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江ノ電の駅名にもなっている「和田塚」。
「鎧武者の幽霊が出る」等との噂もあり、一部では「心霊スポット」として知られております。
今日は予報では気温が下がるとなっておりましたが、なになに、お天気が良くポカポカ陽気になりましたので、ち
ょっといって参りました。
(←)江ノ電「和田塚駅」。いつ乗っても江ノ電には風情
があります。最近良くみかけるこの青いレトロ風も悪く
はないですが、やっぱり江ノ電と言えば…
この、緑とクリームですね〜。
江ノ電を見ると、海沿いで良く遊んでいた学生時代を
思い出して、少々センチメンタルになってしまう私。
そんな事はどうでもいいとして、早速和田塚へ向かいます。
「向かいます」と言っても、駅のすぐそば、住宅街の一角に和田塚はあります。
和田塚…ここは、鎌倉時代の有力御家人である和田一族の戦没地だと言われております。
実はここ、鎌倉に残る唯一の高塚式古墳で、土器や埴輪も出土しているそうです。
明治の中ごろまでは「無常堂塚」と呼ばれておりました。
明治25(1892)年、道路建設の為に塚の一部を掘り返したところ、おびただしい数の人骨が出土。
その人骨は「和田合戦」のものだろうと推測され、この地に「和田一族戦没地」の石碑が建てられました。
以降、この塚は「和田塚」と呼ばれるようになったそうです。
(↓)「和田一族戦没地」の碑。背面には「明治四十二年九月二十五日竣工」とありました。
(↓)横に並ぶ「和田義盛一族墓」。背面には「明治三十四年二月十八日」とあります。
(↓)石碑の背後には、多くの石塔がやや乱雑に並んでおります。和田一族の供養塔でしょうか…?
(↓)無残に破壊されたお地蔵さん。
破壊された石碑…。
和田義盛と言えば三浦氏の一族で、本家と並ぶ鎌倉の有力御家人でした。
(←)和田義盛
北条氏の独裁政権を狙う北条義時にとって、和田氏と三浦氏の抹殺は宿願です。
そこで、北条義時は、策を弄して和田義盛を挑発します。
建暦3(1213)年、北条に対する叛逆未遂事件に加わったとして、義盛の二人の息子と甥の胤長が北条方に捕ら
えられます。義盛の懇願により息子達は赦免されたましたが、胤長は叛逆の首謀者とされ、一族の面前で縛ら
れたまま引き回されると言う屈辱を味わわされた末に、陸奥国に流されました。
胤長配流の数日後、胤長の屋敷跡は和田氏に返還される筈のところが、突然義時が拝領し、義盛の代官は屋
敷から追い出されてしまうと言う事件がありました。
度重なる屈辱に怒りを募らせた義盛は、同年5月2日に義時討伐の兵を挙げます。
義盛は、まんまと義時の挑発に乗ってしまったのです。
当初は同族の三浦義村.胤義親子も共に挙兵する約束でしたが、土壇場で裏切って、「和田に謀反の企てあり」
と北条に訴えます。義盛は戦力不足のまま戦いに突入し、軍兵150騎で幕府を攻撃します。当初、義盛軍は北
条勢を圧倒し、幕府の建物を全焼された将軍・源実朝と義時は法華堂へ追いやられる程でした。
しかし翌日には幕府軍の軍勢は立て直され、形勢が逆転。義盛軍は奮戦するも、各地からの増援を得た幕府軍
は次々と新手を繰り出し、義盛軍は徐々に衰退していきます。四男・義直が討たれると義盛は戦意を失い、
「今は戦う甲斐もなし」と声をあげて男泣きしたそうです。そして、江戸能範の兵に討たれました。義盛67才。
その和田一族最期の地といわれるのが、ここ、和田塚なのです…。
―と、言う事で、鎧武者の霊が一人や二人うろついていてもおかしくない場所ではあります。
近年の発掘調査でも、やはり大量の人骨がでたそうですし。
ただし、鎌倉時代では海岸近くは埋葬地(埋葬と言うか、当時死体は野に放置されるのが普通だったらしいで
す…。)だったと言う事が明らかになっており、何処を掘っても人骨が出るのはとっくに承知の為、そんな事でい
ちいち騒ぐ鎌倉市民はおりませんが。
さて、せっかくなので、この近くにある「スポット」をもう一つ見ていきましょう…(続く)。
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鎌倉怨霊散歩
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〉何処を掘っても人骨が出るのはとっくに承知のため、そんなことで騒ぐ鎌倉市民はいません―
人骨とはちと違いますけど、鎌倉の海岸に頻繁に通ってると、打ち上げられた生物の骨…例えば海亀の頭蓋骨やイルカ・海鳥などの骨のパーツ、馬の歯など見慣れてくるので骨そのものを不気味とか感じなくなります。たまに「ギャ〜!赤ちゃんのドクロが落ちてる!」と大騒ぎしてる人々を横目に(←てか猫の頭蓋骨じゃん)と冷めた突っ込みを入れる自分は可愛げないローカル女子です(爆)
でも、大潮の時とかごくまれに「☆△×!?」ていう骨が砂浜を歩いていて偶然視界に入ると、慌てて目を逸らし早く忘れるようにしています(T_T)
2010/12/15(水) 午後 6:47 [ 波乗り娘 ]
波乗り娘さん、私も動物の骨なんかは良く見かけましたが…。
「☆△×!?」なんてのを見たら、腰が抜けるかも知れません。
2010/12/15(水) 午後 9:40
一度、探訪参拝しました。なんとなく線香の匂いがしました。和田氏も平家系統でしたね。
2014/7/17(木) 午前 0:04
熱田北条さん、つまり、鎌倉幕府は源氏の政権ではなく、東国武士の生存権を担う存在だったという事ですね〜。
2014/7/23(水) 午後 7:48
由比ヶ浜地区の住宅の庭でも骨は浮いて来ます。大木があると根が骨を持ち上げるようです。でも幽霊話はありませんね。
2016/4/17(日) 午後 9:27 [ fuk*ch*n01 ]
> fuk*ch*n01さん
由比ヶ浜の地下に駐車場を造ると言う、空恐ろしい事をやった時には
掘れば掘るほど骨が出る状態だったとか…
2016/4/19(火) 午後 3:19