吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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吉川和夫は、
平成の天皇と同じ年に生まれました。
いまの境遇は、無職無頼の悠遊放浪画人です。

身体は老化していますが、心は青春です。

お陰様で、折角生かされているのですから、
自分がやりたいことをしたいと思います。
 
何はともあれ、100歳過ぎ迄、
生きて、生きて、生き抜くつもりです。

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6月度、吉川和夫美術展〜風景画=町田市の薬師池公園を描く

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薬師池(薬師池公園)は、1982年に「新東京百景」、1998年には「東京都指定名勝」に指定されています。  さらに、2007年に「日本の歴史公園100選」に選定された町田市を代表する公園です。

  園内中心部には池があり、梅、椿、桜、花しょうぶ、大賀ハス、新緑・紅葉等、四季折々の彩が訪れる人々を楽しませてくれます。
園内には萬葉集に詠まれている70種の草花のほか260種の山野草が植栽されておりそれらをまじかに楽しめる「萬葉草花苑」や  野津田薬師といわれ薬師如来様が祀られ長く親しまれる薬師堂があります。

江戸時代の古民家2棟(旧永井家住宅と旧荻野家住宅)が移築されており、  町田市フォトサロンでは展示室において多彩なミュージアム活動が展開されています。  また、園内には市制施行40周年記念モニュメント「自由民権の像」も建立されています。

次の写真は、東京都町田市の「薬師池公園」です。

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6月の吉川和夫美術展〜人物画は、
世界的に有名な細菌学者=北里柴三郎像を描く


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6月吉川和夫美術展〜人物を描く=北里 柴三郎像を描きました。
(きたざと しばさぶろう、1853年1月29日(嘉永5年12月20日) - 1931年(昭和6年)6月13日)は、 日本の医学者・細菌学者・教育者・実業家。「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見し、 また破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献した。

貴族院議員を勤め、位階勲等は従二位・勲一等・男爵。医学博士、私立伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)創立者兼初代所長、
  土筆ヶ岡養生園(現在の北里大学北里研究所病院)創立者兼運営者、第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)、
  私立北里研究所(現在の学校法人北里研究所)創立者兼初代所長並びに北里大学学祖、
  慶応義塾大学医学科(現在の慶應義塾大学医学部)創立者兼初代医学科長、慶應義塾大学病院初代病院長、
  日本医師会創立者兼初代会長、テルモ株式会社の設立者である。




次の写真は、北里柴三郎医学博士像です。

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次の写真は、東京の青山墓地にある北里柴三郎博士の墓です。

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6月度の吉川和夫美術展〜植物を描く〜では、
福井県の県花「水仙の花」を描きました。

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スイセンの原産地は主にスペイン、ポルトガルを中心に地中海沿岸地域、北アフリカまで広がり、原種は30種類ほど知られている。
また、園芸用に品種改良されたものが広く栽培されている。
日本においては、ニホンズイセンが古くに中国を経由して渡来したと言われている。
分布は、本州以南の比較的暖かい海岸近くで野生化し、群生が見られる。
越前海岸(福井県越前町)の群落が有名であり、福井県の県花ともなっている。



写真は、福井県の県花「水仙の花」です。

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篠原 有司男(しのはら うしお、1932年1月17日 -)は、
本名:牛男(読みは同じ)。愛称「ギューチャン」。


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来歴

東京麹町生まれ。父親は詩人、母親は日本画家だった。千代田区立番町小学校を経て、日本大学第二工業学校に入学。疎開先から東京に戻ると、麻布中学校に入学。在学中は画家の荻太郎に師事する[1]
1952年東京芸術大学美術学部油絵科に入学、林武に師事。1957年、同校を中退。1958年、村松画廊で初個展を開催[2]1960年、「読売アンデパンダン展」で活躍していた吉村益信赤瀬川原平荒川修作らとともに「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を新宿ホワイトハウスにて結成。短い活動期間に多くの伝説を残す。日本ではじめて頭を「モヒカン刈り」にして、週刊誌のグラビアで紹介された。
その後も「イミテーション・アート」や「花魁シリーズ」(1965年)などの「悪趣味」で「スキャンダラス」な作品を次々と発表。ボクシンググローブに絵の具をつけてキャンバスを殴りつけながら絵を描く「ボクシング・ペインティング」は有司男の代名詞となるが、これはマスメディア向けのパフォーマンスであり、芸術のつもりは毛頭なかったと、のちに赤瀬川との対談で明かしている。
1969年ロックフェラー三世基金の奨学金を得て、妻と子供と共に渡米[3]。以後ニューヨーク在住。1972年、段ボールを使ったオートバイの彫刻「モーターサイクル・ブルックリン」などを作り始める[2]1973年3月、現夫人である乃り子(旧姓・島)と出会う[4]。ただ、当時の米国ではマイノリティの芸術家はモダンアートの市場からは締め出される構造があり、制作の拠点をニューヨークに置きつつ、発表は日本で行なっていた[5]。米国で本格的な再評価がなされるのは90年代以降である。
2007年、第48回毎日芸術賞を受賞。
2008年、ドキュメンタリーDVD『モヒカンとハンガリ ギュウとチュウ 篠原有司男と榎忠』(監督・青木兼治)が作られる[6]
2012年ニューヨーク州立大学ニューパルス校ドースキー美術館で、初の回顧展が開催された[7]
2013年1月、篠原有司男・乃り子夫妻の日常を綴ったドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)がサンダンス映画祭ドキュメンタリー部門監督賞を受賞[8]。12月21日、同ドキュメンタリーが日本で公開される。29都道府県で順次公開予定[9][10]

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