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あれ、それだけ?と、食い足りない方の為に、もう少し調べてみました。


ただ、この墜落事故は、記録が極端に少なく、色々当たっても、詳細な記述が得られませんでした。

(詳しい事をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非、お教え頂ければ…)

と、言う事で、私の拙い軍事・航空知識を基に、推論を繰り広げます。


まず、墜落したF-86F戦闘機は、当時の航空自衛隊の主力戦闘機です。

この機体は、朝鮮戦争で共産側のMIG-15戦闘機を圧倒し、西側諸国の標準戦闘機となった名機です。

ジェット機、と言っても、第一世代と呼ばれるもので、最高速度もマッハまでは至らず、また、

レーダーも装備しておりません。主武装も機関砲で、言って見れば、第二次世界大戦のレシプロ戦闘機の

ジェット版、と言った、創成期のジェット戦闘機です。


当時、東北方面では、航空自衛隊の訓練空域が太平洋・日本海両側にあり、その間は「コリドー」と呼ば

れる航空航路で結ばれておりました。
イメージ 1

                       ↑こんな感じです。


恐らく、昭和43年1月17日午前中に松島基地から飛び立った2機のF-86F戦闘機は、図の一番下の「コリド

ー」を通り、日本海側の訓練空域で訓練を行い、同じルートで帰投したものと思われます。

根拠は、松島基地と田代峠が両方とも、この「コリドー」の中に有るからです。
イメージ 2

                  ↑「コリドー」の拡大図


また、F-86Fの速度や行動半径からすると、当日午前10時位に発進し、正午位に帰投する予定だったの

ではないかと思われます。当時、大まかにそんなスケジュールで訓練飛行が組まれていたと、元航空自衛

官である、うちのオヤジが証言しております。


さて、墜落現場には、有志が建立した「紙西一尉の慰霊碑」があるのですが、そこには、

「昭和43年1月17日 13時47分」と刻まれております。恐らく、機体の時計がその時間で止まっていたの

でしょう。それが、墜落した時刻だと思われます。
イメージ 3

つまり、紙西一尉の操縦するF-86F戦闘機は予定より2時間程長く空を彷徨っていた事になります。


紙西一尉に、何が起こったのでしょうか?

まさか、本当にUFOに遭遇し、一戦交えていたとでも言うのでしょうか


―しかし、調べてみると、もう少し合理的な答えが見つかりました。


実は当日、東北地方は広範囲な吹雪に見舞われていました。

高度10,000m以上の成層圏を飛ぶ現代のジェット機と異なり、F-86Fの巡航高度は8,000m程。

紙西一尉は吹雪の中を計器飛行で松島基地を目指していた筈です。


そこで、ここから先は私の勝手な推測ですが…
訓練空域から帰投中の紙西機は、折からの悪天候の中、計器トラブルで方位を見失う。キャノピーの外は、吹き荒れる吹雪で真っ白。地形で方位を見分ける事は不可能だった。
荒天中の飛行は燃料消費も早く、燃料の残存も僅かになる。
焦る紙西一尉に更なる悲劇が追い討ちをかける。
激しい気流に揉まれる中、一尉は、「バーディゴ(空間識失調)」を起こし、方位どころか、上下左右の感覚さえ失ってしまった。
紙西機は、山形・宮城県境の上空を彷徨う内に、遂には燃料切れとなり、機体は気流に煽られながら、ゆっくりと降下して行った…
―こんな感じではなかったか、と思います。


因みに、「バーディゴ(空間識失調)」とは、空中でパイロットが陥る重力の錯誤で、これに嵌ると、

空間の認識が一切出来なくなるそうです。上か下かも判らなくなる。バーディゴが原因の墜落事故は枚挙

に暇がありません。特に、高速で飛ぶジェット戦闘機での事例が多いそうです。

しかし、バーディゴ自体が認知されたのは割りと最近と言う事で、もしかすると、事故当時はバーディゴ

が原因で墜落すると言う認識が無かったのかもしれません。

よって、事故原因は不明のまま終わったのではないかと…。


そして、おや?と思われた方も多いと思いますが、では何故紙西機には殆ど損壊も無く、原型を留め

尚且つ火災すら起こらなかったのか。


それは、飛行機マニアの方ならご存知かと思いますが、F-86Fや、MIG-15と言った初期のジェット戦闘機

は、別名「エンジンが停まっても、滑空で飛行できる最後の戦闘機」と言われているのです。

(それ以降のジェット戦闘機は、高速化した反面、失速しやすくなり、低速で滑空する事など不可能なの

です。落ちるときは、真っ逆さまに落ちる為、損傷は激しく、機体は殆ど原型を留めません。)


