釣りきちツーさん夢日記

体調が戻り、ようやく竿出しできました。

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苗木城址ガイドの今回は、大矢倉周辺(風吹門と北門)。平面図から位置関係から説明します。
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搦め手(裏)門の役割をしていた風吹門と大矢倉。
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 風吹門は、城内の三の丸・二の丸・本丸に通じる入口になる。城主が在城の時は開門し、江戸詰めで留守の時は締め切りにして潜り口を適用する。中間一人が昼夜番をして出入りを改める。この門から内はよそ者は入ることができない。門の2階は飼葉蔵となっていた。その北に干し草蔵、縄蔵の建物が大矢倉まで連なる。(ガイド講座資料より)

遠山史料館に展示してある立体模型でさらに詳しく見てみる。まずは風吹門。
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風吹門の名の由来は不明。
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一般に風は少ないが初夏などには、爽やかな風が抜ける。
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1871(明治4)年、苗木城が解体された時、この門は、北野の大泉寺(丁度寺再建の時)が購入したが、1996(平成8)年、山門を更新したので返され、25年ぶりの姿を史料館ホールで示している。(ガイド講座資料より)
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次に大矢倉と北門。
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大矢倉は、風吹門とともに搦め手(裏)からの攻撃を迎え撃つ重要な建物だった。


石垣を高く築き立て、その上に3階造り(床下が1階)にしてある。縦横2×3間位の大矢倉である。高さは石垣下から12m程。「お鳩部屋」というが、理由は不明。 作事小屋の上(三の丸)は、作事門から大矢倉まで物置が順々に高さに従って小屋(材木・スサ・縄・干し草など)が続く。また大矢倉から風吹門2階まで同様に建て続きになっていて、それぞれ物置である。東の作事門は作事小屋・中間小屋へ下る所の門である。作事方中間の作事懸りや休憩の合図を拍子木で知らせる。(ガイド講座資料より)

天守から大矢倉を見下ろすと、今は石垣が残るだけだが、いかに大規模だったかわかる。
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今の大矢倉と風吹門跡。石垣を残すだけだが、往時家臣たちの往来あった。
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大矢倉の北に北門があった。
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現在の北門のようす。横の池は雨水を貯めた池で、馬の飲み水に利用された。
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大矢倉、風吹門、北門は、苗木城の搦め手(裏)を守る重要な役割を担っていた。たった一万石の弱小大名だった遠山家だったが、関ヶ原以来江戸時代を転封も改易もされず生き抜いた数少ない大名だった。

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