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久しぶりに懐かしい船の写真を… この船は先日、横浜港に入港したオーロラの大先輩にあたるチトラル(13,822トン)です。 チトラルは1956年にフランスで建造され、1961年以降、欧州−東洋間の郵便船や 日本−オーストラリア航路の定期船として、年6回程度神戸港に寄港していたお馴染みの客船でした。 そんな神戸っ子は、このチトラルの白いエレガントな船体から「ホワイト・レディー」という愛称で 呼んでいたそうです。 しかし晩年は飛行機に客を奪われ、定員264人の定員に対して、乗客数が200人を割ることが 多くなり、これ以上航海を続けても赤字がかさむだけと船会社が判断し、1975年10月19日に 神戸港を出港、最後の航海へと旅立ちました。この後チアトルは横浜港を経由してメルボルンへと 向かいました。 上の写真が最後の姿、後ろのポールに白く長い帯のようなものが垂れ下がっているのが、最後の
航海を表す旗(何と言うのか忘れました…)とのことです。 |
船(昔の写真)
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直列2本煙突、収納式アンカーなど豪華客船風の外観を持つこの「さんふらわあ11」。 1974年10月に日本高速フェリーが大阪〜鹿児島(谷山(77年1月からは志布志))間に 就航していたカーフェリーで全長約196m、1万3600トン。建造費は70億円。 カーフェリーとは思えない外観から、九州へ旅行へ向かう家族連れなどの人気の的となった 船で、「さんふらわあ」の象徴とも言える船体の「太陽(ひまわり?)」のマークは、当時の子供が 船の絵を描いた際に必ず描いたと言われている(そう言われれば描いたなぁ…)。 この「さんふらわあ11」も、90年11月に「さんふらわあ さつま(初代)」に船名変更、 そして93年3月に新造船の登場によって引退し、その後はフィリピンのスルピシオ・ラインズに 売却され「プリンセス・オブ・ジ・オリエント号」としてマニラ−セブ島を結んでいたが、 98年9月19日に、台風7号の嵐の中を航行中に沈没し、死者51名、行方不明者216名を 出す大惨事となった。 直接の沈没原因は荷崩れであったが、フィリピンでの大幅なデッキ増設工事により船体が不安定に なっていたとも云われる。 日本では今、大阪−志布志航路でカーフェリー「さんふらわあ」を運航するブルーハイウェイ ラインが、原油の高騰による採算性の悪化を理由に、志布志港から来年3月末をめどに撤退し、 新たに大阪−宮崎航路に切り替える計画が出ています。 さんふらわあ11の時代も、オイルショックによる原油の高騰によって、日本高速フェリーの
経営自体が傾いたんですよね。 |
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ノルウェーのクラベネス社、ノルデンフェルズケ社、ベンゲル・ラインの3社で 設立したクルーズ客船運航会社「ロイヤル・バイキング・ライン」の3隻のクルーズ客船の 第3船で、1973年にフィンランドのヴァルチア造船所で完成。 その後、1983年に西ドイツ(当時)の造船所で27.7mの船体延長を行ない、総トン数は 21848トンから28221トンに、旅客定員は636名から758名に増加しました。 この写真は1974年の初来日の時のものです。 まだ船体延長をする前の姿でショートボディ。そして船首が曲がっているのは、 日本に来る途中に時化に遭い曲がったものだと言われています。 この「ロイヤル・バイキング・シー」も、今ではアマデア(元飛鳥)と同じ、
ドイツのPhoenix Reisenのクルーズ客船「アルバトロス」となって活躍中。 つい先日、2月3日には沖縄の那覇港に入港しました。 その姿は、懐かしの「ロイヤル・バイキング・シー」時代と変わらないもの。 次に来日する際は、是非とも横浜港や東京港に姿をみせてほしいしいものです。 |
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1958年に商船三井保有の「あるぜんちな丸」としてデビュー。 その後、1972年に南米航路から撤退したことを受け、貨物室を客室に 改装して「にっぽん丸」と命名された。 そして1973年には、日本初の世界一周クルーズへ向け横浜港を出航した。 しかし5年後の1976年には初代「にっぽん丸」の老朽化に伴い、2代目となる 「にっぽん丸」が導入されて引退した。 船のことでお世話になってるPUNIPさんのブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/tim_nakins/44918741.html)で、 にっぽん丸になる前の「あるぜんちな丸」時代の素敵な絵が描かれていますので見比べてみて下さい。 総トン数 10,770t
全 長 145m 定 員 431人 |
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昔は瀬戸内海を中心によく見ることのできた水中翼船。 写真の水中翼船は神戸−徳島間を結んでいた阪急汽船の半没型水中翼船「ずいほう」です。 水中翼船とは、低速で水上を航行する際には船体を水面下に浸けて航行するが、高速航行をする 際には、抵抗の軽減のために水中翼から得られる揚力で海面上に船体を持ち上げ、水中翼のみが 水中に浸っている形になる。 水中翼船には構造や推進方式が様々あり、スクリュー駆動による半没型水中翼船、アメリカ・ ボーイング社(日本では川崎重工業の子会社・川重ジェイ・ピイ・エスがライセンスを取得)の 「ジェットフォイル」等に見られるウォータージェット推進式の全没型水中翼船、日立造船の 「スーパージェット」等に見られるジェット推進式の全没双胴型水中翼船(ハイブリッド式) などがあります。 日本では1960年代に商業用半没型水中翼船が相次いで登場している。 とりわけ、シュプラマル社のライセンス契約により水中翼船を建造していた日立造船神奈川は、 50隻ほどの水中翼船を生産し、これらは瀬戸内海を中心に運航された。 しかし、低燃費で高速航行が可能な反面、乗り心地が悪い上に維持コストが高く、特殊な接岸施設の ない港に入港することができない等の欠点があり、次第に他の高速船やジェットフォイルにシェアを 奪われた。1999年、石崎汽船の松山〜尾道航路の最終運航を以って、半没型水中翼船は国内定期 航路から姿を消しました。 |



