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さて、お岩稲荷を後にした私は、今度は丸ノ内線を一路大手町へ。
目指すは、かの有名な「平将門の首塚」です。(「将門塚」とも言う。)
迷路の様な大手町の駅を抜け、大手門の傍の出口から地上に出ると、目の前に青々と繁る木々が…。
ここが「平将門の首塚」です。
ビルの谷間にややヒンヤリとした空気を湛える境内。
崇徳上皇、菅原道真と並んで「日本三大怨霊」とも言われる平将門公。
平将門の乱を起こし、自らを「新皇」と称して朝廷からの独立を図り、朝敵となった関東の英雄です。
将門公が藤原秀郷・平貞盛らに討伐され、首は平安京に送られ晒されたが、関東を目指して空高く舞い上がり、
この地に辿り着いたとされております。
「将門の首塚」はまた、祟り伝説でも有名です。
中世期、首塚の周辺で天変地異が多発し、将門公の祟りを畏れた人々を鎮める為、時宗の僧・真教上人によっ
て神に祀られ、神田明神に合祀される事となりました。
この石塔(↓)は、真教上人が将門公の霊を供養したもので、焼損する度に復刻されてきたそうです。
「首塚の祟り」で有名なのは、大正時代の大蔵省に降りかかった災難の話でしょう。
大正12(1923)年、関東を襲った大震災では、将門塚も大きな被害を受けました。これを機に塚を調査発掘し、そ
の跡に大蔵省の仮庁舎を建てる事になったのです。
仮庁舎が建って間もなく、大蔵省内の役人や工事関係者の間に死人が続出し、怪我人が絶えなくなりました。
2年間の間に、時の大蔵大臣・早速整爾氏を始めとして、営繕局工務部長・矢橋工学博士ら14名が亡くなった上
に、武田政務次官・荒川事務官ら数えきれないほどの怪我人が出たのです。何故か足を怪我する者が多く、将
門塚を壊した上に、庁舎を建てて将門公を足下にした祟りである…、という噂が流れたのです。
遂には仮庁舎は壊され、昭和2(1927)年4月27日に、富田理財局長が祭典委員となり、神田明神の平田盛胤宮
司が祭主となって、盛大な将門鎮魂祭が執り行われました。三土忠造大蔵大臣、山口参与官、黒田次官ら幹部
以下全員が玉串を捧げ、ようやく将門公の祟りも鎮まったと言われております。
その後、慰霊祭は年中行事として続けられておりました。しかし、鎮まった祟りに人心が弛んでしまったのか、次
第に祭祀もおろそかになってきた頃、再び将門公は祟りを為しました。
第二次大戦前夜の昭和15年(1940年)6月20日。雨の中、大蔵省本庁舎に落雷し庁舎が炎上。落雷の場所は首
塚のすく傍でした。奇しくもこの年は将門公没後1,000年に当たっており、時の大蔵大臣河田烈の下で、盛大な
壱千年祭が執り行われたのです。
その際、新しく建て直した石碑が、これです(↓)。
大蔵大臣 河田烈 の名が刻まれた石碑(↓)。
戦後、米軍が進駐してくる頃には、首塚の周辺は焼け野原と化しておりました。 進駐軍がブルドーザーで焼け跡を整理する祭、首塚の礎石も片付けられ、この辺りはモータープールにされてし
まったそうです。ところが、整地の際にブルドーザーが横転し、運転していた日本人が亡くなると言う事故が発生
しました。これをきっかけに、地元住民が米軍に働きかけ、GHQに出頭して陳情した所、塚の保存が認められた
そうです。(よく言われる、「GHQが恐れをなして云々」と言うのは多少の尾ひれだった様です。天皇に反旗を翻し
た武将だと言う事で、塚の保存を認めたのかも…と言うのは勘繰り過ぎでしょうか。)
米軍が撤収した後、首塚は千代田区によって史蹟に指定されました。
昭和35年に結成された史蹟将門塚保存会によって保存事業が開始され、現在に至ります。 さて、現代の将門伝説と言うと、「周囲のビルは、首塚に面した窓を作らない」とか、「お尻を向けないように机の
配置に気を遣っている」とか言うのがありますが、首塚を囲むビルはご覧の通り…
首塚に面する窓だらけ。
最初のは単なるウワサでした。 ―では、机の配置云々と言うのはどうか?