つまり、紙西機は、比較的低速で滑空した後、田代峠に「軟墜落」し、深い積雪がクッションとなって機

体の損傷が最小限で食い止められた。また、燃料もなかった為、火災も起きなかった…。


―そう考えても、おかしくは無いかな、と。



ついでに、「UFOの基地がある」云々の噂の数々ですが、所謂「元ネタ」が見つかりました。

それは、高橋コウと言う女性の手記。昭和50年に婦人公論誌に掲載された実話とされております。

寄稿者の「高橋コウ」という名はペンネームの様なものですが、実在した人物だそうです。

本人は手記が雑誌に掲載された直後に急死したと言う事ですが…。

長くなるので詳細は省きますが、平たく言えば、この手記中に、噂話のネタが殆ど全て入っております。

ご興味の有る方は、ご参照下さい。→http://syarecowa.moo.jp/10/840.htm

この手記、かなり荒唐無稽の内容で、そのまま鵜呑みにするには、少々私は純真さが欠けております。


―と、言う訳で、真実は闇の中ですが、一つの見解として、私の珍説を記事にした次第でございます…

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閉じる コメント(26)

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俺も今も出るのか確認したいんですけどねぇ、まわりにゴルフやる奴一人もいないもんで
確かにゴルフ場ってのは聞きませんねぇ
てか俺スポーツ関係は野球場以外で出る話聞いたことないかも

2008/10/14(火) 午後 11:25 [ yuji.w ] 返信する

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yuji.w さん、野球場で「出る」お話をご存知ですか?
実は、一頃「プロ野球の幽霊話」を調べた事がありますが、殆どネタが集りませんでした。
阪急ブレーブスのキャンプに女の霊が出て騒ぎになったらしいですが、詳細は不明…。
是非、野球場の「怖い話」をお聞かせ下さい!!

2008/10/15(水) 午前 11:13 TO7002 返信する

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紙西一尉の愛馬がF-86F-40、730号機 (72-7730) でした。 削除

2009/8/10(月) 午前 1:49 [ ガメラ ] 返信する

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ガメラさん、有難うございます!!どうしてもシリアルが判らなかったので…。

2009/8/13(木) 午後 2:36 TO7002 返信する

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はじめまして、元ムー特派記者です。
元記事はリアルタイムで読みました。その後、1985年代の「ムー」で集中的に取材を続けていました。
尻切れトンボで終わったんじゃなかったかな?

2010/9/5(日) 午後 3:35 [ 雪狼 ] 返信する

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snowwolfさん、初めまして!!

たぶん、事故で墜落したのがたまたま曰くつきの場所だった…と言うオチなのでしょう。無理やりUFOと結びつける事はない様な気がします。

2010/9/7(火) 午後 10:36 TO7002 返信する

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鬼首(おにこうべ)はオニコウベツから来たアイヌ語起源と言われています。安比(あっぴ)の類の単なる当て字です。この鬼首地区の沢名などはいずれもアイヌ語起源とみられ、宮城県内では珍しい所です。たぶん歴史時代に入っても遅くまでアイヌの皆さんが暮らしていたものと推測されます。

2011/10/6(木) 午前 3:07 [ - ] 返信する

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tffdgzdさん、そうでしたか。アイヌ文化圏は広かったんですね〜。大変興味深いコメント、有難うございます。

2011/10/7(金) 午後 0:20 TO7002 返信する

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田代峠行った事ありますし、山形の最上町出身なので、近いんですけど、
不気味ですし、途中から車で行けませんでした!
田代峠周辺でUFOらしき物体を友達と見たり近所の人も見たとか結構目撃多数です!確かめたいと思い、友達誘いましたが行きたがりませんでした↓ 削除

2011/12/3(土) 午後 1:41 [ きよたか ] 返信する

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きよたかさん、コメント有難うございます!!
地元の方の生情報は大変ウレシイです。
やっぱりUFO目撃多発地帯だったんですね〜。
「コメ怖」に載せさせて頂きます!!

2011/12/7(水) 午前 10:48 TO7002 返信する

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こんにちは。田代峠のF-86Fの件ですが...
「謎解き超常現象3」の田代峠の項に、このページが紹介され、TOさんの説が紹介されていますね。
ちょっと気づくのが遅れました。
ところで、このコメント欄に書き込んでもよろしいでしょうか?
少し長くなることに気づきまして... 削除

2012/7/21(土) 午後 5:36 [ 通りすがり ] 返信する

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通りすがりさん、どんどん書き込んで下さいませ。お待ちしてます!!

ところで、「謎解き超常現象3」は未読なんですよね。結構大きな本屋を何軒かまわったのですが、置いてませんでした。「2」では当ブログを参照して頂いてたのですが、また採り上げて頂いたのかな?

2012/7/21(土) 午後 7:48 TO7002 返信する

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ご存知かもしれませんが、
こちらの本にも「ムー」の後に現地踏査した内容が見られます。
(謎は解明されていませんが)
>日本の怪奇事件集―鮮明証拠写真が明かす禁断の“闇”情報 (ムックセレクト)

2012/9/23(日) 午前 0:03 [ nor**obsid*an ] 返信する

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nor**obsid*anさん、有難うございます!!

