アウトドアな日々

子育てだって頑張ってます。

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それから凄い嵐が来たり、イメージ 5
地元のビール祭りで大騒ぎして、
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凄い遊具(私は首に衝撃は禁物なので、回転ブランコだけ載りました)にみんなで乗ったり、。
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射的で日本人の腕を見せつけてたりと楽しみました
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 スクォートチームと一緒に行ったミュンヘンも素晴らしかったです。
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  何かと厳しい状況だった日本チームでしたが、スクォートで石原さんが3位、石田さんが2位、素晴らしい成績です。
イメージ 6二人のこれまでの話を聞くと、ここまでに10数年、自力で遠征を重ね経験を積み、自分を鍛え上げてここまで来ています。石原さんなんて、この日のために大好物の白飯を3ヶ月以上食べていないとか、、、、ストイックに自分を鍛え上げ集中してきたからこそ得られた栄冠です。まぐれ狙いで大会参加した私がぐだくだ騒いでいるのが恥ずかしくなりました。

 今日あたりから報告書を書いているとまた「たら」がわらわらと湧いてきそうでソワソワしていましたが、ここでだらだらと書いている内にまた落ち着いてきました。今回の一番の原因は自分の語学力の酷さ、そしてまだまだ技術的にも5位以内は厚かましい話で、これが順当な結果だったと思います。
 最初で最後のつもりで、家庭的にもかなり厳しかったのに強引な出場で、いろいろ思い入れの強すぎた大会でした。それだけにこんな終わり方のショックは強くて、随分混乱しました。直しましたが、田邊君に八つ当たり的な文も書いてしまいました。ごめんなさい。
 次のアメリカ大会、出られればよいのですが、長男の病気とかの家庭状況、そして今回も右手親指が壊れてしまいましたが年齢的にもどんどん厳しく無理が利かなくなってきています。それに、これからクラスにも人が増えれば代表になれないかも知れません。練習すべき方向もわかりました。これまでのようながむしゃらな練習でなく、ポイントを押さえながら体をいたわりつつ、頑張っていきたいと思います。皆さんも見捨てずに、助けてやってください。

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行き場のない気持ちを抱えたままホテルに帰るとちょうど朝ごはんの時間です。沢山のハムやソーセージ、パテ、チーズ、フルーツ、美味しいパン、落ち込んでいても食欲は旺盛で、仕上げのヨーグルトを食べている内に落ち着いてきました。落ち着いてくると、私がここでバタバタすればこれから出番のあるチーム全体の士気に影響するのが気になり出しました。
 気分転換しようとホテルから外の広場に出ると、この日はドイツの祭日で広場を通行止めにしてミサが開かれています。短いお説教の後、短い賛美歌、そしてそのまま200㍍ほど先の教会までみんなでパレード。そして教会の前で再びミサ。言葉は分かりませんが、お説教と賛美歌が繰り返されているうちに体の中のもやもやがすっと抜けていくようでした。出発前に出雲大社でお払いしてもらったときはピリピリとした電気的なものを感じましたが、ここでは体の中を抜けていく弱い光のような物を感じてとても癒されました。
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 ミサが終わると参列者はたちまち居なくなり、片付けているおじいさんに聞いてから教会に入りました。後ろの方の席に座り、祭壇後ろのステンドグラス越しの光を受けている内に「たらは禁物、これが自分のふさわしい位置、後はチーム第一。」と考えもまとまりました。
 1人運転して会場に戻りました。チームのみんなに「もう平気http://img.mixi.jp/img/emoji/58.gif」て顔を振りまいていると、隣のスペインテントからオディがちらちらこちらを伺っています。さすがに隣で愚痴るのもまずいので、販売ブースが並んでいるゾーンへ。ここでミニチュアのダウンリバーゲームで地元の綺麗な英語を話す小学生グループとうちのステッカーを掛けたレースをやって盛り上がりました。
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子ども相手にはしゃいだ様子を見て安心したのか、以前からフェイスブック繋がりな同じOC-1クラスのイーライとマーチンが「残念だったね。」 と声を掛けてきました。電子手帳で翻訳しながら、ぶちぶちと愚痴を聞いてもらい「ま、次のアメリカ大会でガンバりゃいいさ。」なんて言われると「そうだよね、このままじゃやめられないよね。」てことになり、イーライが「次の会場はうちの近所だからうちに泊まりなよ。」て話になるともうすっかりその気です。そのままイーライの紹介でビックドックの社長と話しをして最新のプロトを格安で譲ってもらえることになり、さらにビックドックのディーラーにならないかって言われましたが、こればっかしはいくつか悲惨な例を見ているので返事を避けました。
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たらがいっぱい

