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世間はメリークリスマスなので、根っからブディスト(浄土真宗)な私TOにしては珍しく、教会ネタを。
 
先に申し上げておきますが、前置きが長いですよ〜。いつものことながら。
 
師走でバタバタしている方は読まないで下さいね。 時間の無駄ですから。
 

 
中央区明石町…っつっても、よっぽど都内か近在かの方以外は、「え?どこそれ」でしょうが、
 
それを築地と言えば、まあまあ誰でも知っていると思います。
 
市場があり、何と言っても吉牛1号店がある所ですから。
 
 
明石町は、今や「歩くとちょっとある」程度に築地感がないのですが、
 
江戸〜明治時代くらいの昔は十把ひとからげに築地であり、
 
むしろ、鉄砲洲のあたり…と言ったほうが通りが良かったらしいです。
 
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そもそも、「築地」って地名自体が埋め立てによって造られた土地を指すっぽく、
 
100万都市なのに捨てるものが殆どなかったと言われる超リサイクル・シティー大江戸八百八町で、
 
殆ど唯一捨てるしかなかった火事の廃材なんかで埋め立てたのが始まりらしいです。
 

 
現在の明石町と言えば、聖路加国際病院(以下、聖路加)です。
 
私の勤務先とも程近いのですが、明石町、とは誰も呼ばず、聖路加のへん、と呼びます。
 
聖路加は、政界財界芸能界、果てはやんごとなきお方まで受診され、
 
あのサリン事件では多くの被害者の方を救護し、
 
はたまた、先日は、元ビートルズの外タレが来日後体調不良になって公演をドタキャンした折も、
 
ここに一時入院したほどの超一流病院です。
 
 
一部では金持ち御用達としてやっかまれてるらしい聖路加ですが、実は
 
私もお世話になったんですよね〜。
 
正確に言うと、私の知人が大怪我をして、深夜に付き添って行ったのですが、スタッフ皆様の
 
明るくフレンドリーにして、手厚い看護には感動したものです。
 
その知人は日本人ではなかったのですが、金払いができるかどうかとかなんて一言も訊かず、
 
暖かく迎えてくれると共に迅速に治療を開始してくれ、深夜なのに、パパパのパと診断し、
 
即座にレーザーとかの最新医療機器で傷口を縫合しちゃったりするんですよ!!
 
あまりのことに、「俺も死ぬときゃここで死ぬわ」と、可愛い(ホント可愛かった)看護師さんに言ったら、
 
ニッコリ笑って、「生きるために来てくださいネ」と返されたのを記憶しております。
 
キリスト教の良いところ、つまり博愛精神が溢れてるなぁと、一向衆な私TOと言えど、感服したものです。
 
 
(↓)夜の聖路加。
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そして、聖路加を中心とする明石町界隈は、都内には珍しく、ヨコハマっぽさと言うか、よくある
 
”後からくっつけられた異国情緒”ではない、真性のバタくささが漂うのです。
 
 
それもそのはず、明治の初めから、このあたりは、「外国人居留地」として供用されていたからです。
 
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日本側としては、外人にあまりあちこちウロついて欲しくはないので、いささか周囲と
 
隔離出来るとこ…つまりは、埋立地で人払いも比較的容易で、川や運河に囲まれて交通も不便な
 
鉄砲洲のあたりはうって付けだったのでしょう。
 
 
(↓)通りの名にも残っている。
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ちなみに、ここには、あの!! 時節柄にもピッタリの!! 浅野内匠頭の屋敷もあったのです。
 
 
(↓)よくワカランと思うが、それを伝える石柱。
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浅野家がここに屋敷を造る時、幕府側からは「切り取り放題」つまり、好きに敷地をとっていいよ、と
 
