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エインゲディーのYHを出る時には、同室の連中は皆それぞれどこかに旅立って終った後だった。
もう少し急げば8:00のバスに間に合ったのだが、あたふたしても仕方ないので、次の11:30のに乗る事にして
死海の朝をゆっくり楽しむ。
食堂では、今日は朝飯を食う奴が少なかったのか、料理がたっぷりと残っていた。
お陰で3食分ほどたらふく平らげ、今日は寝るまで飯はいらない。
10:00にはバス停に出て、のんびり日光浴。1月の日差しもイスラエルでは暖かく、風もないので、
今日あたりは死海の「浮かび日和」だ。
岩に凭れてウトウトしていると腕時計のアラームが鳴った。11:25。
イスラエルの長距離バスは殆どきっちり時間を守る。エイラット行きのバスもオンタイムで陽炎の彼方から姿を
現した。何故かエイラット行は運賃が高く、学生IDを示しても14シェケルもとられた。
やや混んでいるバスの、後の方の窓際に落ち着くと、やがて車窓をマサダが通過し、しばらく死海の沿岸を
走る。おおよそ自分とは縁のなさそうな高級ホテル群や、ソドムの死海工業社の工場が後に流れ、やがて
バスはネゲブの砂漠に入った。砂漠と言っても、岩石砂漠と言う奴で、ガツガツと乾ききった岩が無数に広がる
薄茶の荒野だ。その向こうには、ヨルダンの山々が荒々しい肌を晒している。
途中のガスステーションで休憩し、ファラフェルを食った。6シェケルもとられたが、こんな荒野の中では
仕方がない。再び走り始めたバスの中は、エアコンが故障しているのか、温室のようになり、うだるような
暑さだ。車窓にはいつまでも同じ景色が続く。風景のアクセントと言えば、何もないように見えた砂漠の中から
突然の轟音と共にIDF(イスラエル国防軍)のF-15戦闘機が飛び立っていった事くらいだ。
景色にも飽きて一眠りして目を醒ますと、バスはかなり走ったらしく、エイラットまで20Kmの標識が見えた。
道路にコンクリート製の大きなブロックを置いてシケインにした軍の検問所を抜けると、前方に青い海と町並みが
見えた。イスラエルの南端の町、紅海に面するエイラットだ。
窓を開けると、乾ききった風の中に、ほんの少しだけ潮の香りが混ざっているような気がした。
バスは、そうごみごみもしていない小ぢんまりとした町の、小ぢんまりとしたバスセンターに辿り着いた。
バスから降りる客は、横腹から荷物を出す間もなく、安宿の客引きに群がられる羽目になり、私の所にもチリチ
リ金髪の兄ちゃんが言い寄ってきた。
ドミトリーで10シェケル、キッチンもホットシャワーも使えるョ!!と調子のいい事を言ってくる。
見て嫌だったら断ってくれてもいいョ!! と言うので、彼の襤褸車に乗り、宿まで連れて行って貰った。
そこは、これほど町外れもない町外れで、インフロントオブ荒野!!とういうトンでもない所だった。
平屋の小さな宿には看板一つ出ていない。たぶん、チリチリ金髪の兄ちゃんが引いてきた客でまかなっている
のだろう。
中に入ると、ナイトライダーのマイケルそっくりの宿主が満面の笑みで出迎えた。部屋はドミトリーとはいえ広く、
部屋もトイレもシャワーもキッチンも綺麗だったので、とりあえず1泊頼んだ。すると、明日は金曜日だから安息
日の明ける週末まで泊まらなきゃ何処へもいけない。3泊しろ、とマイケルが言い出す。いや、1泊でいいよと言っ
ても、お前エイラットに何しに来たんだとまくしたてるので、何となく3泊する事になった。マイケルは、これから1時
間掃除を手伝ったら1泊分まけるてやると言われたが、断った。
とりあえずすることもないので、町のインフォメーションに行って地図でも貰おうと外に出た。地の果てみたいな
宿だが、小さな街の事、10分も歩くと商店街もある町の中心に出られた。町のすぐ脇に飛行場があり、今しもプ
ロペラの旅客機が着陸しようとしている。インフォメーションで地図を貰い、そう言えばマイケルはインフォはしま
ってるから地図なら安く売ってやると言っていたが、奴が大嘘つきだと言う事がこれでバレた。
通りのベンチでさてどうしようかと座っていたら、あそうだ、換金しなきゃと銀行に行ったら開いていたので50ドル
ばかり両替した。出国時はシェケルからドルへの換金は難かしいようなので、チェンジのタイミングも考えないと。
そうこうしているとヨルダンの山並みがオレンジ色に染まり、乾いた熱風もやや涼しさを感じさせる。宿の近くのス