 振り返れば、「たら」が沢山の大会でした。
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スピンは日本での癖でぐるっと回ればオッケー、とすぐに反対スピンに向かう癖が付いていて結局回れていたのに0点。終わってから「あれっなんで0点なんだ。」「そりゃあ、360度以上回っていないからだよ。」って、国内の甘いルールになれていました。
1本目でスピンのポイントが取れていると信じ込んでいたので、2本目いきなりブラント狙い、減水してドホールになったところでブラントなんて出来るわけもないので当然角度なんて出ず、仕方なしに姿勢を崩したまま無理矢理反対スピンに行ってホールアウト、そのまま一生懸命漕いでホールインすればぎりぎり間に合ったのに変な受け狙いのポーズなんかとっているから間に合わず、、。
 「まあ、0点じゃないから良いか。」と半ば納得で、現場で意気投合したオディと記念撮影。
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 それでも、スピンの点ぐらいは入っているのかと思いきや、見事に0点(ダンも0点でした)、12人中4人0点で同率8位?でも0点での出艇順に順位が付いているのがすごく嫌でした。
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 当然予選落ちだな、、、とがっくりしながら結果発表を見たものだからまともにみられてなかったんですね。12位の下から上に矢印がしてあって、横に「1/2がファイナル」って書いてあるもんだからてっきり6位までが予選落ちだと信じ込んじゃった。よく見てみれば、下に「全員セミファイナルへ」って書いてあるのになぜか目に入らなかった。チームの皆さんも同様だったみたいです。0点だったダンの救済のためって噂もちらほらと、。
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 で、翌日、落ちたけどOC-1のみんなを応援しようと田邊君の向かう予定が、なぜか駐車場と部屋とで待ち合わせを間違えて15分の遅れ。
ここでいつもなら私の艇と装備を積んだままの車で行っていたところを、なぜか田邊君の車で会場へ、。
 到着したのが開始時間。会場から私と田邊君の名前が連呼されています。慌てて走っていったら着替えていない私を見て、オディが「なにしてんの!」(スペイン語なので想像です)、ジャッジに「てっきり落ちた物だと思っていた。」「すぐに着替えろ、待ってやる。」と言われても装備も艇もホテルでは、、、。
 残念ながらここで競技は開始してしまいましたhttp://img.mixi.jp/img/emoji/55.gif。オディが「君んとこはコーチが居ないのか。」らしきことを言いながら肩をたたいてくれましたが、私は頭を抱えるばかりでした。
 すぐに八木さんが駆けつけてくれましたが後の祭り、どうしようもありません。昨日の回しきっていないスピンが悔やまれてしょうがなかったところに、まさかもう一度チャンスがあったとは、、。それをわざわざいくつかの勘違いといくつかの不運で逃してしまうとは、、、。さすがに落ち込みました。「たら」が一杯頭の中をぐるぐる回って居ても立っても居られず、そのまま日本ら帰ってしまいたいと真剣に考えました。
 田邊君はこのまま見たいと言っていましたが私が耐えきれず無理矢理ホテルに帰ってもらいました。帰る車の中でも「たら」がぐるぐる回って錯乱しそうです。他のチームのようにせめてコーチや監督が居たら、、なんて思うと派遣しなかった連盟に腹が立ってきました。

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