吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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私は、2010年7月に、スイスにあるニーチェの別荘(現在は記念館)を訪問しました。ニーチェが避暑地として滞在していたシルス・マリア村は、風光明媚な美しい村でした。
次の写真は、ニーチェの別荘(記念館)の玄関口から撮影したものです。


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ニーチェは、病気の療養のために気候のよい土地を求めて、1889年までさまざまな都市を旅しながら、在野の哲学者として生活した。夏はスイスグラウビュンデン州サンモリッツ近郊の村シルス・マリアで、冬はイタリアジェノヴァラパッロトリノ、あるいはフランスニースといった都市で過ごした。

次の写真は、私が訪問時に撮影したものです。別荘(記念館)の中では、ニーチェ哲学に関する勉強会が開かれていました。ドイツ語で語られていました。私は、約1時間あまり参加しました。

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ニーチエの別荘を描きました。
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次の写真は、ニーチェの別荘を横から撮影したものです。
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ニーチェの別荘の周辺を紹介します。
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周辺には彫刻公園もありました。
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12月吉川和夫美術展〜人物を描く〜では、
ドイツの哲学者であるニーチェの肖像を描きました。


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ニーチェ(1844〜1900)は、キリスト教倫理思想を弱者の奴隷道徳とし、強者の主人道徳を説き、この道徳の人を「超人」と称し、これを生の根源にある権力意思の権化と見た。
また、伝統的形而上学を幻の背後世界を語るものとして否定し、神の死を告げた。その影響は実存主義やポスト構造主義にも及ぶ。著書には「悲劇の誕生」「ツァラトゥストラは、かく語りき」「善悪の彼岸」などがある。

次の写真は、哲学者・ニーチェの横顔です。
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(ウイキペディアの紹介記述)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ哲学者古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、哲学教授職を希望しつつも、バーゼル大学古典文献学教授となり、辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。



神は死んだ」(:Gott ist tot, :God is dead)は、
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズム(虚無主義)を表す言葉として広く引用される言葉である。ニーチェによれば、神・といった虚構によって、栄養健康住居といった人生の重大事が軽んじられてきた[1]が死んだ(そして神を冒涜することも出来なくなった)からには、最大の問題は地上からだを冒涜することである[2]。地上的・身体的な人間は「超人」である[2]。一方で、超地上的・超自然的な事柄や魂といったものは、不健康な嘘とされる[2]
ニーチェは「神々の死」とも述べている[3]。 
12月吉川和夫美術展〜植物を描く〜では。
神奈川県の県花であるヤマユリの花を描きました。


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ヤマユリ(山百合、学名:Lilium auratum)とはユリ科ユリ属の球根植物
日本特産のユリ北陸地方を除く近畿地方以北の山地の林縁や草地に分布する。学名は「黄金色のユリ」の意。和名は、山中に生えることからつけられた。

私は「百合の花」が大好きです。
我が家の庭にも、百合を植えています。
美しい百合の花を観賞し楽しんでいます。
私が描いた百合の花を紹介します。

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百合はそれぞれの種類に花言葉があります。
色ごとにも花言葉があります。
百合自体にも花言葉があります。
百合全般の花言葉は「純粋」「無垢」「威厳」です。
とても美しくて、誇り高い言葉が並んでいます。
百合は逸話上でも活躍しています。
11月吉川和夫美術展〜人物を描く〜では、米国のスタインベック氏像を描きました。

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ジョン・アーンスト・スタインベック(John Ernst Steinbeck, 1902年2月27日 - 1968年12月20日)は、アメリカ小説家劇作家
スタインベックは「アメリカ文学の巨人」と呼ばれている。また、彼の多くの作品は西洋文学の古典と考えられている。
生涯で27冊の本を出版している。その中には16冊の小説と、6冊のノンフィクション、2冊の短編集が含まれる。
ピューリッツァー賞を受賞した代表作『怒りの葡萄』は75年に渡って売れ続け、1400万冊が販売されている。
作品の多くは、カリフォルニア州中部が舞台になり、中でもサリナス峡谷やコースト・レーンジズ山脈は頻繁に登場する。
1962年にノーベル文学賞を受賞した。


私は、2003年と2004年の2回にわたり、文学者スタインベックが小説を書いた舞台であり、題材にした米国西海岸のカリフォルニア州サリナスの町を訪問しました。


次の写真は、サリナスにある「スタインベック記念館」とサリナスの港と海岸の風景です。

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11月吉川和夫美術展〜風景を描く〜では、
台湾の淡水市の風景を描きました。
私は昨年2017年12月に台湾の淡水市を訪問しました。
淡水市は、台湾のベニスと言われる美しい街でした。
淡水河河口の北東に発達した淡水市は、かって貿易港として栄えた町です。現在は水辺の美しいさで有名なデートスポットとなっています。

       次の絵=水彩画は、私が描いた「淡水鉄道駅」です。
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次の水彩画は、私が描いた「淡水市の名所=紅毛城」です。
紅毛城は、1629年にスペイン人が建城しました。
その後、オランダ人によって改修されました。
のちに、イギリス領事館が置かれました。
1980年にやっと台湾に戻ってきました。
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次の人物画は、淡水市出身の李登輝さんを描きました。
李 登輝(り とうき、1923年大正12年)1月15日 - )は、中華民国政治家農業経済学者。元・中華民国総統1988年 - 2000年)。コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。信仰する宗教プロテスタント長老派日本統治時代に使用していた名は岩里 政男(いわさと まさお)。
蒋経国の死後、その後継者として中華民国の歴史上初めての民選総統となった。中華民国総統、中国国民党主席に就任し、中華民国の本土化を推進した。中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、台湾澎湖金門馬祖には中華民国という別の国家が存在するという「中華民国在台湾」を主張、その後さらにこの国のことを「中華民国台湾」と呼ぶようになった。北京政府との内戦状態の一方的終結宣言は、内戦を理由に存在し続けてきた治安法「動員戡乱時条款」を廃止させ、政治の民主化を推進させた。
総統職と国民党主席を退任した後は、「台湾」と名前の付いた初めての政党台湾団結連盟を自ら中心となって結成し、台湾独立運動泛緑連盟に影響を与え続けている。
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次の写真は、昨年12月に訪問した時に撮影した淡水市の風景です。
淡水の鉄道駅です ↓
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↓淡水河右岸にある地元でも有名な人気スポットの公園です。
夕方に、空を紅色に染める夕焼けを見に来る人達で賑やかです。
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