釣りきちツーさん夢日記

体調が戻り、ようやく竿出しできました。

全体表示

[ リスト ]

苗木城址ガイドの今回は「二の丸」です。二の丸は城主の住居で、苗木城平面図で示すと下図の位置にありました。
イメージ 1
拡大してみると
イメージ 2
藩主の部屋は廊下で囲まれ、順に台子(だいす 茶棚)の間、次の間、鉄砲の間、その奥で部屋の中央に「居間」、その後方に「逢ノ間」があった。そこから廊下で女中部屋に通じる。現在は、礎石が残る。  (ガイド資料より)

遠山史料館内の立体模型で見ると・・・
イメージ 3
二の丸玄関は城主住居の玄関である。玄関をあがれば大広間、その奥が猫太(ムシロ)の間・右へ二の間・その右側が書院、ここで家臣などの集合がなされた。さらに重役詰所がある。玄関は平常は中小姓が一人、徒士が一人の二人で昼夜番をする  (ガイド資料より)

内室(正室)は人質として江戸住居なので苗木の側室(身分は女中)の部屋があった。参勤交代について幕府は規則を緩め、1863(文久3)年3月に内室(嘉子)は江戸を引き払って移住した。その時に普請して広げたので間数も沢山になった。元来土地が狭い場所なので、味噌部屋の屋根の上に柱を組み立てて二階造りにして継ぎ足した。  (ガイド資料より)

大門を潜ると、右手に広間や勘定書、左手に御朱印蔵がありました。
イメージ 4
御朱印蔵は、切石で石垣が築立てて土蔵が拵えてある。「昔から徳川家より代々くだされた御朱印や御奉書ならびに刀剣の類その他宝物類などが入れてある。年々虫干しを一度ずつ行う。その時は家老・用人・郡奉行・元方目付役・目付役人、立会の上出す。鍵は重役が預かる。」 朱印状は将軍が交替すると、その都度、幕府に提出し再認証を得た。1868(慶応4)年夏、明治政府に朱印状の提出を命じられ、史料館には写しが残る。  (ガイド資料より)

城内には本丸と二の丸の二か所的場があり、二の丸城主居間の一段下がったところに的場がありました。
イメージ 5
立体模型の的場
イメージ 6
現在のようす
イメージ 7

2016〜7年、城主居間のあった石垣の修復工事が行われ、石垣の積み直しが行われました。
イメージ 8
全ての石に番号を付け、解体する前と同じ位置に積み直しを行うという非常に手間のかかる工事でした。
イメージ 9
かなり大がかりな工事です。
イメージ 10
工事が完了した石垣
イメージ 11
一万石で唯一城持ち大名だった遠山家。一万石でこれだけの城郭を維持するため、苗木藩の経済は困窮を極めたことでしょう。

閉じる コメント(2)

今年は、二ノ丸の石垣修復工事に作業員として参加しました。1月の極寒の中で約1ヶ月かけて無事工事を完了することができました。
もともと歪んでいた石垣を、元通りにするために、何度も積み直しを繰り返しながら作業を進めて行く忍耐のいる工事でしたが、仕上がった石垣は何でもなかったように違和感なく普通にそこに並んで
いて、作業をした者しかわからない達成感を感じました。

2018/9/13(木) 午後 7:25 [ app***** ] 返信する

顔アイコン

> app*****さん、こんにちは。

修復された石垣を見るたびに番号を書いて置いてあった石を思い出します。工事に携わった人の苦労が見えるようです。

2018/9/14(金) 午後 6:26 ツー 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事