吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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7月の吉川和夫美術展〜風景画を描くでは
米国マンザナーレの日系人強制収容所を描きました。
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マンザナール強制収容所は、アメリカ合衆国カリフォルニア州インヨー郡にあった、 日系アメリカ人収容所のひとつ。正式名称は「Manzanar War Relocation Center(当時の訳語はマンザナール戦時轉住所)」。 現在はマンザナー国定史跡(Manzanar National Historic Site)として整備・保存されている。

日系アメリカ人が収容された10箇所の収容所の中で最もよく知られている。 北アメリカ大陸において第2位の標高を持つホイットニー山 (マンザナー収容所の敷地からもかろうじて見ることが出来る)を含むシエラネヴァダ山脈の麓、 モハーベ砂漠やデスヴァレーに連なるカリフォルニア州オーエンズヴァレーに位置し、 南はローンパイン、北はインディペンデンスが最寄りの都市。

歴史
マンザナーとはスペイン語で「リンゴ園」を意味する。 日系人の間では満座那という音訳が使用されることもあった。
1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が発した大統領令9066号によって翌3月に開設された。 マンザナー収容所は最大時には10,046名を収容し、収容された総数は合計で11,070名となった。 1942年12月6日に収容者の暴動が発生し、歩哨は2名の収容者を銃撃した。 1943年2月に成立したレジストレーション法は、宣誓を行わない収容者をツールレイク強制収容所へ転送することを要求した。 このために生じた混乱の後、収容者たちは収容所の環境を自分たちで改善し始めた。
大戦末期には収容所駐留軍は縮小された。また、多くの収容者が散策を許可され、狩りや魚釣りも許可された。 日本敗戦後の1945年11月に閉鎖されたが、収容者の大部分は財産を失い帰る家もなかったため、同所への在留を希望した。 収容所では延べ135名が死亡し、そのうち15名が同所に埋葬され、残りは故郷の墓地に埋葬された。

<写真>  
私は、2003年5月31日に、米国マンザナーレの「日系人強制収容所跡地」を訪れました。
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次の写真は、マンザナーレ近くの風景写真です。
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次の写真は、
マンザナーレ資料館のものを転載しました。
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