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先週に行ったのですが、書ききれなくて1週間後回しになってしまいました。
藤沢市の片瀬、江ノ島の入り口に程近い所に鎌倉時代から室町時代にかけての刑場跡があります。
それがここ、龍口(龍ノ口)です。
鎌倉時代後期から史書に名前が出てくる刑場ですが、鎌倉初期からこの辺りで首実検が行われていた様です。
義経の首も腰越の浜で首実検されたそうですから、もしかしたらこの場所で検分されたのかもしれません。
腰越状を書いた満福寺のすぐそばで首実検される事になるとは、義経は夢にも思わなかったでしょうが…。
ちなみに、龍口の名前の由来はこの地に残る五頭龍伝説から来ているそうです。
むかし、悪事を働いていた五頭龍が江ノ島の弁天様に惚れ、改心してこの地の守護神になったとされるところか
らこの地名となったとか。
(↓)移転して廃社となった龍口明神社跡に残る龍の彫刻。
文永の役後に来日した元からの使者・杜世忠らは、日本の国情を探るスパイの性格が強いとみなされ、北条時
宗の命によりここで斬首されました。怒ったフビライは再度日本を襲いますが(弘安の役)、前回に懲りてしっか
りと固められていた日本軍の防衛体制と暴風雨によってワヤワヤになって撤退する羽目となったのはご存知の
通り。
(↓)杜世忠らの処刑。
杜世忠の辞世の句
「出門妻子贈寒衣 問我西行幾日帰 来時儻佩黄金印
莫見蘇秦不下機」
(訳)家を出る時、妻子は寒さを凌ぐ衣服を自分に贈っ てくれ、西行(日本)からいつ帰って来るのか、出世な
ど考えずに無事に帰って欲しいと言っていたのに
来るんじゃなかった感が溢れております(涙)。
また、中先代の乱の後に捕えられ、鎌倉に連行された北条時行もここ龍口刑場で処刑されました。
時行は北条得宗家の血を継ぐ者(「腹切りやぐらで有名な北条高時の息子)です。鎌倉幕府が滅んだ後は信濃
の諏訪氏の下におりました。
建武2(1335)年、まだ10歳の時行は諏訪氏始め反建武派の武士に擁立されて挙兵します。目指すは鎌倉幕府
の再興。鎌倉に攻め上る中で建武の新政に反発する武士が続々集まり、足利軍を次々と撃破し、遂には鎌倉を
奪還します。
しかし程なく京から尊氏率いる軍勢が駆けつけてきます。時行軍は遠江国橋本、小夜の中山(静岡県東部)、箱
根、相模川と立て続けに突破され、鎌倉の入り口片瀬川も抜かれてしまった所で時行は鎌倉から落ち延びま
す。時行が鎌倉を支配したのは僅か20日余りでした。これが世に言う「中先代の乱」です。
鎌倉に入った尊氏は後醍醐天皇からの帰京命令を無視し、対決姿勢を鮮明にします。その後、紆余曲折の末に
室町幕府を起こす事になる、そのきっかけになる事件でした。
南北朝の時代になると、時行は南朝側について足利勢と戦います。しかし、武蔵国で戦いに敗れて捕えられ、
そして龍口刑場の露と消え、ここに北条得宗家の血は途絶えたのでした…。
さて、龍口刑場で有名なのは、日蓮の「龍ノ口法難」でしょうか。
文永8(1271)年は大干ばつに見舞われ、鎌倉幕府は律宗の僧極楽寺良観房忍性に雨乞いを依頼しました。
日蓮は、「7日間で雨が降ったならば、私は貴方の弟子になろう。もし降らす事が出来なければ、すぐに法華経
に帰依しなさい」と書状を送ります。良観は雨乞いの祈祷をしますが、雨は降らず。
次いで日蓮が田辺ヶ池の龍神に祈るとたちまちに雨が降ったと伝えられています。
悔しがった良観は、日蓮を陥れる訴状を幕府に提出し、これに応じた幕府は日蓮を捕らえました。
日蓮は、鎌倉の町中を引き回しの上、龍ノ口の刑場に連行されます。
夜も更け、日付も変わった丑の刻(午前2時頃)、幕府の役人がまさに日蓮聖人の首を切らんと刀を振り上げる
と、江ノ島の方角から月のように輝く鞠のようなものが飛来したのです。これに驚いた幕府の役人は処刑が出来
なくなり、執権北条時宗の下知を得ようと使いを出します。ところがその頃幕府上空でも異変が発生していまし
た。大きな星が降り、地面が振動し、雷が光り、「日蓮を失えば子孫は滅び国土が滅ぶ」と声がする。驚愕した時
宗側からも処刑中止の使者が出され、両者は七里が浜に流れる川の所で行き合った…。そしてそこが行合川と
