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2019.08.28 # 韓国# 防衛・安全保障
文在寅の韓国が「西方世界」から脱落…米韓同盟の消滅が意味するもの(現代ビジネス)
日本はどう対応すればよいか
櫻田 淳 東洋学園大学教授
**韓国と日米の認識のずれ
8月23日、文在寅(韓国大統領)麾下の韓国政府は、日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)の破棄を日本に対して通告した。
前日の韓国政府の破棄表明への反応として、米国国防総省声明は、「文政権が日本とGSOMIAの延長を行わなかったことに強い懸念と失望を表明する」と強調し、米国国務省声明は、「今回の決定は、私たちが直面する北東アジアの安保の課題について文在寅政権の深刻な思い違いを反映している」と指摘している。
また、『ウォール・ストリート・ジャーナル』記事(電子版、8月22日配信)は、「これは、われわれの集団安全保障に対する文在寅政権の関与について、赤裸々にして根本的な疑問を提示している」という米国政府部内の声を伝えている。
古今東西、戦場では「敵方」よりも「陣構えを崩した味方」の方が厳しく処断されるものであるけれども、「文在寅の韓国」の対応は、その「陣構えを崩した味方」の類のものであった。米国政府が強い反発を示したのも、当然である。
この日韓GSOMIA破棄に絡む顛末は、米韓両国において、日韓GSOMIAの扱いが何を意味するかについての認識の違いを表した。
日韓GSOMIAの扱いは、韓国政府にとっては、対日関係に絡む案件であったのに対して、米国政府にとっては、自ら盟主として主導してきた「西方世界」同盟網の結束に絡む案件である。日本政府もまた、米国と認識を同じくしていた。
こうした認識の違いは、米国の視点からは、韓国が「西方世界」同盟網の一翼を担う国家として信頼に値するのかということについて、疑念を投げかけるものであった。
米中「第2次冷戦」が始まったと語られる時節であればこそ、米国の「懸念と失望」は、その言葉以上の重みを帯びている。
実際、前に触れた『ウォール・ストリート・ジャーナル』記事が伝えたように、日韓GSOMIA破棄は、「北朝鮮、中国、ロシアに対抗しようとする米国政府の努力を切り崩す」ものなのである。
**褪せることなき文明論上の格上意識
筆者が既に幾度も指摘したように、朝鮮半島それ自体は、永き中世封建制の歳月を経て自由・民主主義・法の支配の土壌を育んだ日本や西欧諸国、そして西欧諸国の文明上の後嗣としての米加豪各国とは異なる「文明」空間である。
2017年4月の米中首脳会談の折、「朝鮮半島は事実上、中国の一部であった」と語った習近平(中国国家主席)の認識は、「文明」の観点からは何ら誤っていない。
実際、北朝鮮では、「中国」文明圏域の特色としての専制による統治が金日成執政期以来、現在に至るも続いている。
現下の香港や台湾での動きもまた、専制による統治の波及を懸念してのものである。
第2次世界大戦後の韓国が北朝鮮と異なる道を歩み得たゆえんは、日本による植民地支配と朝鮮戦争後の米韓同盟の樹立の結果、日米豪各国や西欧諸国のような「西方世界」の文明上の価値意識の影響を受け続けたことにある。
「漢江の奇跡」と称された1960年代後半以降の経済発展にせよ、1980年代後半以降の民主主義体制の確立にせよ、それらは、韓国が「西方世界」同盟網の一翼を担っていればこそ、実現できたことであった。
ただし、韓国の国情を語る上で見落とすことができないのは、こうした表層としての「西方世界」文明の価値意識とは別に、「中国」文明由来の価値意識が底層に沈殿しているという事実である。
韓国や北朝鮮に共通する朝鮮半島ナショナリズムの本質は、「中国」文明の枠内で「自主の立場」を貫いてきたという意識にこそある。