言われたとか。つまり、地価が相当安そうな感じの所で、実際、かなり淋しい場所ではあったらしい。
 
外国人居留地を造る時に立ち退く居住者にも、「代替え地はそのうち探すからね」的な事を言った
 
きりだったとか…。
 
 
そんなこんなで、明治元(1868)年にこの地に外国人居留地が開設されたのでありました。
 

 
蛇足ですが、当時も外人と日本人の軋轢は色々あって、有名な所では生麦事件
 
なんてのも起こったりしましたが、割と、かなり普通に、深刻だったのが実は、屎尿、つまり、
 
ウンコオシッコの問題だったとか。
 
すみませんねぇ、イブにこんな話で。
 
 
江戸では大多数の人口は長屋住まいで、長屋には共同便所があり、そこに溜まった糞尿は
 
近隣の農家が買い取って肥料にしておりました。
 
つまりは、人糞も立派な農業資源。まさに金糞。素晴らしき大江戸リサイクル社会。
 
  
そんな訳で、ウンコオシッコ満載(すみませんねぇ、イブにねぇ…)の肥たごを担いだ農民が
 
へっこらおっこら通りを歩く…ってのは、江戸っ子にとっちゃぁ当たりめぇだったのが、
 
ゲェジンは、やれ不潔だやれ文明国にそぐわねぇだといいやがる。
 
あげくは、表を通った糞尿運搬の臭気が館の中に入って困るなんて、幕府にクレームを
 
つける輩も出てきやがる始末で、てめぇらだって中世には二階三階の窓から通りの真ん中に掘られた
 
排水路にクソションベン(重ね重ね申し訳ない…イブなのに…)放り捨ててペストとかを流行らせた
 
クセしやがって…と、当時の江戸っ子が言ったかどうかは知りませんが、とかく外圧に弱い我が国
 
の事、応急的かつ現実的対処として、とりあえず肥たごに蓋をする…としたとの事です。
 
 
(↓)江戸の小便買い。現金や農産物との交換で下肥を買ったそうな。
 
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同時に、ゲェジンが指摘したのは”立ちションベン”。(ホントすみまんせん。イブに。)
 
アレは今でも欧米行くと御法度らしく、酔っ払って立ちションするのはドイツ人と日本人だけ、なんて
 
言われたりしますが、江戸にはいわゆる公衆便所と言うものはなく、と言うか、でものはれもので、
 
ションベンなんてどっかそのへんですりゃぁいいじゃねぇかと、大らかな文化だった。
 
当然、江戸っ子(♂)にとって、立ちションなんてなぁ、罪悪感の欠片もなぇどころか、野糞すら
 
日常茶飯事。
 
 
(↓)辻番の脇に立ちションベン。
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そこで、明治になって、東京府ってのが出来たと思えば、「外人は綺麗好きで、悪臭を嫌うので、
 
ドブさらいをちゃんとして、ゴミをそのへんに捨てないで、立ちションとかもしちゃダメだお」的な
 
お触れを出します。そして、いわゆる”公衆便所(立ちション用)”が造られたりもしましたそうな。
 
  
そんなこんなで、外国人居留地のクソションベンの問題も神経を使ったらしく、一応下水道なんかも
 
敷設されたそうです。
 

 
ええと、何のハナシでしたっけ?
 
ああ、心霊ですね。 心霊心霊。
 
 
築地の居留地には、当然ですが、病院や教会もありました。
 
前者は聖路加になるのですが、後者も今も続いております。
 
ここでやっと、タイトルの場所までたどり着きましたが、それが「築地教会」です。
 
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築地教会は明治7(1874)年に、東京で初めてのカトリック教会として献堂式が行われたと言う
 
由緒正しき教会。
 
 
教会の敷地内には孤児院や小学校も置かれたそうですが、明治10年頃、その小学校に
 
化け物が出た…と、教師である小川某伝道師が書き記しているそうです。
 
 
ある夜、木村という12〜3才の生徒が夜中に起きたところ、ガラス窓一面にシワだらけの
 
化け物が大きな口を開けて睨んでいた。「おおお、お化けが出たァ〜」と叫んだ声に、
 
目を覚ましたのがコックの渡辺。
 
布団に潜って震えている木村くんに「どこだ化け物は!?」と聞き、布団の中から木村くんが
 
指差す方を見ると、確かに恐ろしい化け物の顔が浮かんでいる。
 
渡辺コックは「化け物もクソもあるか!!」 (また、クソか!! イブなのに!!)
 
