吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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4月の吉川和夫美術展〜人物を描く〜では、戦国時代の武将である独眼竜・伊達政宗公を描きました。
 
 
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伊達 政宗(1567〜1636)は、出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主。仙台藩初代藩主。伊達氏第16代当主・伊達輝宗と正室最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の間に生まれた嫡男。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた。

眼帯の由来
政宗の肖像において天然痘で失明した右目は白濁して見開いており、健全な左目はより大きく見開いている。政宗の生前の希望に従い右目を黒く描く肖像もある。各種の記録に目を覆った様子はない。 政宗役の俳優が演技時に右目を覆う慣習は昭和時代から行われており、古くは1942年の映画『獨眼龍政宗』において目の矢傷治療で白い包帯や刀鍔型をした眼帯が使われ、2016年のテレビドラマ『真田丸』では政宗を演じるのに必要な小道具として扱われている。

人物像
政宗の死後、1974年に墓所の発掘調査が行われ、身長は159.4cm、血液型はB型であったことが判明した。(身長が159というのは、現在ではやや小柄だが、この時代ではこのぐらいが平均身長であった。)
長い間実母との仲が悪く、一度は毒を盛られた政宗。(この時、怒って弟の小次郎を斬ったとされる。)
しかし母の晩年にはそれなりに和解していたらしく、そのような文書が残っている。母の義姫は気性の荒い人として有名であった。しかし実の息子に毒を盛るとは、かなり政宗を嫌っていたことが伺えるエピソードである。
 
 
 
実戦経験のない徳川家光に戦についていろいろとレクチャーしたことがあったようだ。ある日、政宗と佐竹義宣が家光に呼び出され、戦についての質問をされた。摺上原で負た軍である佐竹義宣は終始無言であったが、政宗は事細かに戦の模様を話したとされる。
 
もともと兵糧開発のために料理をしていたが、それが転じて趣味になっていたようだ。(戦国大名は多趣味の者が多いが、料理が趣味というのは極めて稀で、その他にも様々な趣味を毎日行っていた。)
東北地方の名物である凍り豆腐、納豆、ずんだ餅などは政宗が考案したものだという説がある。政宗曰く、「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」だそうだ。
  
朝・昼・晩と一日三回規則正しくタバコを吸っており、遺品には愛用のキセルがある。その他、ロザリオ等も遺品の中にあり、キリスト教に興味があったのではないかといわれている。
 
 
 
次の写真は、仙台市の青葉城址に建つ「馬上の伊達政宗公像」です。
 
 
 
 
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