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しばらくサボっており申し訳ございません。
わけあって、現在、地球の裏側にある南米大陸に来ております。
南米の中でも内陸国のボリビアから、この記事を投稿しておりますが、改めてインターネットのおかげで世界中どこからでも、いつでも、情報にアクセスできてアップできる便利さを実感しています(ただし、イレギュラーなアップデートで申し訳ありません…)。
さて、南米の華人事情はいかがなものなのでしょうか???
ボリビアの首都ラパスは、空港が標高4000mの高地にあって、空港に着いた途端に何だか息苦しくなります。大概の日本人は、酸素が不足して頭痛もしてきます。私も例外ではありませんでした(フツーの日本人であることを再確認できました、笑)。
そんなラパスでは、さすがに街を散策しても華人の姿はなかなか見られません。基本的には、先住系のインディオとスペイン統治時代からの白人がこの国の2大人種です…。
が…! やはり、ありました!
世界中どこに行っても、あるんですねぇー、中華料理屋さんは。
ラパス市内には、なぜか「HONG KONG」という名前の中華料理チェーン店が数点存在しています。
お味のほうは…、まぁまぁでしょうかね。まぁ、こんなもんかな、と(笑)。
中国から南米への移住者が本格化したのは、やはり19世紀でした。
ボリビアに限っていえば、16世紀にインカ帝国が崩壊し、スペインによる植民地化が始まったのが歴史の大転換期でありボリビアのスタート地点です。
19世紀初頭に始まった独立戦争を経て、1826年に正式にボリビアとして独立しています。
その後、周辺国のペルーやチリ、ブラジルなどとの数十年にわたるいざこざを経て現在に至っていますが、華人が本格的に入植したのはボリビアが持つ鉱山資源の採掘労働者、いわゆる苦力(クーリー)としてでした。
1855年にペルーで奴隷制度が廃止され、これに相前後して南米の大部分でも奴隷制度が廃止されました。この政策転換により、ヨーロッパから南米大陸に到来した「支配者」の人々は少しでも安い労働力を、方法を問わず、とにかく大量に調達するために中国に供給を求めました。
このころ、中国の広州ではいわゆるブローカーが横行し、誘拐などは当たり前で無法的に中国人が海外へ強制的に売り飛ばされていました。南米の「支配者」たちも、ブローカーを通じてこのような不幸な労働者を大量に雇用しました。
世界的に著名な華僑・華人研究者であるガース・アレキサンダーの名著「華僑・見えざる中国(The Invisible China)」によれば、1860年から1863年までの4年間に中国からペルーへの船旅(移送)の途中で死亡した苦力の年間死亡率は、それぞれ29.59%、22.58%、41.55%、29.13%であったとのことです。
この数字の意味するところは、当時『中国からペルーへ』は「帰らざる旅」を意味した、ということです。
そんな聞くに堪えない不幸な始まりにもかかわらず、その後生き延びた苦力とその子孫は、東南アジア同様ここ南米でも、中華料理屋、仕立て屋、散髪屋など「鋏と包丁」にかかわる仕事、そして流通や小売など商才を発揮できる仕事でたくましく「落地生根」し、華人として国の経済の実態的に重要な部分で活躍しています。
ちなみに、中米カリブ海のトリニダードトバゴ国のサー・ソロモン・ホーチョイ元総督や、ガイアナ国のアーサー・チュン元大統領は、19世紀に中国から移住した中国人の子孫である立派な華人です。
全世界に居住する華人の90%以上が東南アジアに集中していますが、残り数%の中には、このように地球の裏側にも「根強く」したたかに存在している華人コミュニティが存在します。
その歴史的背景と現在の状況をつなぎ合わせると、いろいろと考えさせられることが多くあります。
南米の華人経済についても、もう少し調べてみたいと思います。
世界は広く、歴史は深く、華人は強い。勉強になります。
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博覧強記でしられた故中隅哲郎さんの『ブラジル学入門』(無明舎、一九九四年、以下『入門』と略)を読み直して、「(日本では)一五五〇年から一六〇〇年までの五十年間、戦火に負われた多くの難民、貧民がポルトガル人に奴隷として買われ、海外に運ばれていった」(百六十四頁)との記述に目が引かれた。
驚くことに、「アルゼンチンのコルドバ市の歴史古文書館には、日本人奴隷を売買した公正証書がのこされている」(百六十五頁)という具体的な内容も記されている。
さっそく『アルゼンチン日本人移民史』(第一巻戦前編、在亜日系団体連合会、〇二年)を調べてみると、確かにある。
同国の古都コルドバ市の歴史古文書館で発見された最初の書類では、一五九六年七月六日、日本人青年が奴隷として、奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。
その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」(同移民史十八頁)とある。残念ながら、日本名は記されてい
2013/2/11(月) 午後 0:54 [ 領海・領空防衛 ]
海上保安さん、大変参考になるコメントありがとうございました。コメント返信が今頃になってしまい、申しわけございませんでした。
2013/3/18(月) 午前 2:07 [ tknaito ]