と言いつつ、自分も布団を引きかぶってしまったそうな。
 
 
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(←)シワだらけの化け物(想像再現図)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(↓)往時の築地教会。
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また、築地教会の神父さんが、信者夫婦に取り憑いた大入道に悪魔祓いで対抗した…
 
なんて話も、小川伝道師は書き残しているそうです。
 
 
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―え? そんだけ? とお嘆きの貴兄貴女。
 
そんだけ、なんです。すみません。
 
 
勿論、築地教会は今では心霊スポットでも何でもない、聖なる祈りの場ですので、
 
タイトルに「元」をつけた次第でございます。
 

 
 てな訳で、改めて、ウイウッシュアメクリスマス、ハッピーハッピークリスマスでございます。
 
 
 イメージ 11(↓)ライトアップされた勝鬨橋。
 
 
(↓)勝鬨橋からの隅田川夜景。
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(↓)聖路加ガーデンのクリスマスツリー。
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(参考) 『伝説探訪 東京妖怪地図』 田中聡/著 荒俣宏/監修 祥伝社黄金文庫 他
 


(Xmas特別付録)サンタ小噺
 
①サンタさんが煙突を降りると、その部屋にはうら若き美女が全裸で眠っていた。
しばらく呆然と美女の寝姿に見とれていたサンタさんは、こう呟いた。
「どうやら部屋を間違えてしまったらしい…。しかし困った。罪を犯せば天国に戻れなくなるし、
罪を犯さないと、狭い煙突に引っかかって戻れなくなる…」
 
②「ねえ、聞いて聞いて!! イブの夜、薄目あけたらサンタがママにキッスしてたのよ!!」
「うちなんか、サンタとママがレスリングしてたわ」
 
北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD) とその前身である中央防衛航空軍基地 (CONAD) は
50 年以上に渡りサンタの飛行を追跡して来ました。
 
この恒例行事は1955 年にコロラド・ スプリングスに拠点を置く
シアーズ ・ローバック社が子供向けに「サンタへの直通電話」を開設した時に
誤った電話番号を広告に掲載したのがきっかけとなって始まりました。
サンタに繋がるはずのその番号は何と CONAD の司令長官のホットラインの番号だったのです。
 
子供達からの電話を受けた当時の司令官ハリー シャウプ大佐は
サンタが北極から南に向かった形跡がないか部下にレーダーで確認させました。
 
そして電話を掛けてきた子供達にサンタの現在地の最新情報を
順次伝えたことからこの伝統が生まれました。
 
1958 年にカナダと米国の両政府は北米航空宇宙防衛司令部、
通称 NORADとして知られる両国が共同運営する北米防空組織を創設しました。
そしてそれがサンタ追跡という伝統も引き継いだというわけです。
 
それ以来NORAD 職員とその家族や友人の献身的なボランティアによって
世界中の子供達からの電話やメールへの対応が続けられています。
また現在ではサンタ追跡にインターネットも利用しています。
 
サンタの現在地を調べようとNORAD TRACKS SANTA®ウェブサイトに
アクセスする人の数は何百万人にものぼります。
 
そして今では世界中のメディアもサンタの飛行経路に関する信頼できる情報源として
NORAD の情報を採用しています。
 
 
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 ↑ クリックすると飛びます。
 
 
日本時間の12月24日午後4時からサンタの準備風景を視聴でき、
さらにその後、何十億もの多くのプレゼントがどのようにして遠くまで運ばれるのか、
そしてサンタが次にどの街に向かうのかを知ることができる。
 