ーパーで安息日対策の買い出しをして、マイケルの宿に戻った。マイケルは、明日掃除したら10シェケルだぞ〜
と、言うがそれを背にしてキッチンでスープにピタ、フルーツの質素な夕飯をつくって食う。その後、シャワーを浴
びたらぬるかった。嘘つきマイケルめ。
部屋に戻ると、他に客は入っておらず、がらんとした8人部屋は独占できそうだ。
陽が落ちて気温は急速に下がりつつあり、海に面していながらもここは砂漠の気候なのだと改めて思い至った。
さて、翌朝、ゆっくり寝ていると、ガーガーとけたたましい掃除機の音で叩き起こされた。
何だ何だとむっくり起きると、見たところ12〜3才のの少年がドイツ製の大仰な電気掃除機をかけている。
枕もとの腕時計を見ると、もはや昼前だった。
もそもそする私にお早うと声をかけ、少年はまた掃除機に集中する。
ははあ、マイケルの奴、宿泊客に掃除させる事を諦め、そのへんの小僧を小遣銭で雇ったかと、そう思って
またぞろシーツに潜り込んだが、掃除機の音がうるさすぎて、寝るのを諦めた。暑かったせいもある。
あ、そうだ。せっかくだから紅海で泳ごう、と思って、がば、と飛び起きると、
いつの間にか、少年は掃除機もろとも姿を消していた。
すばしっこいガキだなとおもいつつ海パンを穿き、Tシャツをかぶり、ジーンズを引っ掛けて、どやどやと廊下を
歩いていると嘘つきマイケルがいた。
マイケルがまたしつこく掃除したら云々と言うので、小僧を雇ったんだろ?俺の出る幕ないよ、と返すと、
キョトンとしている。いや、だって、さっき、子供が掃除してたじゃないかと言うと、マイケルはアーハーンと
両手を広げ、ああ、そりゃゴーストだと言う。また、出たかと。
何言ってんだホワットドゥーユーセイと訊くと、つまりはこう言う事だった。
お前が見たのは、むかしここに住んでいた子供の幽霊だ。
むかしはここは、金持ちの別荘で、その息子がヨムキプルの戦争で死んだそうだ。
死んだのは20何歳かだったらしいが、何故か子供の頃の姿で出てくる。
俺も何度か見てるが、たいていの場合、掃除してるな。わっはっは。
―ああ、そうですかと、今更嘘つきマイケルの話を信じる気も無かったが、ヨムキプル戦争(第4次中東戦争)
で死んだ人の幽霊とは、いかにもイスラエルらしいと言えばらしい。
その後、この地が気に入ったので、掃除を請負ながら2週間ほどただでその宿に滞在したが、その間、他の客が
入ってくる事も、あの少年が出て来る事もなかった。そう言えば、客引きのチリチリ金髪の兄ちゃんにも会う事は
なかった。その2週間、掃除以外、何をしていたか、良く憶えていない。
しかし、宿を去る時、マイケルがこう言って見送ってくれたのは朧げに記憶している。
「ホントにここが平和になったら、また、来てくれ」と、彼はそう言っていたような気がする。
もしそうなった時、また、あの少年に遭えるのだろうか。嘘つきマイケルにも、チリチリ金髪にも。
そんな風に思いながら、私は、小さなバスセンターを10:00に発つテルアビブ行きのバスに乗った。
走り出して間もなく、砂漠に入ったバスから振り返ると、紅海の青も、エイラットの町も、立ち昇る陽炎の
中に見えなくなっていた。―幻のように。
【後日談だが、私は泊まった宿のカード(宿の名前と住所・電話番号・略地図などが印刷された名刺みたいな
もの)は必ず保管していたのだが、あの嘘つきマイケルの宿のものだけが見当たらないのだ。】
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旅の怪
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建物の「幽霊」だったのでしょうか?宿の主人らコミコミの・・・。生命体でなく「車」や「家屋」、スケールが大きくなると「街」そのものが幽霊みたいな存在であった、なんてお話が結構ありますよね。人間と関わりが深い物(深かったと言うべきですか?)程、そんな現象を起す事があるとか。今回のお話だと、少年やマイケル、チリチリ金髪氏らは、家屋諸共戦災にあって・・・別れ際の、マイケル氏の挨拶が何とも意味深な余韻を残しますね。
2011/12/25(日) 午前 11:32 [ そまりん ]
そまりんさん、ホテルのある空間そのものが幽霊だったのかも。
外国に行くと色々と不思議な事が起こりますが、何故かあまり違和感がない。そんなお話のひとつかも。
2011/12/25(日) 午後 9:27