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先週の土曜日に練習した詩吟の内、もう一つのものです。1週間以上経ってますので、ぼちぼちやっておかないと、わすれちゃいますからね。小楠公すなわち楠正行(くすのきまさつら)の墓に、作者杉孫七郎お参りした時に詠んだ詩ですね。 作者の杉孫七郎は、吉田松陰の弟子で、海外留学経験もあり、宮内省で子爵の教育を行ったそうです。 先日の菅原道真の詩もそうでしたが、この詩も意味が分かりやすいですね。それでも、年のために通釈を、 南朝の命脈は一本の糸のように(楠氏に)かかっていた。楠氏は戦死し、お家は断絶してしまったが、その名前は長く伝えられている。(以前)あまりにも淋しい秋風に吹かれながら【無限秋風】、湊川で(大楠公;楠正成をしのんで)、涙を流したことがあったが、今度は小楠公のお墓に来て【也来此地】、さめざめと【潸然】、涙を流してしまった【灑】。 鎌倉末期は、幕府討幕運動の中で、名前を上げたのは、楠正成でしたね。南河内の小豪族の楠氏が、幕府の大軍を、ゲリラ戦法で何度も撃破したんですね。 この楠正成のお墓は湊川神社にあるようで、この詩の題材となった息子の墓は四条畷というところにあるようですね。ヤボテンは行ったことがないのですが、詩吟をする上では、身近にあるのですから、行く必要もありますね。果たして、涙が出てくるのかどうか。 この詩は、けっこう詩吟の世界では有名な詩だそうです。確かに、パッと読んだだけでも、言いたいことがよく分かります。ヤボテンがいつも歌ってる歌謡曲なんかでも、世代のせいもありますが、最近の曲の詩は、やたら、横文字やカタカナが入ってきて、意味が分からないと、歌う気すら起こらないことがありますからね。 詩吟も最初は漢字ばかりで、イッタイ何が言いたいのか分からない詩もけっこうありましたが、最近は、解説を読まなくても、何となく分かってくるようにはなりました。それも、作者が日本人の場合は分かりやすいですね。 ヤボテンの新たな欠点も出てきました。ヘタなうち、音程や節回しすらできないときは、あまり目立たないのですが、各行の出だしの言葉が口の開け方が足りないので、つかみが弱いということです。 一応初段にもなりましたので、節回しもある程度分かってきて、最初は「これでええんかな?」と探りを入れながらだったのが、「こんな感じやろ」というところまできましたから。時には、感情まで入れようとしてます。 まだまだ、感情の入れ方とかが、十分ではなく、入れ込み過ぎたり、足りなかったりしてますが、これはある程度、センスと経験の問題ですね。感情移入も、そういう風になろうと思ったら、詩に対する知識も
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詩吟
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土曜日は久々に詩吟の練習がありました。5時半から始まるということで、いつもより、やや遅いスタートです。しばらく抜けていたので、声が若干出にくかったですね。3行目の上に【上下】が二段重ねでかかれていますが、これは、前にも書きましたが、音楽で言うキーのようなものですね。 ヤボテンは、だいたい、3本というキーでやってますが、ここに中の文字が入ると、4本でやります。他の人が1本や2本で、練習の時は2本で、合吟(音楽の合唱)をやります。声の調子で、高いのが出たり出なかったりするので、2本で練習して、一人ひとりが独吟(音楽のソロ)練習をする時には、自分で申告をするのですが、出だしの音が取れないときがあります。今回もそんな感じでした。 いつも、2吟を練習するのですが、今回は、この詩と「弔小楠公墓(しょうなんこうのはかをとむらう)」をやりました。今日は、こちらからやります。 いつもどおり、詩の意味です。()内はヤボテンなりの意訳です。【】内は詩の語句です。 (思い返すに)去年の今夜は【去年今夜】、(宮中の)清涼殿にて(陛下のおそばに)お仕えし【侍清涼】、秋思の詩を読み献上致しました【秋思詩篇】。(しかし今はそのことを思い返すに)一人で断腸の思いです【独断腸】。(そのときにお褒め戴いて)ほうびに頂いた着物(恩賜御衣)は、いまここにございますが【今在此】、毎日押し戴いて【捧持毎日】、陛下の香りを嗅ぐように(お慕い申しております)【拝余香】。 此の詩の作者、菅原道真は、皆さんもご存知の通り、当代一の文芸人で、天皇の覚えめでたく、右大臣まで昇格します。一般には、「東風吹かば・・・」の和歌が有名ですが、和歌の才能にもまして、漢詩では断トツの存在で、若いときには、祖父・父についで、文章博士に任じられています。 その後、藤原時平の讒言により、大宰府に流されますが、その前年、九月九日、例年行われる重陽の詩宴の席で、「秋思詩」を奏上し、醍醐天皇から御衣を頂くのですが、配流先でそのことを思い出し、天皇への忠誠を詠んだとされています。 その「秋思詩」というのは、律詩形式ですが、詩吟の世界では、スタンダードナンバーだそうです。ヤボテンが通常練習し、ブログにしているものは、「絶句」と呼ばれるもので、4行で構成される詩ですが、「律詩」は、8行で構成されていて、新米ではなかなかできないのです。いつかする日が来るでしょうか? 今回練習した2吟とも、哀愁のある詩で、練習の初めにいつも、詩を声を出して読むということをするのですが、「断腸」などという言葉からして、これはそういう趣のある詩という感じがしていましたので、サビとも言うべき3行目は、がなりたてて吟ずるのではないなあと思っていましたが、案の定、声を出す練習の冒頭で師範の方から、そういう意味の注意がありました。 高い音を目一杯声を出すと言うのは、高ささえ合えば、しんどいことではないのですが、抑えて詠うというのは、案外難しいもので、メリハリをなくしてもいけませんし、苦闘の練習でしたね。
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最近、大会のための反復練習と、その後の詩吟の練習がないので、長い間詩吟のブログもやってませんが、昨日、「防人の詩」のブログに対するおじさんのコメントで、乃木将軍の気持ちがどうだったんだろうというのがありましたので、この詩を思い出しまして、ちょっとだけ練習しました。 ご存知の通り、203高地での戦いを踏まえてのものですが、数字にこういう字を当てていたんですね。【にれいさん】と読みます。以前からヤボテンファンの方はご存知でしょうけど、春の詩吟大会での課題吟の一つでした。ヤボテンは、これを選択せず、「寒梅」というのをやりましたけど。 では、いつもどおり、全体の意味からしますと、 203高地はいかに険しく守りが堅固でも(險)、どうしてよじ登れないことがあろうか(豈難攀)、必ず登れる。男子たるものが、功名をたてようとするならば、どんな困難も(克艱)覚悟の上である(期)。砲弾(鐡;武器のことで、ここでは大砲の砲弾)や(兵隊の)血で、山は覆われ(覆山)、その形まで変わってしまった(山形改)。全ての人が(萬人)同じ思いで(齊)、203高地(爾霊山)を仰ぎ見ることであろう。 戦いで、いかに低い山とはいえ、山の形が変わるほどの厳しいものだったというのは、ややオーバーかとは思いますが、様子が一変したので、そう思ったんでしょうね。 前半の2行は、勇ましく、戦争を督励しているようにも思えますが、3行目以降で、激戦を振り返り、戦闘の厳しさを改めて噛み締めていますね。 乃木自身も、2人の子供を日露戦争で亡くしていて、この戦争に対して、父親としてどんな気持ちを持っていたんでしょうか? 乃木坂神社には、父親を旅順戦で亡くした少年に乃木が謝罪したという逸話による銅像があるそうですが、この詩は決して戦争賛美や自己の手柄を誇示するために書かれたものではないと思います。また、そうあってほしいですね。 この戦いにおいて、乃木は麓から、人海戦術で攻めたてたわけですが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」では、戦の指揮者としての無能力論が書かれています。