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…北朝鮮とかアフガンとかシリアとかまでサンタさんが行くかは、
どうぞご自分でご確認を…。

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しつこく、サザエさんですが。
 
『ヒロポン』
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ヒロポン®(Philopon®)とは、大日本住友製薬(旧:大日本製薬)によるメタンフェタミンの商品名であり…(中略)…「ヒロポン®」の名は、「疲労をポンと取る」にも掛けているが、英文綴りに見られるように、ギリシア語のΦιλόπονος(ピロポノス/労働を愛する)を由来としている。
日本では、太平洋戦争以前より製造されており、「除倦覺醒劑」として販売されていた。その名の通り、疲労倦怠感を除き眠気を飛ばすという目的で、軍・民で使用されていた。2014年現在でこそ、覚醒剤の代名詞であるヒロポン®だが、当時はメタンフェタミンの副作用について、まだ知られていなかったため、規制が必要であるという発想自体がなく、一種の強壮剤として利用されていた。当時の適応症は、「過度の肉体および精神活動時」「夜間作業その他睡気除去を必要とする時」「疲労二日酔乗り物酔い」「各種憂鬱症」であった。大日本帝国軍では、長距離飛行を行う航空兵などに支給されている。ヒロポン®の注射薬は「暗視ホルモン」と呼ばれ、B-29の迎撃にあたる夜間戦闘機隊員に投与された。中には、一晩で5機のB29を撃墜した例もあった。
ヒロポン®は「本土決戦兵器」の一つとして量産され、終戦時に大量に備蓄されていた。
大東亜戦争終戦により、大日本帝国軍の備蓄品が一気に市場へ流出すると、酒やタバコといった嗜好品の欠乏も相まって、人々が精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延した。
その薬物依存症者即ち「ポン中」が大量発生し、中毒患者が
50万人を超えるなど社会問題となった。…(中略)…
1949年(昭和24年)、日本国政府はヒロポン®を劇薬に指定、
製造業者に対し、覚醒剤としての製造を禁止するよう勧告し、
1951年(昭和26年)に覚せい剤取締法を施行したことに伴い、日本国内では、「限定的な医療・研究用途での使用」を除き、覚醒剤の使用・所持がすべて禁止されている
(Wikipediaより。)
 
 
 
 
 
 
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(↑)これが、こう。(↓)
 
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『波平とGI』
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福岡時代の波平。かなり裕福だった様子。
 
米軍物資の横流しをしていた とのウワサも…。
 


 
『全自動タマゴ割機』
 
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東芝製であるのは、まず間違いない。
 


 

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サザエさんですが。
 
マニアには常識でも、意外に世間一般には知られていない小ネタが多くあるようで、
 
そのひとつが、先ほどの記事でご紹介した、イササカ先生がジャンキーだった的なお話。
 


 
他にも、(原作では)マスオさんとノリスケさんは旧軍軍人で、インパール作戦の生き残りだった!!
 
・・・なんて、滅茶苦茶重いハナシもあります。
 
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インパール(ウ号)作戦。
 
無能無責任な指揮官
 
の下実施された無謀な
 
作戦。
 
日本軍は歴史的敗北を
 
喫し、多くの犠牲者を
 
出した。
 
 
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マスオさんは戦争神経症に悩まされ、精神安定剤(ランキイザァ…サクラ先生風に発音)
 
を常用してたらしい。
 
イメージ 4(←)こんな温和なノリスケさんにも
 
暗い過去が…。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
また、フネさんは独身時代には看護の仕事をしており、戦争傷病者の手当をしていた…とか、
 
波平さんの福岡時代(サザエさんは元々福岡の新聞で連載されており、福岡在住だった。
 
その後、東京に転居。)の仕事は、米軍物資を扱うものだった…とか。
 
 
原作の連載が開始されたのが戦後間もない昭和21年であり、この辺は、当時の世情を
 
色濃く反映していたようです。
 
(マスオさんのモデルは、インパールで戦死された長谷川町子さんのお兄さんだとか…。)
 


