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オリンピックと違い、パラリンピックは今一つ盛り上がりません。 その理由の一つに、勝つことを多く求められていない。 というものが考えられます。 五輪はそれこそ、「国の威信を賭けて」というモチベーションが存在します。 柔道のようなお家芸ならなおさら。 「勝って欲しい」と観ている側も熱が入りますから、 勝った時の嬉しさや、負けた時の悔しさが大きく、 その気持ちがそのまま盛り上がりに繋がります。 パラ五輪の場合、そこまで熱い気持ちで応援している気がしません。 もちろん「頑張って欲しい」という気持ちは間違いなくありますが、 「勝って欲しい」という強い気持ちが湧いて来ないのです。 結果、負けてもそれほど悔しくない。 五輪の選手も、パラ五輪の選手も、同じアスリート。 4年間に賭ける気持ちは、変わらないはず。 にも関わらず、周りの熱が上がらないことに対する 悔しさもあると思います。 「勝って欲しい」と思わないことについて、 私は、同情や憐みの気持ちがあるから・・・ と考えていました。 「そんな身体で、無理しなくても良いんだよ」と。 しかし最近、もっと違うベクトルの感情があることに気づきました。 それはリスペクト(尊敬・敬意)という気持ち。 ハンデを背負いなお立ち上がる姿、 挑戦する姿は、それだけで尊敬に値します。 パラリンピックの選手たちは、試合で勝つ以前に より大きな困難に打ち勝っているとも言えます。 実際の試合は、その偉大な勝利を称えるための 副次的なものなのかもしれません。 それはまさにウイニングランのような。 この時点で感情マックスなのに、これ以上さらに勝って欲しい という強い気持ちが生まれないのも、道理というものです。 だから私は、障がい者スポーツを観るときはこう思います。 「ここまで出来る、という事を魅せて欲しい」 彼らのプレイ一つ一つが、勇気を与えてくれます。 願わくば、こんなにも過酷な挑戦をしているアスリートたちの活躍を、 もっとテレビで放映して欲しいとも思っています。 盛り上がるだけが、スポーツの意義じゃない。
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