周りのビルに入って確認する訳にもいきませんでしたが、隣のビルの掃除係のおじさんがうろうろしていたので
「これこれこうで、お尻を首塚に向けてないってホントですか?」と聞いたら、「そんな事ないよ」とあっさりご回答
を頂きました。やはりこちらも都市伝説の類だったんですかね…。
【2012.7.11追記】
首塚を囲むビルに入る会社のコメント。
「業務優先の机の配置にしています」(プロミス広報部)
「基本的に何も取り組んでいません」(三井物産広報部)
(ただし、プロミスさんでは、’94年の入居当初は社員が気味悪がるので背中を向けない配置にしていた
そうです。)
ちなみに…。
大手町1丁目にオフィスを構える50社を対象に社名非公開の約束の下で行った「将門の首塚に背を向けない机
の配置を、意識的にしていますか」とのアンケートを行い、41社から回答を得たうち2社は「今もしている」
そうです。加えて、ある会社では、首塚に背中が向いてしまう席では、神田明神のお札を貼っていると…。
「将門の怨霊」は、日本の中枢部の大都会の片隅で、今でも細々と息衝いているようです。
【「都市伝説探偵団」(朝日新聞社・2006年6月30日刊) より】
しばらく首塚にいると、三々五々、ネクタイ姿の方々が訪れては、塚に手を合わせておりました。
塚の脇にはこんなカエルの置物が…
これは、将門公の首が京から帰った事にちなんで「左遷されても元にカエル」「行方不明になった子供が無事カ エル」と言う願掛けだそうです。
将門公は、朝敵と呼ばれながらも、朝廷から派遣された役人の横暴圧政に喘いでいた関東の民衆からは稀代
の英雄とされました。武士の世のさきがけとなった将門公は、戦国武将からも崇敬されました。
家康が将門公を合祀する神田明神で関が原の必勝祈願を行い、江戸開幕後は江戸城の鬼門を護るとして、神
田明神が現在の将門塚の場所に遷座された歴史があります。家光の世には、朝廷からも「将門は朝敵にあら
ず」との認識が示されましたが、背後には幕府の圧力があった事は間違いないでしょう。
徳川幕府は、将門公を祀る事によって、朝廷からの独立性を示そうとしたのかもしれません。
明治維新後は、天皇親政の維新政府によって、「将門は天皇に刃向かった逆賊であると」の認識が示され、明治
7年に神田明神の合祀から外されてしまいます。
しかし、第二次大戦後は将門公は時代の先駆け、圧政に反抗した英雄として再評価され、昭和51年に神田明神
の祭神に復帰しました。
激動の人生を歩んだ将門公。死してなお、激動だったのです。
「平将門の首塚」は、子供の頃に想像していた様なおどろおどろしい場所では決してありませんでした。
しかし、大都会の一角でそこだけ切り離された静謐な空間であり、背筋が伸びる思いがする場所でした。
まさに、聖域。それが、私の感じた雰囲気でした。
去ろうとする私を、一羽の鳩がじっと見つめる。
それさえも、神秘的に感じてしまう私TOでした。
【おまけ】
ついでにと言っては何ですが、ちょっと足を伸ばして、兜町の「兜神社」にも行って来ました。
証券街の兜町の、地名の由来にもなった神社です。
この神社は、その名の通りと言うか、将門公の兜が埋められたと言う伝説を持っております。
こちらも、こじんまりとした境内。頭上を走る首都高が趣を殺ぎます。
将門公を討った俵藤太(藤原秀郷)が、ここに兜を埋めたとされる「兜石」。
こちらは、明治11(1878)年に東京株式取引所の設立に伴い、当取引所が氏子総代となった事から、以来証券業
界からの信仰を集めているそうです。 さて、お岩稲荷と将門首塚と言う、念願の地を訪問し、大満足の私TO。 そして、飲み会の地・新橋へと向かったのでした…。
(←)クリックしてみたら、お酒も美味しく飲めるかも。
【さらに余計なおまけ】
その夜の私TOと仲間達。
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東京とかって結構こういうところありますよね〜。普段見かけてもなんとも思いませんが、中に入ってみると近代的な建造物に囲まれた空間に場違いな雰囲気で不思議な感じがするんですよねぇ。
やはりヨーロッパやアメリカの大都市にもこういうところはあるのでしょうか……。(ヨーロッパはレトロな建造物多いから案外マッチしてそうですが)
2010/6/26(土) 午後 11:24 [ リットリオ ]
悟さん、ここの所「歴史ブーム」とか言われつつ、「戦国時代」と「明治維新」「日露戦争」しかフューチャーされておりませんが、将門公なんて、信長以上のキャラだと思います。
ちなみに、都心をブラブラ歩いていると、至る所に史跡があったり、由緒のある場所があったりで、飽きません。
2010/6/26(土) 午後 11:32
リットリオさん、ヨーロッパでは、こんな感じの「ミスマッチ感」がある場所は、あまりない様ですね〜。街自体が中世を引き摺っているからでしょうか。
2010/6/26(土) 午後 11:34
丁度昨日放送のアド街っく天国で、大手町やってましたね〜
2010/6/27(日) 午前 2:43 [ イレイズ ]
イレイズさん、見てなかったです…。首塚は出てきましたか?