そして、岡本隆司(京都府立大学教授)や平野聡(東京大学教授)のような中国史学者が揃って指摘するように、「中国」文明の前提は、万事を「上下関係」に落とし込む秩序意識にある。
清朝成立以後、この「上下秩序」意識に本家以上に凝り固まっていたのが、朝鮮王朝であった。往時の朝鮮王朝の認識では、夷狄が築いた清朝よりも自らこそが中華の「礼」を体現する存在であり、そのゆえにこそ、「朝鮮−中華・格上/日本−野蛮・格下」という図式は自明であった。
平野によれば、現在では江戸期における日朝交流の一風景として語られる朝鮮通信使の往来も、「朝鮮からすれば、上国が野蛮国に《文明》の恩恵を施す」演出に他ならなかった。
明治以降、現在に至るまで、国際社会における「権勢」や「威信」において、日本が一貫して朝鮮半島の「上座」に位置してきた事実は、「日本は本来、格下であるはずなのに、現実には、そうではないのか…」という朝鮮半島独特の「恨」の心理を沈殿させた。
従軍慰安婦案件を含めて、植民地支配や戦争を事由とした韓国の度重なる対日謝罪要求は、「道徳上、韓国は日本よりも上である」と絶えず確認する機会に他ななかった。
そして、日本政府が輸出管理に関して発動した対韓優遇停止措置に韓国が朝野を挙げて示した反発もまた、結局のところは、「『格下の国』である日本が『格上の国』である韓国に楯突いて来るのは、許し難い…」という心理の反映に過ぎない。
諸国の「平等」を趣旨とする近代国際政治体系の中で、特に日本に対してだけは「上下秩序」意識が通用するかのように振舞った韓国政府の姿勢こそが、日韓確執を深刻にした一因である。
日本は、近代国際政治秩序の下地としての「西欧」文明の価値意識を早くに受け容れ、「万国公法」の尊重という信条を自らのものとした。戦時労働者案件に絡む韓国政府の対応は、それが「国際法の遵守」という信条に抵触するがゆえに、日本政府には受け容れ難かったわけである。
**586世代という害毒
ところで、1980年代後半以降、第1次冷戦終結以後の30年の歳月は、韓国にとっては紛れもなく「幸福な時代」であった。
韓国にとっての「幸福な時代」の条件を成したのは、「軍事政権から民主主義体制への移行」、「グローバリゼーションの波に乗った経済発展」、「南北関係を動かし、中露両国にも広げた外交の幅」の3つであった。
「西方世界」同盟網の中で、そうした3つの条件を活かしてこそ、韓国は、1996年にはアジア圏では日本に続きOECD(経済協力開発機構)加盟国に名を連ねるに至ったのである。
しかるに、特に文在寅政権下、そうした3つの条件は、一転して「凶兆」として作用しているところがある。
「民主主義」は、朝鮮王朝時代ならば朝廷延臣層に限られた「党争」の様相を衆庶層に拡散したことによって、却って政治混乱と社会分断を激しくしている。
「経済発展」は、独特な「自主」意識と「上下秩序」意識とに結び付いた朝鮮半島ナショナリズム機運を裏付けたものの、その経済発展それ自体が日本を含む他国との関係の所産であるという認識を薄くさせた。
そして、「外交の幅」は、朝鮮半島ナショナリズムの表れとして南北融和を目指した政策対応を後押ししたものの、「西方世界」同盟網への忠誠の度合いを低下させた。
文在寅の周辺に盤踞する「586世代」(文在寅政権期現在に50歳代で、1960年代に生まれ、1980年代に民主化運動に参加した元学生活動家)と称される人々は、この3つの条件に支えられた「幸福な時代」の果実を充分に食しつつ、その3つの条件を「凶兆」に転じさせるのを主導しているようである。
韓国の左派思潮を代表する『ハンギョレ新聞』社説(日本語電子版、8月24日配信)は、日韓GSOMIA破棄に対する日米両国政府の反発を批判しつつ、次のように記している。
「日本が反発し、米国が抗議する状況だが、韓国政府はこのような時であればあるほど、国民を信じて毅然として対処しなければならない」。
それは、同盟よりも民族意識を重視する「586世代」の価値意識を鮮明に表しているといえよう。