田代峠は、色んなオカルト好き団体や個人(ビリ系・懐疑系問わず)が現地調査をしているみたいですが、あんまり参考にはなりません。広大なエリアをせいぜい数日で調べようと言うのも無理がありますよね〜。

そんなのよりも、地元の山岳愛好家や郷土史家さんのサイトなんかの方が面白いです…。

2012/9/30(日) 午後 9:52 TO7002 返信する

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初めまして、こんにちは。
私は現地(旧宮崎町)の者ですが、私の住む町にこんなオカルトちっくな話がある場所があろうとは全く知りませんでした。大変興味深く読ませて頂きました。
リンク先にある話は正直に言えばちょっとファンタジーが過ぎる感がありますし、何より現地、赤倉方面の屋敷台(正確には屋敷平です)には人が住んでいる家屋は殆どありませんし、何よりもみみずく山は「現地の人すら足を向けない」のではなく単純に「徒歩道すらない」のです。標高も高く斜面が急なので単に辿りつけず、また複雑な形をしている為に沢に降りられたとして登れず、迷いやすい地形の為、山菜取りのプロであろうがあの山に到達出来る人はまずいません。

行かない方が、というよりほぼ「行けない山」なので、どうも信憑性が無く、その付近ならまだ解るのですが単純に徒歩や登山によってあの山に到達するのはほぼ不可能です。(ザイルなどを持って本気で、というのなら解りますが)

2015/5/29(金) 午後 2:14 [ ginirono ] 返信する

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> ginironoさん
有難うございます‼︎ 地元の方からの反応の良いこの記事、しかし、流布しているウワサと現地の空気感の違いと言うか、温度差を感じますね〜。

2015/6/3(水) 午後 3:25 TO7002 返信する

懐かしく思いペンを取らせていただきました。
先日、初めてバイクで峠に行ってみました。思いのほか深い山でした。碑に手を合わせ帰ってきました。帰り道はスコールでドキドキしました。
今から35年ぐらい前に、この話を知りましたが、知るきっかけは今でも信じられないオレンジ色の光を、その方向で見たからでした。
夜の山にオレンジの楕円の光を見つけました。たぶん5分ぐらいかけて、ゆっくり小さくなり、オレンジの光はなくなりました。と、同時に普段誰もが目にする、ヘリコプターの様な点滅する物になり、ヘリの用なスピードで飛び去りました。でも、無音だったと記憶しております。確かに見たのですが、オレンジの光のまま飛んで行くのなら納得いくのですが、点滅する物体だけ見た人はヘリコプターにしか見えませんよね。いまだに楕円のオレンジの光から点滅する物体に変化する例は聞いたことがありませんし。
少ししてから田代峠の方向の山中だ、と云われ初めて田代峠と云う名前をその時知ったのでした。で、田代峠は自分でも行きたいけど怖い場所になってました。で、行ったら碑の辺りでポツポツ雨が降ってきたり、なんとなく怖かったです。

2017/9/2(土) 午後 11:00 [ mim*min*to*k* ] 返信する

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私もオフ車で林道を走りますので、実際行った事があります。
田代峠付近は古くから禁忌の山として、地元の人も寄り付かないとかありますが、古くから鉱山があったので、人はいましたし、そもそも伊達政宗の仙台藩が田代番所置いて最上と宮崎の通行を見てましたし・・・昭和40年代までは田代分校までありましたしね。
現在だって林業の人がバリバリ活動してるんですけど・・・
宮城側からだととんでもない遠さのへき地なんで、林業の人と走り屋がドリフト目的くらいでしか普通は行きません。
山形側ならまぁ近いけど・・・
UFO目撃多数とか言うけど、そもそもそんなに人周りにいない田舎ですよw

2017/9/10(日) 午後 2:44 [ ピラー ] 返信する

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田代峠の地下にはUFO基地が有るらしいよ

2017/10/11(水) 午後 8:36 [ 村磨 ] 返信する

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今回のなんだこれミステリーで田代峠が出たことを実家の両親から聞き、録画はしてたので昨日見てました。
私の実家は赤倉温泉地区からは近く、私の母が中学生位までは田代峠へ向かう途中の部落に住んでました。
ピラーさんも書いてるように、炭鉱で働いていた人もおりましたので、私の祖父達がそこで仕事をしておりました。
母が中学の頃には時代も炭鉱で稼げる程でもなかったそうで、私の祖父が役場に働きかけて、付近に住んでた住民を下の地区に住まわせてほしいことを願い出て、みんなで降りてきたと聞いたことがあります。

田代峠で光を見るような話も一時祖母から聞いたことがあります。祖母が見たか曾祖母が見たか忘れましたが、ただ、光を見るとよくないことが起きるような話だったと思います。

飛行機のことも父の話では、山菜採りをすると破片を見つける人もいるようで、見つける人は石碑の場所へ供えるそうです。 削除

2017/10/23(月) 午後 1:27 [ チャコ ] 返信する

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