 
ついでに、サザエさんの登場人物は高学歴…と言うのは有名なハナシですが、纏めてみると結構スゴイ。
 
波平さん…京都大学
フネさん…日本女子大
マスオさん…早稲田大学(商)
イササカさん…早稲田大学(一文中退)
イササカさんの奥さん(お軽さん)  : 日本女子大学 (フネさんの親友だった)
イササカさんの息子(甚六さん)  : 早稲田大学(理工)
イササカさんの娘(ウキエさん) : 東京理科大(理工)
アナゴ さん… 京都大学
ノリスケさん…東京大学(法)
タイコさん・・・立教大(経済)
 
見よ、このソウソウたる学歴群!!
 
何と!! と言っては失礼ですが、いつも御用聞きに来る三河屋さんのサブちゃんさえ、
 
一橋大学卒との事です。
 
 
サザエさんを取り巻く環境の、ドタバタするものの結果何となく落ち着くとこに落ち着く、
 
さりげなく理知的な雰囲気は、これによるものか?
 

 
ちなみに、肝心のサザエさんは「あわび女子学園」卒だそうで・・・。
 
偏差値がどれくらいかは不明ですが。
 


 
 
と言う訳で、サザエさんも世につれであると言う、おハナシでした。
 
初冬の横浜、馬車道。
 
師走とはいえど、この通りは、相変わらず落ち着いた大人の面持ちである。
 
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これで雨でも降っていれば、 ♪嗚呼 時折雨の降る 馬車道あたりで待っている…
 
と口ずさんで洒落込むところだが、幸か不幸か、冬晴れである。
 
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さて、そんな馬車道に、神奈川県立歴史博物館は在る。
 
取材班の、本日の突撃先はここなのである。
 
 
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威風堂々、格調高き佇まいもむべなるかな、この建物は今から110年も前、明治37(1904)年に
 
横浜正金銀行本店として創建されたものなのである。
 
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ネオ・バロック様式の本格的西洋建築で云々…とか、横浜正金銀行は…と言うくだりは、
 
Wikiでも参照して頂くとして、何故、我々(一人じゃん)取材班がこの地を突撃するかと言うと、
 
取りも直さずここが、港・横浜、ブルーライトヨコハマ、追いかけてヨコハマ、そのヨコハマ有数の…
 
心霊スポット だからである。
 
 

 
大正12(1923)年9月1日11時58分32秒。
 
相模湾沖を震源に発生した、M7.9の巨大地震が、首都圏を襲った。
 
大正関東地震と、それに伴う関東大震災の発生である。
 
横浜の被害も甚大であり、多くの家屋建物が倒壊し、市内各所は大火災により灰燼に帰した。
 
 
正金銀行本店は、「補強煉瓦造・石造」つまり、煉瓦を主に構造され、それを鉄材で補強し、
 
外板に厚みのある石材を貼る、と言う堅牢な作りが幸し、地震の激しい揺れにも倒壊しなかった。
 
 
地震発生直後から避難してきた人々や行員含めて約340名は、入口の鉄扉はもとより
 
窓のシャッターも閉めて内部への延焼を防いでいた。
 
それでも、上階から回った火が1階の内部まで焼き尽くす中、地下室に篭もり、
 
皆で励ましあい耐え忍んだ結果、一人の死傷者も出さずに生還できたと言う。
 
正金銀行本店は、嵐の如き火災にも耐え切ったのである。
 
 
ところが、である。
 
門扉が閉じられた後に正金銀行本店に辿りついた人々は、悲惨な運命を辿る事となった。
 
地獄の業火がようやく鎮火した後、正金銀行の周囲には、多くの焼死体が横たわっており、
 
その数140柱とも言われ、多くは激しい損傷のため人物特定も不可能な状態だった。
 
 
鎖された扉や窓を目前に、焼け死んだ人々の苦痛苦悶はいかばかりか。
 
開けてくれ、助けてくれ、と叫んだ人も多かったのではないだろうか…。
 
 
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 そんな訳で、旧横浜正金銀行本店、現神奈川県立歴史博物館には、
 
