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というのは、私は、関東に来て初めて知ったのですが、関東のお雑煮に入れるお餅は四角なんですね。
ところが、私がこの大都会に出てくるまでは、昔の安芸国(広島県)では、「四角い餅」っていうと、「切り餅」しか思い浮かばないのです。 「切り餅」というのは、杵で搗いたお餅を片栗粉をまぶした板の上に載せて、ただ延ばして乾燥させたものなんです。 そして、それを食べる時に、包丁で切って、「焼餅」にして砂糖醤油を付けたり、油であげて「あられ餅」にして食べてました。 または、黒豆を入れて延ばして「豆餅」にしてました。 そんな子ども時代に食べた、あの搗きたてのお餅は、おいしかったなぁ。 特に、餡餅はなんともいえませんでした。 大人の目を盗んで、お持ちの中に入れる、餡玉(餡を丸めたもの)をおいしく食べました。 今から、50年近く昔のことでした。 |
故郷のこと
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![]() にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 戦うオヤジへ(文字をクリック) 唐突ですが、私は「おばあちゃん子」でした。 両親が共働きで、外に働きに行っていましたから、父方の母が、家の中のもろもろの雑務をこなしていました。 母の話だと、煙草が大好きな人だったようですが、あるときからぴったりとやめたそうです。 今頃の時期になると、火鉢を出してきて、その上に薬缶を掛け、夕方過ぎるとその火鉢を囲んでいたように記憶してます。 なぜ、祖母のことを書いているかというと、43年前のこの12月に祖母が他界したからなんです。 12月というと、「クリスマス」とか「年忘れ」というイベントがありますが、私の場合は「祖母の死」と「ジョン・レノンの死」が思い出されます。 しかし、13年間祖母と一緒に過ごしたにもかかわらず、祖母についてほとんどなにも理解していないです。 まぁ、当たり前と言えば当たり前ですよね、そもそも13年間の付き合いのうち、記憶として残っているのは、せいぜいその半分ぐらいのことで、あとの半分は全く記憶に残ってないです。 そして、後半の記憶もすっかり霧に包まれてしまい、うろ覚えです。 また、日中は、学校に行っているわけですから、学校へ行く前と学校から帰ってからの日常しか知らないということになります。 そんな生活の中で、祖母の記憶として残っているのが、TVのチャンネル争いです。 それは、祖母の大好きな大相撲中継が放送されている期間でした。 私は、相撲に興味がないから、別の番組を見たいと駄々をこね、結局は、私の意見が通りました。 でも、子どもながら、祖母に悪いことをしたるなとなんかそんなすっきりしない気持ちでTV放送を見ていたような記憶があります。 部屋数が少なかったため、夜は祖母と同じ部屋で蒲団を並べて眠ってました。 いつも、祖母が先に蒲団に就いてました。 こんな冬は、祖母の体温で温まった蒲団の中に足を突っ込んで、暖めてもらっいました。 ふと、祖母のことを書き残して置きたくてエントリーしました。 |
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珍しく、屋内電話が鳴った。 電話に出ると、実家の母親からの電話だった。 先週の日曜日に、相方と次女が実家にお歳暮を送ったみたいで、それが届いたことのお礼の電話だった。 生憎2人ともまだ、帰宅していないことを伝えた。 それからは、「皆元気か?再就職はしたか?」と近況報告を求められる。 「いやあ、まだ再就職できない。」 「毎日何やってるん?」 「ハローワークに行ったりして、仕事先探してるよ。 だけど、・・・。」と、言い訳じみた回答になってしまった。 「そりゃあ、60に近いんだから、なかなか仕事もないよねぇ。」と、80歳近い母に言われてなんと もいえない。 「父ちゃんに変わるよ。」と、父に変わった。 「どうしたん。皆まだ帰っていないんか?」 「皆、仕事で帰ってきてない。俺とチーズだけだ。」 「まだ、仕事決まってないって? いろいろと、条件つけてるんじゃないんか。」と、 「そんな、贅沢言える身分じゃないよ。 応募しても、なかなか面接に行けない。」と、泣き言が出てしまう。 たまには、田舎に帰って来いと、珍しく父が帰郷を催促する。 ここに居て、家族から粗大ゴミ扱いをされるより、帰ってみようかな、ただ先立つものがないんだ。 |
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