**38度線の対馬海峡移動を前提として
韓国が「西方世界」同盟網の枠組から脱落しようとしている今、日本の対応方針は、どのようなものであるべきか。
米韓同盟の枠組の消滅は、日本の安全保障上の最前線が「38度線」から「対馬海峡」に後退することを意味する。
それは、日本が安全保障上、直接に関与する領域が 南西諸島周辺だけではなく日本海西部にまで拡がる事態を招く。第2次世界大戦後の七十余年はおろか、明治以降の150年を振り返っても日本が直面することのなかった安全保障環境が浮かび上がることになるのである。
そうした安全保障環境への適応は、それ自体が日本にとっての一大試練になる。無論、文在寅退陣後の韓国政局で保守勢力が権力を掌握すれば、米韓同盟の枠組と「38度線」の存続が期待できなくもない。
少なくとも、日本にとっては、その方が安全保障に絡むコストの上で有り難いものであるのは間違いない。
経済発展と民主化の後、朝鮮半島の外の世界の常識に触れた世代の人々の中に、朝鮮半島独特の「上下秩序」意識を相対化させる気風が芽生えつつあるのであれば、そこにこそ1つの希望はある。
けれども、前に触れた韓国「民主主義」の振幅の大きさを踏まえるとき、その後に「文在寅の再来」が登場する可能性を排除するのは難しい。日本にとっての「38度線」の存在は、第2次世界大戦後の特殊な国際政治環境の所産であり、それを自明のものとして考える時節は過ぎているのかもしれない。
このようにして、日本には、不承不承ながらも「38度線」が消滅した国際環境を前提として、自らの対外戦略構想を打ち出すべき時節が近付いている。
筆者は、既に日米両国の共通構想となった感のある「自由で開かれたインド・太平洋」構想こそは、その下書きとして相応しいと考えている。
要は、その構想に対して、どれだけ具体的な安全保障政策上の肉付けを与えるかということに他ならない。
たとえばINF(中距離核戦力)全廃条約の失効を受けて、米国国防総省は過刻、地上発射型中距離巡航ミサイルの発射実験を実施したと発表した。米国の中距離ミサイルは、中国やロシアを念頭に置くものである以上、それが中露両国を取り巻く極東・西太平洋地域に配備されるのは必定である。
その際、日本は、配備拠点として米国の中距離ミサイルを引き受けることができるのか。そもそも、米国の中距離ミサイルが核弾頭付きのものである場合、非核3原則との整合性は、どうなるのか。
イージス・アショア配備にすら反対の声が上がる日本の国内政治状況を踏まえるとき、そうした議論に際しては、相当な紛糾が織り込まれなければならないであろう。
とかく、日本を取り巻く安全保障環境が厳しくなれば、憲法改正を説く声が大きくなるものであるけれども、重要なのは、中距離ミサイルの受け容れを含めて、インド・太平洋方面では日米豪印各国を中軸とする「西方世界」同盟網の結束と深化を担保する議論である。
米韓同盟は、永らく日本の安全保障に付された「大き過ぎる補助輪」であった。今、その「大き過ぎる補助輪」は、外れようとしているかもしれない。日本は、それを試練としてだけではなく、好機としても観るべきであろう。
*櫻田 淳 JUN SAKURADA
東洋学園大学教授
1965年生まれ。北海道大学法学部卒業、東京大学大学院法学政治学研究科博士前期課程修了。愛知和男衆議院議員・政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科非常勤講師、東洋学園大学現代経営学部専任講師、同准教授、2011年4月より、同教授。1996年、読売論壇新人賞・最優秀賞受賞。2001年、正論新風賞受賞。著書に、『国家への意思』(中公叢書)、『国家の役割とは何か』(ちくま新書)、『「常識」としての保守主義』(新潮新書)など。
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