曰く「夜な夜な呻き声が聞こえる」 
 
曰く「建物の壁を、ガリガリと引っ掻く音がする」
 
曰く「地下のホールに出る」 
 
曰く「3階に開かずの部屋がある」 
 
曰く「震災の日には亡者が徘徊する」 …
 
等等のウワサが流れ、それは今日まで続いているのである。
 
 
ちなみに、旧来の心霊系サイトの多くはこれを「神奈川県立博物館」と表記しているが、
 
「神奈川県立博物館」は平成7(1995)年に、現「神奈川県立歴史博物館」に改称されている事を
 
付け加えておく。
 

 
さて、数々の「心スポ」を踏破し、その度逃げ帰った百戦錬磨のヘタレである取材班も、
 
このネオ・バロック調の本格的…(Wiki参照)を目前にすると、いささかの緊張を隠せない。
 
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いささかで思い出した蛇足ではあるが、サザエさんちの隣に住んでた、
 
いささか先生が小説家であり、その担当編集者がノリスケさんであるのはご存知の通りであるが、
 
いささか先生が恋愛小説家な事は余り知られていない。
 

またまた蛇足だが、原作では、いささか先生愛飲のヒロポンをカツオとワカメが飲んで大騒ぎ…
 
との、心温まるエピソードがあった事もまた、余り知られていない。
 
ヒロポンとは、メタンフェタミンという薬物であり、「疲労がポンととれる」のでヒロポン。

手っ取り早く言うと、シャブ、覚醒剤である。
 
「第二次世界大戦当時には連合国軍と枢軸国軍の双方で、航空機や潜水艦の搭乗員を中心に、
 
士気向上や疲労回復の目的で用いられた。21世紀初頭の近年、世界各国においてその蔓延の
 
急速な進行が確認されており、一例としてアメリカ合衆国では、『最も危険なドラッグ』

として語られるものとなっている…」とはWikiの解説である。


終戦直後の日本には「ポン中」と呼ばれる中毒者がいっぱいいたという。

本土兵器‼︎ の一つとして大量に生産・備蓄されたのが市中に出回ったらしい。

当時は合法薬で、普通に薬屋で買えるシロモノだったのである。

昭和26年施行の覚醒剤取締法により厳しく規制されるようになったが、

現在でも、G能界とかプロ野Q界なんかでは半ば公然と愛好されてるらしい。)
 
 
イメージ 4(←)いささか先生。エロもとい恋愛小説家にしてジャンキー
 
もとい、過激な疲労回復剤のヘビーユーザー。
 
人は見かけによらない…と言う事だ。
 
 
 
 
―そんな事はどうでも良い。
 
神奈川県立歴史博物館のハナシである。
 
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(↑)実質「地下」にあたる、地表面下の窓。上の画像の塀の下にある。
 
元銀行らしく鉄格子が嵌っており、恐らくここを…業火の中に取り残された…人々が…。
 
 
(↓)分厚い、鉄の扉。…恐らくここを…業火の中に取り残された…人々が…。
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さあ、ハマ有数の「心スポ」に、いよいよ踏み込む取材班の面々(一人だけどさ)。
 
レッドカーペットと旧態依然のドアが我々を迎える。
 
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 ちなみに、この入口は「馬車道口」である。正面口はほかにある。
 
しかし、神奈川県立歴史博物館にご来館の折は、是非とも馬車道口からお入りになることを
 
お勧めする。
 
 
(↓)正面口はそれなりに立派で近代的だが、同時に、どこにでもあるような設えであるから。
 
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という事で、馬車道口から突撃を試み、ギギイ…と音を立てそうな古びた扉を開け、中に入る取材班。
 
いやが上でも高まる期待感!!
 