2010/6/27(日) 午前 10:59
勇気がありますね〜!!怖くて怖くていけそうにないです。by旦那
2010/6/27(日) 午後 0:38
子供の頃、ここをカメラのファインダー越しにのぞくと将門の首がおそってくるとかいう話をよく見かけました。
今で言う都市伝説ですけど、デジカメの液晶越しだったら、ちっとも怖くないですね。
あっ、だからもう噂されないんでしょうね。
2010/6/27(日) 午後 6:31 [ ぽち ]
何だか怖そうな森ですね。将門の首が降り立った場所に相応しい雰囲気が伝わります。
京都には、逆に将門の晒された首が飛び立った膏薬図子があります。でも繁華街の民家の谷間にひっそりと小さい祠があるだけで、昔、近辺を夜仕事帰りで通っていた私さえも最近まで存在を知りませんでした。やっぱ関東では英雄なのでしょうね。
軍人や政治家の死後の扱いは、後世の政治的な意向が繁栄されるものなんでしょうね。
2010/6/27(日) 午後 10:32 [ どらみ ]
旦那さん、特に「怖い」と言った雰囲気ではなかったです。都会のど真ん中だし…。
2010/6/28(月) 午後 0:35
ぽちさん、その噂は知りませんでした。
最近は「首塚の祟り」も知らない人も多いのでしょうか。
うちの店のおねーちゃん(23歳)は将門もお岩さんも知りませんでしたが…。
2010/6/28(月) 午後 0:37
どらみさん、将門公は関西ではマイナーなのでしょうか。膏薬図子は機会があったら行ってみたいです。出発地と到着地を両方見たい!!
2010/6/28(月) 午後 0:38
将門公は京都でも意外に人気があったようですね。内心、藤原政権にウンザリしていた民衆は、心の中で拍手喝采だったとか。膏薬図子も当初は、祟り場となったので、神田神宮に祀り、ゆかりの深い空也上人が念仏道場を開き、祟りを鎮めたそうです。場所は、四条烏丸の西側。とても便利な場所ですので是非行ってみて下さい。地元民は、不審者と間違われそうで案外行きにくい場所です。
2010/6/29(火) 午前 0:24 [ どらみ ]
将門の首塚は勿論出て(放送)ましたよ〜
2010/6/29(火) 午前 2:21 [ イレイズ ]
どらみさん、貴族達は藤原住友と東西から攻められる〜!!と、ビビリまくっていた様ですね。
ところで、京都は是非2・3日かけて回ってみたいです。取材スポットが山ほどあるので。清明神社とか深泥ヶ池とか静原の幽霊街道とか…挙げたらキリがない。
2010/6/29(火) 午前 9:55
イレイズさん、録画しとけばよかったです。
2010/6/29(火) 午前 9:56
TO様、京都の記事楽しみにしています。
清滝トンネルとか深泥池とか郊外の有名どころもいいですが、京都の醍醐味は、一級スポットが民家やビルの谷間のフッツーに生活ある場所に存在する事ですね。かつては、小さな石碑のみだった場所も近年由縁の立て札が出来て、ガクブルなんて事も珍しくないですよ。池田屋跡、六角獄舎跡、南蛮寺跡、六道辻、羅刹谷とか。いろいろ回ってみて下さいね。
2010/6/29(火) 午後 10:59 [ どらみ ]
どらみさん、ますます行ってみたいです!!京都は子供の頃から何度も行ってますが、「そう言う観点」から見た事はありませんでした。
2010/6/30(水) 午前 11:07
祟りかどうかは不明ですが、弱気を助け強気を挫くは本当です。首塚を管理している三井物産が出資していることをうたい、不正繰り返しの派遣会社ジェ?エ?キュー?から理不尽な扱いを受けて、裁判でも嘘八百で逃げられたため、将門様の弱気を助け〜が本当ならば、三井物産は関係なく仇を取ってほしいと、お酒を捧げてお願いしたら、派遣法が改正され、派遣会社の仕事自体がやりにくくなるし、震災によって仕事がなくなりジェ?エ?キュー?は業務委託会社にくら替えしました。震災は派遣会社潰しだけではなく、厚生省に対する将門様の怒りではないかと思います。小宮山はわかっているのか?
2012/1/4(水) 午後 2:13 [ ささかど ]
だいぶ前にTOさんと反対のコースで、将門さんからお岩さんへお詣りしました。画像からもあの『ピーン』とした緊張感が伝わってきマッスル。
将門さんのカエル、私にはずっと謎だったんですが、お陰様ですっきりハッキリしました〜。
カエルさんのお陰で、あの日は無事に帰れたのかしら?
お邪魔しました〜。ゲコゲコ
2015/2/9(月) 午前 8:59 [ あやしい ]
> あやしいさん
将門公も、カエルに囲まれる事になるとは思ってもみなかったでしょうね〜。私がこの日、無事帰れたのも将門公とカエルさんのご加護でしょう。
ちなみに、うつみ宮土理さんはカエルに似ているから「ケロンパ」なのではなく、「何があってもケロッとしているロンパールームのお姉さん」という意味で、前田武彦さんが付けたニックネームだそうです。 ちなみのちなみで、うつみさん、実践女子英文科首席卒業だそうで、タレント活動以外でも数々の小説やエッセイ、童話の翻訳を出すなど、才媛なんですよね〜。
2015/2/9(月) 午後 5:13