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観葉植物

このところ急に寒くなってきました。
記憶の中にはまだあの夏の暑さが残っていますが、
忙しく時は過ぎて行っています。

11月に入りますと、南国の観葉植物は暖かい所に移動しました。
いつも脇役で目立たない植物たちですが
今年は主役に抜擢したいと思います。
クリスマスシーズンにはこの植物たちに皆さんの視線が向きますように
クリスマスの飾りつけをして次回登場させたいです。



イメージ 1

            開業祝いにいただいた観葉植物
          もう16年ちかく頑張っています。
          ご苦労さまを込めて飾りつけをしたいですね。



カトレアがさきました。


イメージ 2









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カトレア

寒くなってくるとランたちの季節到来です。
夏の間にしっかり成長して、寒くなってくると温かい部屋で開花します。

カトレアが咲きました。
ミニカトレアなので可愛い花ですが、南米の花は色艶やかですね。

イメージ 1




オンシジュームも開花


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 それぞれ小さいながらも、室内に彩りを与えてくれています。


戸外ではシンビジュームも花芽を膨らませてきました。

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デンドロビュームも健康優良児のようにまるまると太って花芽の準備中です。

イメージ 4



玄関先を飾ってくれているアンスリューム

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 植物は環境に気を付けてやるといつまでも元気に開花してくれます。
 しかし、もの言わない植物の為、弱ってきますと本当に困ってしまいます。




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ローマ人の物語

今日は衆議院選挙
台風通過中ですので、投票に相当な影響があるのではないでしょうか?
投票自体は身近に感じても、その先にある政治は遠く感じます。

雨が降っていますので、家族と諸々話していました。
息子が「衣食住を与えられたとしても、人間としての尊厳は保たれない」と言いました。
確かにそうですね。

ローマ人の物語の中にも書いてあるというので久しぶりに本を手にしました。
「多くの普通人は、自らの尊厳を、仕事をすることで維持していく。
人間が人間らしく生きていくために必要な自分自身に対しての誇りは、福祉では絶対に回復できない。」
紀元前ローマでの話ですが、当時30歳で護民官になったグラックス
世界史でグラックス兄弟として習いました。
名前のみ覚えています。
そのグラックスがローマの安定、平和、繁栄のためには格差が広がった社会を是正する必要を説き、
農地法を制定する為に奔走した様子が書かれていました。
農地を与え(仕事を与え)、中産階級を育てることの重要性を認識していました。
既得権益を守ろうとする人から、その牙城を崩していくのは大変な仕事ですね。
若さ、知恵、工夫等々を駆使し、命までを落としてしまってます。

遠い昔の話ですが、今にも通じます。

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胡蝶蘭の引っ越し

10月に入って、急に冷え冷えとするようになってきました。
あんなに暑かった夏が嘘のようです。

外気温度が15度をきると、ランを室内に取り込みます。
今年は元気に育ってくれて、肉厚で葉も生き生きとしています。


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   今咲いている胡蝶蘭が2鉢あります。
   どういう経過で開花時期がすれてくるのか・・・
   






サンスベリア

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     このサンスベリアは父が硫黄島より持ち帰った一株がら増やしたものです。
     もう30年ちかく経ちます。
     大切に大切に育てています。





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父のこと


 先日ひょんなことから父が書いた硫黄島戦記をワープロで記録していましたが、その出力稿を見つけました。 見てみますと、感熱紙のために、もう色あせて判読が不可能な状態になりつつあるところでした。

  その当時原稿を見て入力したはずなのに、今感じる気持ちとは相当隔たりがあったようです。私も日々の生活に追われ父の気持ちもくみとることが出来ず、現在に至ってしまいました。今、こうしてネット上で記録として見ていただければ、少しは役に立てたかなという思いです。

 私が20代の頃、両親を東京に招待し、観光案内しました。その折、どこに行きたいかと聞きましたら、泉岳寺と皇居をあげました。泉岳寺については義士の墓に詣でたいのかなと思っていたのですが、硫黄島で戦った戦友たちと出発前宿営したお寺だったのですね。そのことについて、当時父は一言も私にその話はしませんでした。どんな思いでお参りしていたのだろうかと思うと今頃になって胸がつまります。

 色々と話し合えた時に、もっと話し合っておけばよかった。しかし、私自身がまだまだ人間的に未熟でそういうことをくみ取れなかったのかもしれません。

 たまたま戸棚の中から見つけた原稿です。こうして残せて一安心しました。

 父が自分の手で書いた原稿の所在はわかりません。どこかにある筈なのですが・・・








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