ヤボテンの花

一人ぼっちの生活をしています

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ちょうど、梔子(くちなし)の花の咲く頃ですね。今まで、この曲をちょくちょく探してたんですが、あんまりアップされてませんでした。1度見つけた時もあったんですが、都合で翌日やろうと思ったら、消されてるというのもありました。今日はいけるでしょうか。では、歌に行きましょう。タイトルをクリックして下さい。

 くちなしの花(渡哲也;3分9秒) 

歌詞はこちらをクリックしてくださいね。

時々書いてますけど、役者さんが歌うと、こういう風に訥々と歌うことが多いですね。当然日頃セリフというもので商売してるんですが、言葉を大切に歌いますね。正直、音程やリズム感がよくない、一本調子なことも多いのですが、なんか聴いてて響くものがあるんですね。まぁ、珍しさも手伝ってることも多いですが。

曲もいい曲がつくことも多いですね。この曲はオジサンの愛唱歌ですから、ヤボテンはカラオケではあんまり歌いませんが、この曲を十八番にしてる人の中には、しみじみと、切々と歌う人がおられます。ヘタで聴いてられない人も中にはいますけどね。まぁ、ご本人が納得されてたらそれでいいでしょう。

 くちなしの花/海雪(ジェロ;5分5秒) 

この曲を探してたら、ジェロの歌うものがありました。ジェロもうまいのですが、黒人だからと割り引いてもらってるところがあるようですね。ただ、「くちなしの花」は、メロディーは単調で、ある意味、歌のうまさがなかなか出せない曲なんです。

なお、ジェロの映像の後半は、彼の持ち歌の「海雪」で、歌いこんできてるのか、最初の頃より、感情がかなり入るようになってますね。ジェロ演歌というものができつつあるようです。この映像の歌い方はヤボテン好みです。デビュー時に、プロモを使って、ブログでもやりましたが、あの時は上手すぎると批評しました。味が、色がついてないと書きましたが、ずいぶん慣れてきたこともあるのか、うまくなってますね。

 くちなしの花(テレサ・テン;3分30秒) 

なお、この映像の3分30秒以降は、↑の渡哲也の歌だけの映像です。ダブってて申し訳ありません。そっちの映像がなければ、これでやったんですが、やっぱり、元歌には敬意を表しなければということで、ご了解願います。

最後にテレサ・テンのものですが、歌詞は中国語です。中国語はチンプンカンプンのヤボテンですが、元歌で歌詞の意味が分かってるのこともあって、十分に聴くことができます。
女性が男性の立場の曲を歌っているのですが、圧倒的に、逆のケースが多くて、ヤボテンは、いつも男性が女性の立場の曲を歌う時は、こういう女性は、いとおしくて抱きしめてあげたいという気持ちで歌うと書いてますが(徳永の受け売り)、この場合、テレサはこんな男性になら抱きしめられたい、身を預けて安心できるという感じで歌ってるんでしょうか?

テレサ・テンの歌い方は、ヤボテンもよく参考にします。とはいっても、天才のテレサとヤボテンとでは、比較の対象にはなりませんけどね。当たり前のことではありますが、




テンで話になりません!



     
オマーン戦の今日、日本サッカー界の功労者の1人がお亡くなりになりました。メキシコ五輪銅メダルの時の日本代表の監督だった長沼氏、ヤボテンにサッカーへの興味を教えてくれた人でした。オリンピック後、新書版で発刊された「チームプレー」という本を長く持ってたんですが、今はどこへ行ってしまったのか。
<訃報>長沼健さん死去、77歳 日本サッカー協会元会長

 毎日新聞(一部抜粋)

 日本サッカー協会元会長で、1968年メキシコ五輪の監督として銅メダルを獲得した長沼健(ながぬま・けん)さんが2日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。77歳だった。親族のみで密葬を行うことにしており、葬儀日程は未定。

 1930年、広島市生まれ。14歳だった45年8月、被爆した。関西学院大でフォワードとして活躍後、53年に中央大に学士入学。日本が初めてワールドカップ(W杯)の予選に参加した54年スイス大会の日本代表に選ばれ、韓国戦で日本選手初のゴールを決めた。

 55年、古河電工に入社。メルボルン五輪(56年)に出場した後、62年に32歳の若さで日本代表監督に就任し、東京五輪(64年)でベスト8、メキシコ五輪(68年)では釜本邦茂選手らを擁して銅メダルを獲得した。ドイツ人のデッドマール・クラマー氏(83)をコーチとして招き、基本プレーを徹底的に鍛えた。

 76年、2回目の代表監督を退任した後、日本サッカー協会の専務理事、副会長などを経て、94年第8代の会長に就任。日本と韓国の共同開催で行われた02年のW杯招致では日本組織委員会副会長を務めた。05年日本サッカー殿堂入りを果たし、現在、日本サッカー協会最高顧問、日本体育協会副会長。
突然の訃報でしたが、ヤボテンにとって、川渕さんよりも功績のある方かもという感じです。特に、印象にあるのは、メキシコオリンピックですね。前に、どこかで書いたかもしれませんが、もう1回、追悼の意味も込めて書きます。

全日本サッカーの監督として、東京オリンピックで、アマチュアとはいえ、強豪国だったアルゼンチン戦で勝利を収め、サッカー熱のきっかけとなり、メキシコ五輪の銅メダルへと繋がるのですが、他の競技に先がけ、五輪の翌年、日本リーグを発足させた功労者の1人が、長沼氏でした。

この日本リーグが、Jリーグに発展していくのですが、これがなければ、メキシコ五輪もなかったし、未だにハンドボールのように、五輪やW杯も夢のまた夢だったかもしれませんね。

メキシコ五輪後、上にあげた「チームプレー」という新書で興味深かったのが、その予選での話でした。たぶん6カ国かで予選をやったのですが、第1戦、日本はフィリピン相手に、15対0という記録的な大勝後、韓国との3対3の激闘を経て、最終日を迎えます。

ポイントは、同率首位で並ぶ韓国との得失点差で、はっきり数字は覚えてないんですが、試合前日、韓国の監督が20対0くらいで勝ってみせると公言。これにフィリピンがバカにされたと猛反発し、11人全員が自陣に引いたまま、徹底抗戦し、結局5対0でしか韓国は勝てず、日本の出場が決まったのです。

同書で、「試合前に、相手チームを不必要に嘲るものではない、逆の立場だったら、できるだけ多くの点を取れるように頑張るとしか言わなかっただろう」と書いておられました。気質の違い、日本に対する対抗心もあったでしょうけど、韓国では、サッカーは国技だそうで、日本で言えば、柔道みたいなもんですからそういう発言になったんでしょうけどね。

それと、五輪の3位決定戦で、試合後、喜びを爆発させ、はしゃいでいた選手たちが、宿舎につくなり、出場選手がバタッと倒れるように、疲労困憊で起き上がることもできなかったと言う話が印象に残っています。この本でスポーツのチームプレーというのはどういうものかということも勉強になりました。

亡くなられた日に、オマーン戦に快勝したのが何よりの供養というやつですね。でも、本大会に行けなければ、全員長沼さんのお墓の前で、頭剃るくらいの気持ちでいかないと・・・。とにかく、



ご冥福をお祈りいたします。



       

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