将棋記者八雲のノート

将棋中継記者です。モバイル中継と順位戦中継をしています。

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 梅田望夫さんと言えば、竜王戦や棋聖戦のWEB観戦記でお馴染みの方。
 これまでの将棋界にはなかったスタイルの観戦記で、将棋中継に新しい風を吹き込んでいる、これからの将棋界でとても重要なファクターとなることは間違いない方ですね。
 
 本書は、そんな梅田さんの観戦記の顛末をまとめた本ですから、ちょうど一年ほど前の発売当初から大変気になっていたのですが、不況のこのご時世、本一冊購入するのにも、なかなかお小遣いのやりくりが大変で、どうしても定跡書などを優先して、こちらの本を後回しにしていました。
 
 しかし今回、自分がネット中継に携わることになって、どうやって勉強していこうかと考えた時に、真っ先に思い至ったのが梅田さんの観戦記とこの本だったのです。
 
 この本では、梅田さんが2008年の棋聖戦と竜王戦を観戦記を担当した際のことをベースとしながら、将棋には指す楽しみ以外に、観る楽しみがあるのだ、という持論を展開されています。
 
 これまで将棋界(アマチュアも含めて)では、プロの将棋を観戦するにはある程度の棋力が必要で、しかも棋力が上がれば上がるほど、より深いところまで指し手の意味がわかり楽しんでみることができるはずだ、という暗黙の認識のようなものがあったようです。
 
 しかし、梅田さんは、まったく指さない人でも、棋力が低くても、極端な話、駒の動かし方など最低限の将棋という競技の内容さえわかっていれば、プロ同士の対局は面白く楽しめるのだと言っています。
同じ意味のことを渡辺明竜王も自著で書いており、この本でも引用されていますので、ここでも紹介します。
 
 将棋を指すのは弱くとも、観て楽しむことは十分できます。例えばプロ野球を見る時。「今のは振っちゃだめなんだよ!」とか「それくらい捕れよ!」(中略)言いながらみますよね。それと同じことを将棋でもやってもらいたいのです。(「頭脳勝負」ちくま新書)
 
 梅田さんの主張、渡辺さんの主張、確かにその通りですね。
 ただ、渡辺さんの発言を引用する直前の部分で、対比する例として、野球のイチロー選手の言葉も引用されています。その部分には私は少し違和感を感じました。
 
 内容を要約すると、メジャーリーグのワールドシリーズをテレビ観戦したイチロー選手が、テレビだとピッチャーとバッターの微妙な、そして非常に高度な駆け引きはなかなか伝わらない、だから見ている人が、そのへんことをわからずに、安易に選手を批判するようなことを言ったとしても仕方が無い、許そうと思う、というようなことです。
 これを先ほどの渡辺さんの言葉と対比させて次のように言っています。
 
(渡辺さんの言葉の後に続けて)・・・という心の叫びに比べると、イチローの「それは許そう、と思っている」というつぶやきが、どれほど贅沢な悩みなのか、ということがよくわかるだろう。
 どんなスポーツ競技も、また頭脳スポーツである将棋も、その奥の深さを、観ている者が完全に理解したり、感じとったりすることはできない。しかし野球が「テレビ画面を通すとやさしく見えてしまう」から「わかった気になって楽しめる」のに対し、放っておくと将棋は「あまりにも高度でわからない」という感覚を、観る側に呼び起させてしまう。(97ページ)
 
 ここを読んだときに、あ、ちょっともったいない感じがするな、と思ったのです。
 もったいない、というのはイチロー選手の発した言葉を、将棋と比べたら贅沢な悩み、の一言で片づけていること。私はこのイチロー選手の言葉を読んだときに、競技をより面白く観戦するためのヒントが隠されているような気がしました。
 
 つまりイチロー選手が暗に言いたかったことは、いまのメジャーリーグのテレビ中継では、野球の超一流選手同士の駆け引きの本当に微妙な、最高の技術のぶつかりあいの部分、一番面白いはずの部分が、伝え切れていない、ということだと思ったのです。
 
 どんな競技でもそうだと思うのですが、その競技のファンの人というのは、必ず競技内容や選手の能力に対しての一家言を持っているものです。そしてそれは、必ずしも「分かった気になっている」だけの無責任な評論ではなく、一理も二理もあるような、まっとうな評論であることも少なくありません。そして、そういった、自分なりの見解を持って観戦することが、その競技を楽しむためには、ほぼ絶対的に必要なことだと思うのです。
 
 だからこそイチロー選手は、今のテレビ中継の内容では、メジャーリーグの深い部分の面白さを伝え切れていない、観戦する人がより深い一家言を持ち、より楽しんで観戦するための補助となっていない、逆にそれが出来れば、もっともっと野球の魅力がファンに伝わるのに、ということを嘆いていたのではないでしょうか。
 
 そう考えてみると、将棋は難しい、よくわからない、という最初の敷居が高くなっているであろう現状に対して、強くなくてもいいんです、野球観戦と同じように無責任に評論しながら気軽に観てください、と勧めることは、最初の第一歩としてはいいのかもしれませんが、将棋を観るファンを本格的に増やす、という目的からすると、少し不足しているのかもしれません。
 
 将棋を楽しく観戦するのに、将棋のプレイヤーとして強い必要はない、これはあらゆる競技の観戦と比較して間違いのない事実だと思います。しかし、将棋を観て楽しむためには、観戦する側の誰しもが、単なる無責任な感想ではなく、一家言と言えるほどの高い見識の評論ができるぐらいの、観戦力のようなものを身につけていく必要があるのだと思います。
 