これは当たらずといえども遠からずとも思いますけど、同書の中で、人間的には十分評価しているようですね。 この詩を練習したときにも、3行目の一字一句には、深い意味があるように感じました。詩吟の世界では、けっこうスタンダードな詩で、男性がよく吟ずるのですが、練習した時には、強さを全面に出すようにと言われましたが、行間に若くして戦死した英霊を弔う気持ちを持つことが必要であると思いました。 昨日の、「群青」のブログでも書きましたが、戦争の陰には、戦死者だけでなく、その家族などの数え切れない哀しみがあると思います。年端もいかない少年が、無理やり、近い将来の特攻のために、飛行訓練をするシーンなど、
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土曜日は、詩吟の練習でした。前回に続いて、10月14日にある秋の大会での課題吟を練習しましたので、今日はいつもの詩の解釈はありません。来月の大会が終わるまでは、あと、練習も1回しかないので、おそらく、次回も課題吟の練習になり、詩の解釈はありませんが。もしよろしければ、今まで、練習した中から、題材を見つけてやっても構いませんが。皆さんのご希望は如何ですか? 課題吟は、 ヤボテンの友達・・・「一声之仁」 1ランク上の人・・・「淡路島」 ヤボテン・・・「折揚柳」 です。 全員が段持ちになったので、先生の指導も厳しくなり、細かいところに指摘が及ぶようになりました。まず、例えば、「折揚流」の出だしは、<水辺(すいへん)の>という言葉で始まるのですが、文章では表現は難しいのですが、一気に、『すいへんの』と発声するのではなく、『すいへん』と『の』の間に、一瞬の間を置くことに留意しなさいと指摘されます。 間を置くことによって、聞く人の耳にも、『すいへん』という言葉がはっきりと聞こえるということです。言葉が分からない吟は、いくら声がよくて、節回しがよくても、心を打たないということです。 そういえば、7月に参加した練成会でも、講師の先生が、歌舞伎の例を引き合いに出して、見得を張るように、詠うとよいと仰ってたのを思い出しました。ヤボテンはそんなに歌舞伎のことは知りませんが、「勧進帳」の弁慶がジェスチャをつけて、首を振って、台詞を言うシーンなんかは有名ですね。 多分、あれは、大見得といって、一番大げさにやってるシーンなんでしょうけど、言葉は聞く人に正確に伝える必要はありますね。 それから、【やま】というテクニックを使うところがあるんですが、一番の聞かせどころといわれているところです。低いところから、音程を上げていって、大きな声を出すところなんですが。覚えておられる方もあるかもしれませんが、人の手のような形が、ふりがなの横に振られているんですけど。 これも、一本調子に上げていくのでなく、上げかけて、一旦下げて、そこからもう一度上げるようになっているんですが、そういう風に、節をつけることが詩吟らしく聞こえるんですね。 それと、これは前から言われていたんですが、2語めをはっきり発音するということです。先程の『すいへん』で言えば、<い>ですね。 このへんを注意して、2回目の独吟(ソロで詠うこと)をすると、相当いいと煽てられ、たちまち、暑さも吹っ飛んで、天にも昇る気持になっているヤボテンでした。 ファンの方はご存知でしょうけど、今度だけでなく、大会などの公式行事には、出席しないと決めているヤボテンですが、友達からは、何とか出たらどうやと誘われました。 でも、詩吟の先生になる気もありませんし、カラオケがうまく歌えて、ついでに漢詩の勉強もできればいいと思っているだけなので、断りました。もったいないとしつこく言われてますけどね。HPやブログに対する意識もみんな低いですしね。例の件では、ホントにガックシ・・・しましたからね。それに、
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