釣りきちツーさん夢日記

体調が戻り、ようやく竿出しできました。

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苗木城址ガイドの今回は、三の丸です。苗木城平面図で示すと下図の位置にありました。
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拡大してみると、仲間部屋、材木置き場、作事小屋などがあったことがわかります。雇人には次の人たちがいました。
 ・足軽 66人 中番・供番・門番など
 ・中間 84人 (各村からも)大工・左官など
 ・下男 34人 (うち28人は各村から)
足軽は竹門の横側、中間は三の丸の東、下男は風吹門の手前、とそれぞれ詰め所があった。(それぞれ小頭が支配)               (ガイド資料より)

三の丸は、中間が作事(大工・左官)を行う作業場と資材置き場が主な場所となっていたようです。

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遠山史料館内の立体模型で見ると・・・
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大矢倉と風吹門は前回の記事をご覧ください。
菱櫓跡付近から観た現在の三の丸のようすです。
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大矢倉の石垣以外残っているものは見当たりません。

三の丸から内部に入る位置に二の丸、天守とを仕切る「大門」があった。城内で最も大きな門なので大門という。ここからは普通の百姓は入れない。ここは足軽が門番役を担当する。城主が江戸へ出立の時、在着の時、あるいは規式や正月三ヶ日は開門する。通用の出入りは潜り戸を使用する。 (ガイド資料より)
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現在の大門跡のようすです。
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大門を入る手前左側(東方向)の奥まったところに「牢屋」跡があります。
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城内にひとつあった「牢屋」は、日の当たらない大岩の上に建てられていました。
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参勤交代は、一行が三の丸から四十八曲がり(実際は30曲がり)を下って、木曽川のほとりにある大手門から出立しました。イメージ 8
参勤交代は、一日約40km進み7泊8日で江戸に着きました。
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大矢倉から見た三の丸跡。中間部屋や資材蔵など、たくさんあった建物は明治4年にすべて取り壊され、今は広場となっています。

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