 これが、映画やドラマ、舞台や小説、マンガといったものであれば、意識して観戦力を身につける必要はないのでしょう。観て読んで面白い、感動したものを心に焼き付けて、そういった経験をたくさん積んでいるうちに、自然と観戦力が身について、いつのまにかいっぱしの評論が出来るようになっていくのが自然です。
 
 しかし競技の場合には、ルールを知ることから始まって、競技の見どころを知ること、選手の個性を知ること、駆け引きの内容を知ること、ある試合の背景やその意義を知ること、競技中の選手の心理状態を想像する力を身につけること、そういったことを一つ一つ覚えていくことで、観戦力が高まり、より面白くなっていくのだと思います。
 
 こうして考えて行くと、観戦力を身につけることは少し面倒なことのようにも感じます。しかし、恐らく人間には誰しも、あるジャンルで一家言を持てるほどの見識を身につけたいという、向上心というか、もっと簡単にいえば欲があるのではないでしょうか。「自分はこの分野に関してはとても詳しいんだぜ」と思うことは、自尊心を刺激してくれる心地よいことのはずです。
 
 今現在、日本の伝統文化が海外で高い評価を受け、そしてそれがフィードバックする形で、国内でも伝統文化に興味を持つ人が増えているようです。将棋も日本が誇る伝統文化の一つ。きっと将棋の観戦力を身につけて、一家言持てるようになりたい、と思ってくれる人は大勢いるのではないでしょうか。
 
 そういった人たちの自尊心をうまく、くすぐるような充実した中継が行われていけば将棋ファンの裾野は広がっていくのではないか、と感じました。
 
 ずいぶん話が横道にそれて長くなってしまいましたが、ともかくイチロー選手の発言の部分に関してはちょっともったいなかったかな、と、そんなことを考えながらこの本を読み進めていくと、後半の羽生善治名人との対談の中でこんな文章がありました。
 
梅田 (野球観戦で球場に行く意義を語っている)・・・内野手も外野手も、ストライク・カウントやランナーの配置によって、どちら側へ何歩分、体を持っていくかというような微妙なことを、常に変えているいるのだそうです。(中略)僕も野球が好きで球場へもよく行きますが、勉強してからいくと、見えるものが違ってくるわけです。情報量が多くてすごく疲れるんだけど、わかる。なるほど、だからショート、あのギリギリの横っ飛びで捕れたのか、とか。(中略)ところがテレビで見ているときは、そんなことは見えないわけですよ。投げる瞬間、捕る瞬間だけ。(後略)(P264)
 
 これを読んでイチローの発言のときに少し感じた違和感が解けたような気がしました。
 つまり、私が考えたようなことは当然ながら、梅田さんも十分にわかっていたんですね。その上で、イチロー選手の言葉を引用したときには、話をわかりやすくするために、渡辺さんの言葉と対比させる形にした、ということだったようです。
 
 これでスッキリとこの本を読み終えることが出来たわけですが、読み終わってあらためて考えてみると、将棋を面白く伝える、というだけでも様々な可能性が考えられるんだなと感じました。
 
 一方で、梅田さんも繰り返しおっしゃっていることですが、将棋の場合はどうしても発言力に棋力が関わってしまうことが避けがたいのもまた事実。せっかく将棋を指すほうでなく、観戦するほうの力を身につけて、対局中の心理的な駆け引きなどを読んだ発言をしても、棋力のある人から、具体的な指し手を示しながら、そんなことはない、と否定されてしまうと、黙るしかないのが現状でしょう。
 
 タイトル戦などの応援掲示板が、アクセス数に比べるといまひとつ投稿が少ないように感じるのも、恐らく皆棋力に自信が持てず、書き込むのに気後れしているのではないでしょうか。
 
 そうした現状を変えていくには、中継でコツコツと、棋力に頼らない解説を増やし、将棋の観戦は棋力によらない部分も多数あるのだ、ということを啓発していくしかないのでしょう。
 
 それをやっていくにあたって、一人凄く参考になるプロ棋士がいます。
 そのプロとは勝又清和六段。年齢的にはほぼ羽生世代の勝又さんは、戦法や棋士の特色の解説力が棋界随一との評判で、教授という異名で呼ばれるほどの方です。
 
 教授と聞くと、さぞ難解な解説をしそうなイメージですが、実は勝又さんの解説はその正反対。難解な指し手の解説は極力避けて、イメージや例え話などを上手に使って、棋力のない人でも、具体的な指し手ではなく、考え方、捉え方として理解できるように説明してくれるのです。
 
 トランプのコントラクトブリッジに例えて、トッププロの手渡しの技術を解説したり、終盤の技術を距離感や、スピードをコントロールする手法として分類して解説するなど、実に多種多彩な解説を見せてくれています。
 私はこれこそが将棋解説の一つの理想形ではないかと思うほどでした。

 この勝又教授が分類・整理してくれた、将棋の戦法や技術などを、多くの中継コメントや解説で使用していくことで、観戦する人たちの間に、共通の言語のようなものが生まれて行けば、棋力に依らず、誰もが気軽に発言し意見を交換しあえるような環境が生まれて行くのではないでしょうか。
 
 今回は梅田さんの著書の感想ということで、書いていますので、この辺で終わりにしますが、また近いうちに、将棋の観戦力というテーマでじっくり考察して書いてみようと思います。そのときには勝又教授による技術の分類についてももっと詳しく調べたり、梅田さんがWEB観戦記で行ってくれた手法なども、研究し、紹介していければと思っています。

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