吉川和夫ブログ美術庵=諸国放浪記

キッカワ・カズオは、本物の画工を目指して孤軍奮闘しています。

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1月吉川和夫美術展〜風景画〜中国の「万里の長城」を描く
私は、2018年7月に、中国の「万里の長城(八達嶺)」を見物しました。
そこで、「万里の長城」の風景画を描きました。そして、訪問時の風景写真を併せて掲載します。

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万里の長城は、中華人民共和国に存在する城壁遺跡である。ユネスコ世界遺産文化遺産)に登録されており、2007年には新・世界七不思議にも選ばれている。中国には他にも長く連なった城壁、いわゆる長城は存在するが、万里の長城が規模的にも歴史的にも圧倒的に巨大なため、単に長城と言えば万里の長城のことを指す。現存する人工壁の延長は6,259.6kmである。
匈奴のような北方の異民族が侵攻してくるのを迎撃するために、代の紀元前214年始皇帝によって建設された。長城は始皇帝によって建設されたと一般には考えられているが、実際にはその後いくつかの王朝によって修築と移転が繰り返され、現存の「万里の長城」の大部分は明代に作られたものである。この現存する明代の長城線は秦代に比べて遥かに南へ後退している。
よく「農耕民族遊牧民族の境界線」と言われるが、秦・漢代の長城は草原の中に建っているところが多い。これは両王朝が遊牧民族に対し優位に立ち、勢力圏を可能な限り北方へと広げようとしたためである。それに対し明代の長城は防衛を容易にするために中国本土に近いところに建設されており、とくに首都北京付近においてその傾向が強く、北京付近の長城は北京から100kmも離れていない稜線上に設けられている。万里の長城は南北両勢力の境界線として機能したが、北方の遊牧民族も南方の農耕民族もお互いの物産を必要としており、長城沿いには交易所がいくつも設けられ、盛んに取引が行われていた。交易はいつもうまくいっていたわけではなく、北方民族側の思うとおりにいかない場合もあった。その交易を有利にするための威嚇として、明の力が弱い時期に北方民族は長城を越えて侵入を繰り返していた。また、長城は観念上においても両勢力の境界線として機能し、たとえば中原の諸王朝が北方遊牧民族を指す場合、「塞外」(塞は城塞の意味で、この場合万里の長城を指す)という言葉が用いられることも多かった。

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1月吉川和夫美術展〜人物を描く〜
中国の「始皇帝像」を描きました。

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始皇帝(しこうてい、紀元前259年 - 紀元前210年])は、中国戦国時代(在位紀元前246年 - 紀元前221年)。紀元前221年に史上初の中国統一を成し遂げると最初の皇帝となり、紀元前210年に49歳で死去するまで君臨した。
中国統一を成し遂げた後に「始皇帝」と名乗った。統一後、始皇帝は、重臣李斯とともに主要経済活動や政治改革を実行した。従来の配下の一族等に領地を与えて世襲されていく封建制から、中央が選任・派遣する官僚が治める郡県制への全国的な転換(中央集権)を行い、国家単位での貨幣や計量単位の統一、交通規則の制定などを行った。万里の長城の建設や、等身大の兵馬俑で知られる秦始皇帝陵の建設などの大事業を行った。また、法による統治を敷き、自身の政治を批判する学者や本を始末した焚書坑儒を実行したことでも知られる。

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1月吉川和夫美術展〜植物を描く〜
千葉県の県花である「菜の花」を描きました。
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鑑賞用
菜の花畑(チンゲンサイ
、一面に広がる菜の花畑は壮観で、代表的な春の風物詩でもある。主産地の広大な菜の花畑は観光資源となっている。
切り花用として利用されるものは、チリメンハクサイや改良品種で、葉が白っぽく縮れている。ただしこれは食用にも利用されるため、栽培時期や方法の違いによって出荷先が変わるだけともいえる。

修景用

セイヨウカラシナは、丈夫で川原や荒れた土地にも繁茂するため、河川敷や堤防、空き地に播種し、菜の花畑を作るケースがある。

栽培と文化

日本

栽培

2012年の菜花の収穫量は日本全国で約5,222tで、主産地は千葉県が1,958t、徳島県が1,248t、香川県が725tであった[1]
23月だけ出回るを残す野菜だったが、予冷技術により出荷時期が延びてきている。また、寒咲花菜のように初冬から出荷されるものもある。
各地に伝統野菜がある。
現代の日本では、菜種油採取用のアブラナ畑はあまり見られなくなったが、その他のアブラナ属の野菜も黄色い「菜の花」を咲かせるため、その種子採取用の畑が菜の花畑として親しまれている。
千葉県では早春のアブラナのほかに野菜類(カブハクサイ)が、青森県横浜町では油用のセイヨウアブラナ、信州の菜の花畑はノザワナがそれぞれ5月に開花する。飯山市では連休中に見ごろとなるよう、ノザワナの播種日を調整している。

文化

菜の花は身近な春の光景として親しまれてきたため、文学や言葉に登場することも多い。 文学作品などに登場する菜の花は、明治以降は栽培が拡大したセイヨウアブラナが主体と見られる。




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亀の長寿記録

カメ類は細胞代謝のサイクルが遅く、動物の中でも長寿の代表格とされる。 確実な長寿記録として1766年セーシェルからモーリシャスに持ち込まれ、1918年に死亡したアルダブラゾウガメマリオンのゾウガメ)の152年の飼育記録がある。他種ではギリシャリクガメ(ティモシー)の1855-2004年にかけて149年(1842年生まれの162歳だったとされるが根拠は不明)、カロリナハコガメの138年、ヨーロッパヌマガメの120年の記録がある。 不確実な記録としては1835年にダーウィンに採集され2006年に死亡したサンタクルスゾウガメ(ハリエット)は175年の飼育記録があるが、ハリエットはダーウィンが上陸しなかった島に分布するサンタクルスゾウガメであることが判明したためダーウィンが採集した個体ではないとする説もある[9]。1750年生まれとされアリポーア動物園で2006年に死亡したアルダブラゾウガメ(アドワイチャ)の255年の記録があるが、飼育していたとされるロバート・クライブが最後にインドにいた1767年からアリポーア動物園が開園する1875年までの記録がないこと、1875年にセーシェルから持ち込まれた個体とする報道もあり不確実とされる[。1773年か1777年にジェームズ・クックがトンガの女王に送り1966年に死亡したホウシャガメトゥイ・マリリア)の189-193年の記録があるが、ジェームズ・クックがホウシャガメの分布するマダガスカルに寄港歴がないこと、ジェームズ・クックおよびトンガの双方にもホウシャガメの譲渡に関して記録がないことから不確実な記録とされる。


中国の首都である北京市を、本年2018年7月に旅しました。
北京市の紫禁城の大和殿の前に、亀の姿を見ました。↓
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私は、長寿のシンボルである「亀」を描きました。↓
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北京の紫禁城で「鶴」の美しい像を見ました。
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ツルは「神秘の鳥」「幸運のシンボル」とされています。]。また、日本航空鶴丸)やルフトハンザドイツ航空などの航空会社のシンボルにも使用されています。

 ツルは古代中国の伝説では仙界に棲む鳥とされました]。ツルは吉祥と長寿の象徴で、古来より高位高官の身に着ける装飾品に用いられました。

       私は、鶴を描いています。↓
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