吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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吉川和夫は、最も尊敬している「画家・堀文子」さんの肖像を描きました。

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堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - 2019年2月5日)は、日本画家東京市麹町区平河町(現・東京都千代田区麹町)生まれ。

永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高等学校)、女子美術専門学校師範科日本画部(現・女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)を卒業[1]。府立第五高等女学校時代に自宅近くで二・二六事件に遭遇した[1]
 
女子美術専門学校在学中の1938年に第2回新美術人協会展入選。1940年に女子美術専門学校を卒業し新美術人協会会員。『キンダーブック』(フレーベル館)、『ふたば』などで挿画や装幀を描き生計を立てる。
29歳の時に外交官箕輪三郎と結婚するも43歳のときに死別。

1961年から1963年にかけ世界放浪の旅へ出る。旅の中でアンフォルメルシュルレアリスムの影響を離れ、日本画の持つ色彩や顔料の美しさに回帰する。
1967年に神奈川県大磯に転居。1974年創画会の結成に参画。

1974年に多摩美術大学日本画科教授に就任。その後、多摩美術大学客員教授として日本画の指導を行う。1999年に多摩美術大学客員教授を退任。
 
1981年に軽井沢にアトリエを構える。1987年にイタリアアレッツォにアトリエを構える。1992年にアレッツオ市で堀文子個展を開催。1995年にアマゾン川マヤ遺跡インカ遺跡へスケッチ旅行。1999年に創画会を退会。
 
2011年に女子美術大学より名誉博士の称号を得る。
2000年、82歳の時に幻の高山植物ブルーポピーを求め、ヒマラヤ山脈の高地を踏破(「アーティストたちの挑戦 ヒマラヤ 高き峰をもとめて 日本画家 堀文子」(NHK収録/放送、2000年)。2001年に解離性動脈瘤で倒れて[2]以降、長期間の取材旅行に出かけられなくなったことから微生物に着目し、海中に生きる命をモチーフとする作品を発表。これらの作品は画文集や個展で発表された。

自然の中に存在する命や花鳥をモチーフとする作品を多く制作し「花の画家」と呼ばれた。専門の日本画の他、装幀随筆でも多くの作品を発表した。神奈川県大磯町に在住していた(2012年時点[2])。
2019年2月5日、心不全のため平塚市内の病院で死去[3]。100歳没。 

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