過しにけり末二年
 がある。
 
 
 
 
 

西鶴の再発見
 
同時代では、有名人であり、人気のある作者であったが、江戸末期には西鶴は忘れられていた。
 
明治以後の西鶴再評価は淡島寒月に始まる。彼の「明治十年前後」によると、寒月は山東京伝の考証本『骨董集』を読み西鶴に興味をいだき、古本を漁って
幸田露伴・尾崎紅葉などに紹介したという。
当時山田美妙や二葉亭四迷によって推し進められていた言文一致体の文章への違和感もあり、紅露の二人や樋口一葉などは西鶴調の雅俗折衷文体の小説を発表した。
 
明治30年代はロマン主義の隆盛に伴い埋没するが、自然主義文学が起こるなかで、みたび注目を浴びる。例えば島村抱月は「西鶴の思想は多くの点に於いて却つて近代欧州の文芸に見えたる思想と接邇する。個人性の寂寞、感情の不満、快楽性の悲哀、これ併しながらやみがたき人生の真相であると、また田山花袋は「馬琴の稗史滅び、近松の人情物すたれ、一九、三馬の滑稽物は顧る者の無い今の時に当つて、西鶴の作品に自然派の面影を発見するのは、意味の深いことではないであらうか」と言ったように、紅露一葉の時代は主に西鶴の文体が注目されていたが、この時代になると自然主義に寄せつつその描写や思想的側面に注目が集まるようになった。
 
 
 
 
 
 
 
次の写真は、大阪市中央区、誓願寺にある西鶴の墓所です。
 
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表情豊かな絵です、緑が映えています、

2016/2/26(金) 午後 6:58 [ 琴音の部屋 ] 返信する

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