呼ばれるようになったそうです。こうした大騒ぎの後に処刑は中止され、日蓮は佐渡への配流となりました。
(念のためですが、上記の伝承はかなり日蓮寄りのものです。)
(←)日蓮の龍ノ口法難図。
どうでもいいですが、現れた光はエンケ彗星ではないかという説があります。エンケ彗星とは周期3.3年で太陽を公転する最も周期の短い彗星として知られております。
以下は『星の古記録』(斉藤国治著・岩波新書)より。 「…このときおひつじ・おうし座流星群の一流星が出現したのだと解釈されている。この流星群は太陽暦で十月下旬ごろ活動し、しばしば明るい流星を出現させることで知られている。その母彗星は有名なエンケ彗星で、この彗星がその軌道上にそって落とした一小片が偶然にも日蓮のいのちを救ったといえよう…」 また、日蓮を救ったのはこの様な奇跡ではなく、比企の乱で滅ぼされた比企能員の遺児である能本だとも言われております。以前の記事でも書いた様に能本は妙本寺を建てた人物として知られておりますが、20歳も年下の日蓮とも親しくしており、信奉者でもあったそうです。能本が手を回して北条時宗を説得し、日蓮の処刑を中止させたとの説もあるのです。
(『鎌倉の刑場龍の口』津田義英著/敬文堂より)
現在、龍口刑場跡には、寂光山龍口寺と言う日蓮宗のお寺が建っております。
日蓮の弟子・日法が龍口刑場跡を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立したのが龍口寺の始まりと伝
わっています。
本堂の右手には神奈川県内で唯一の木造五重塔が控えておりますが、この塔はそう古い時代のものではなく、
明治43年に建てられたとの事です。(竹中工務店が施工したとか。)
(↓)境内の仏舎利塔から見た江ノ島と相模湾。
現在の龍口は主要な道路が交わり、湘南モノレール駅も近く江ノ電も走る交通の要衝として賑わっております。
強烈な日蓮パワーに封じられているせいか、「処刑場跡」と言えどもおどろおどろしさの類とは無縁です。
オフシーズンは緩やかな時間が流れるいい所なので、湘南に行く時は是非寄って見て下さい…。
(↓)干物と江ノ電。
(↑)なんかこれを貼るのがめんどくさくなってきた…。
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鎌倉怨霊散歩
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江ノ電、乗ったことないんですよ。。乗りたいなぁ。。
日蓮を助けたのはきっと、ドラえもんかキテレツくんではないでしょうか??(・▽・)
それとも、たまたま観光に来ていた宇宙人が、「なんて野蛮なことを」
と憂い嘆いて、「ちょっくら助けてやるかぁ〜」
・・・・・ないない☆(^^;)。。
2011/1/26(水) 午後 3:26
かっちゃんさん、いやいや、「観光宇宙人がちょいと人助け説」を私は支持します!!
ちなみに、江ノ電は味があっていいですよ〜。仕事で乗るとあまりののんびりさにイライラしますが。
2011/1/26(水) 午後 5:27
竹中工務店に時代を超えて親近感を感じました
。
2011/1/26(水) 午後 6:23 [ クリリン ]
クリリンさん、竹中工務店は何と創業が江戸時代前期の1610年だそうです。関が原から10年しか経ってない。創業者は織田信長の元家臣である竹中藤兵衛正高と言う人で、寺社仏閣の造営を手がけたとか。五重塔を造る位訳は無かったのですね〜。ちなみに竹中工務店は札幌・東京・名古屋・大阪・福岡のドーム球場を造ったそうです。
2011/1/26(水) 午後 6:56
おーー!すばらしきかな竹中工務店
。
。
会社の力加減に歴史の重みを感じますー。
この間tvで江戸城や日光東照宮等を立てた「中井まさきよ?」って大工の頭領の話見ましたが、江戸時代には優秀なクリエーターがたくさんいらしたんですね。
あっ、別に江戸時代に記事内容引っ張ってる訳じゃないですよ
2011/1/26(水) 午後 8:39 [ クリリン ]
クリリンさん、東京タワーも竹中工務店の仕事だそうで。
いや別に、竹中工務店から金貰って書いてる訳じゃありませんが。(くれないかな?)
