吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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2015年1月中旬に、南太平洋の島国、バヌアツを訪れて、住民と交流しました。住民の皆さんを絵に描き、そして写真撮影しました。↓
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去る2015年1月中旬に、南太平洋の島国、バヌアツ国を訪ねました。首都のあるエファテ島のポート・ヴィラに滞在しました。
そこで、国立博物館を訪問したときに、広大な敷地にあった「二本の巨木」と「住民の休憩所」を描きました。↓
 
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バヌアツの国立博物館前の広場は広大でした。周辺に、南国の島・バヌアツらしい雰囲気を感じ取り写真撮影しました。↓
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私は、2015年1月13日に、一人で、東京/成田国際空港を出発し、南太平洋のバヌアツ、サモア、フィジーの3ヶ国で、15日間の旅をし、2015年1月26日に帰国しました。
 
ところが、その1ヶ月半後の3月13日〜14日未明にかけて、巨大サイクロン(風速70〜80m)が、バヌアツ共和国を襲いました。
 
バヌアツの首都をはじめとし離島までも甚大な被害が出ていることが、新聞・雑誌やテレビ・インターネットで、大きく報道されています。
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歴史

バヌアツの島々には、数千年前にオーストロネシア語族の人々が渡来してきて定住し始めたと考えられている。その最古の遺跡は、約4000年前のものだと推定されている。1452年から1453年にかけて、海底火山クワエ英語版の大噴火が複数回起こり、世界の歴史に大きな影響を与えた。
ヨーロッパ人で最初にこの島を訪れたのは、ポルトガル人のペドロ・フェルナンデス・デ・キロスで、1606年4月27日にサント島に上陸している。ヨーロッパ人による植民が始まったのは、ジェームズ・クックによる調査が行われた18世紀末以降のことである。1774年、クックがこの地域をニューヘブリディーズと命名した。イギリスフランスの間で衝突が繰り返された後、1906年に両国は、ニューヘブリディーズ諸島を共同統治領とすることに合意した。
1960年代、バヌアツの人々は自治と独立を要求し始めたが、英語系とフランス語系の島民が対立し、1974年にフランス語系のタンナ島タンナ共和国として独立を宣言した(フランス軍による島の制圧で終わった)。1975年にはサント島を中心とした島々でナグリアメル連邦として分離独立の宣言も起きた。1980年に入るとバヌアツの独立を求める声が高まったが、タンナ島で再びタフェアン共和国として独立運動が起きた(これはイギリス軍の制圧で分離独立運動は終結した)。8月21日にはエスピリトゥ・サント島のフランス語系住民が独立に反対し分離運動が起き、ベマラナ共和国と名付け分離独立が起きた。
1980年7月30日イギリス連邦加盟の共和国としてバヌアツが独立、フランスは政情不安を理由に最後まで独立に反対の立場であったが、これにより事実上、イギリス・フランスの共同統治下から独立し、大統領を元首とする「バヌアツ共和国」として出発した。独立した同年に親ソ派でメラネシア社会主義を掲げるバヌア・アク党のウォルター・リニが首相に就任。徹底したソ連偏重策を背景に独裁的性格を強めたが、1991年にソ連が崩壊し、ソ連という後ろ盾を失ったウォルター・リニは党内外から批判が高まり、1991年に解任された。その後、総選挙によりフランス語系の穏健諸党連合のカルロが首相に就任、国家連合党と連立政権を成立させた。2006年7月には環境NGO「地球の友」とシンクタンク「新経済財団」が「地球上で最も幸せな国」に選んだ。

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吉川和夫ブログ美術館
2015年06月01日発表の風景画

バヌアツ国、エファテ島の首都ポートヴィラの街から眺めた
”イリキ・リゾート=高級ホテルの客室群”を描きました。
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次の写真は、2015年1月16日〜19日の4日間に、
バヌアツ国エファテ島ポートヴィラ(首都)の街から眺めた
”ヴィラ湾に浮かぶイリキ・リゾートの高級ホテル客室群”の風景です。
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次の写真は、2015年1月16日〜19日の4日間に撮影した
バヌアツ国首都ポートヴィラのシティセンター街の風景です。

イリキ島(全島がリゾート地)は、
ポートヴィラのシティセンター街の対岸にあります。

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6月の吉川和夫ブログ美術館”人物を描く”では、昔むかし、元寇と戦った英雄・北条時宗像を描きました。
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北条時宗(1251〜1284)は、五代執権・北条時頼の嫡男として建長三年(1251)5月15日に生まれた。
得宗の子である時宗には、生まれながらにして強い期待が集まっていた。
九歳で小侍所別当、十三歳で執権を補佐する連署となり、十八歳の若さで第8代執権に就任。
しかし時宗を待っていたのは、かってない国難であった。
文永十一年(1274)の文永の役と弘安四年(1281)の弘安の役の2度に渡る元軍の侵略攻撃であった。
 御家人以外の武士にも出陣を要請。
元の国使を処刑したり、派兵を計画したり、防塁を構築したりして、又、神風の台風の恩恵もあってこの難局を乗り切った。
その他時宗は腹違いの兄・時輔らの対抗勢力を討ったり、幕府に批判的な日蓮を処刑しようとしたり、専制的な面もあったが、一方禅宗に深く帰依し、文永・弘安の役で亡くなった敵味方の霊を慰める為、円覚寺を創建した。時宗は33歳の若さで亡くなったがその生涯は元寇と言う国難との戦いの生涯であった。
今、時宗は円覚寺の仏日庵の廟所で眠っている。

 
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                           鎌倉円覚寺三門

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