江戸クリエーターは私も興味大ですので、ネタを探してみます!!
2011/1/26(水) 午後 8:46
龍口寺境内に小さな稲荷社があって、社の前に卵を置くなと謎の言葉が書かれています。
なぜこんな言葉が書かれているか意味を考えてみてください。
ちょっとした頭の体操になります。
鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にはしばしば「光物飛行ス」と書かれています。通常光物は流星か人魂を意味しますが、流星は別の表記があり、飛ぶ位置の説明からすると人魂でもないので、多分UFOのようです。
2011/1/26(水) 午後 9:20 [ 酔石亭主 ]
酔石亭主さん、龍の玉にちなんで卵(卵をギョクと言いますものね)を置く人が多かったのでしょうか?でもお稲荷さんに捧げるのは油揚げだよと…。(二つ揃えて油揚げの卵とじなんて作ると美味しそうですが)。蛇を祀る神社に卵を供える風習もありますし、蛇も龍も長いもの同士で同じくくりなのでしょうか?
しかし、やっぱりUFOですよね!!宇宙人も日蓮に帰依していたのでしょうか。
2011/1/26(水) 午後 9:35
この時代の日本は暴風に結構助けられてますよネェ。
故に神風神話が定着したんでしょうけど。
ま、さすがの神風も押し寄せる米軍機の群れは防げなかったようですが(^^;)
しかし日蓮さん処刑の変異って、欧米等で言うところの「雲間から強い光が差し込み、マリア様からお告げを受けた」系ですよね〜。
2011/1/27(木) 午後 6:00 [ リットリオ ]
さすがTOさんですね。正解です。
江の島と龍口寺は五頭竜伝説で対の存在になっているので、寺のお隣に龍口明神社もありました。(現在は腰越に遷座)龍と蛇は同類で、卵は蛇の大好物です。
ですからご指摘のように奈良の大神神社などでは卵が供えられています。
稲荷社の前に卵を置くなと書かれたのは、龍口寺に参拝された方が、龍が祀られているものと勘違いして卵をお供えしたため、そうした注意書きが設置されたものと思われます。
ところで鎌倉大仏は定番観光スポットですが、調べてみると謎だらけで面白いですよ。何とか謎を解こうとブログに書き始めましたが悪戦苦闘しています。
2011/1/27(木) 午後 7:05 [ 酔石亭主 ]
リットリオさん、洋の東西を問わず聖人に奇跡は付き物です。
光の一つや二つ飛んでこないで何が聖人か…ってところでしょうか。
2011/1/27(木) 午後 10:46
酔石亭主さん、長谷の大仏(私が鎌倉でバイトしていた時、ジモティーはみんなこう呼んでました)は私もそろそろ取り上げようかなと思っていた所です。あれだけの有名観光地なのに謎だらけ。ちょっと怨霊目線で調べている所です。
2011/1/27(木) 午後 10:48
後鳥羽上皇や三浦一族の怨霊ですね。ただ、後鳥羽上皇は新宮神社で鎮められていますし、三浦一族は後で一定の復権を果たしていますし…。逆に、大仏造立の理由付けを怨霊と言うことにしたとも考えられるのですが…。いずれにせよ難しく、まだ熟考中です。
2011/1/29(土) 午前 6:59 [ 酔石亭主 ]
酔石亭主さん、今の所の印象ですが、何か特定の怨霊を鎮める為に造られたのではないと…。しかもどうやら幕府のオフィシャルな事業でもないらしいし…。今、古本屋で本を買い漁っている状況です。
2011/1/29(土) 午後 11:56
北条時行の奥さんは熱田大宮司の娘です。子孫は名を隠し大宮司邸の地名、横井を名乗り子孫は存続してゆきます。戦国期横井時泰は織田信長に従います。桶狭間に近い熱田神宮横井村、五千石です。桶狭間合戦は熱田神宮氏子の活躍があったといいます。
2014/7/16(水) 午後 11:57
熱田北条さん、信長が桶狭間に出陣する折、熱田神宮に参詣したのは有名ですね〜。熱田神宮を発つ時には、信長の軍勢は2000人ほどになっていたそうですが、その中に熱田神宮の氏子さんらがいたのでしょうね。
2014/7/23(水) 午後 7:45