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おう、館内の、この、いささか重苦しい雰囲気!! 期待を裏切らないこと甚だしいやんけ。
 
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 …出ても、おかしくはない…と思わせるほど、面妖な空気感が、いささか漂う…ような気がする。
 
 
(↓)いささか、歴史を感じさせられる、館内の扉。
 
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 イメージ 16(↓)いささか、いい感じの、館内軽食店。思わず、入ってしまう。
 
 (↓)軽食店内の船舶模型。窓の手回し把手も、いささか、味わい深い。
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朝飯を食ってなかった取材班。
 
軽食店のウリらしい「博物館のサンドイッチ」をたのんだら、気の良さそうなおばちゃ…ご婦人が、
 
「ゴメンなさいね〜。これからパンを買いに行くのよ〜」と朗らかに仰るので、じゃ、カレーで。
 
カレーも、サラダとコーヒー付きで500円ちょっとで、しかもとても美味しゅうございました。
 
いささか、特した気分になった取材班。
 
 

 
 
さて、腹も満ち、受付で300円也を支払い展示室に踏み込んだ取材班。
 
「発掘された御仏と仏具」なる特別展もやっており、立派な冊子も頂いた。
 
冊子だけで300円以上の価値はある!! 
 
 
常設も神奈川県内の歴史を古代から辿る安心感のある構成で、順路もわかり易い(コレ大事)。
 
石器〜縄文の出土物から、特にやはり中世期つまり鎌倉系の展示が充実していて、
 
取材班なんかには、いささかの快感を与えてくれる。
 
そしてやはりヨコハマらしく、開港期の展示も頑張ってる感があり、好感度大であった。
 
 
特筆すべきは、各階に待機するボランティアの解説員さんが皆さんフレンドリーにお声を掛けて下さり、
 
非常に興味深いお話を聴かせて下さった事。
 
色々質問すると、あちらにも判らない事も出てきて、しかしそこで、ああではないかこうではないかと
 
歴史談義に花が咲き、いささか楽しい時間が流れる。
 
 
ここも週末には立て込むそうだが、平日空いている時に行き、国宝とか歴史的発見とかではないが、
 
昔に生きていた普通の人々の痕跡に、今に生きる普通の人々が、ゆっくりのったりとふれ合い
 
味わうと言うのは、実はとても良いのではないかと思う取材班である。
 
 
(↓)トイレの窓の、いささか味わいのある設え。
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 イメージ 19(↓)歴史的保存中につき、立ち入り禁止らしき階段。いささか、重みがある。
 
 イメージ 20(↓)館内の。そこここに、いささかの歴史を感じさせるデティールがある。
 
 
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いやしかし、ここは、神奈川県民なら一度は訪れる価値はある。
 
銭金ではないが、たった300円で、この歴史的建造物の中に入れ、しかも、郷土の歴史を、いささかにも
 
実感出来るのであるから。
 

 
え〜っと?
 
何のハナシだったっけ? ああそうそう。心霊心霊。
 
 
実は、神奈川県立歴史博物館側も、そのようなハナシがある事は、いささかにすれ、認めている。
 
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 この件について、具体的に、職員の方々が、その様な体験をなさっているのか?
 
と、学芸員さんに質問した取材班。
 
 
学芸員さん 「個人的には、そのような体験はありません。」 
 
取材班 「では、やはり、単なる、『学校の怪談』的な、怪談話だと?」
 
学芸員さん 「はい。個人的には、そのような体験はないので…」
 
取材班 「個人的には…と言う事は、他の、例えば歴代の職員さんとかには、そのような体験を
 
された方も、いらっしゃるんですか?」
 
学芸員さん 「(やや複雑な声色で) いやぁ…。個人的には何もないので…、何とも…。」
 
取材班 「(質問を変えて)この怪談は、最近ネットで流布してますが、これは、震災直後から
 
巷で囁かれていたとの認識で宜しいでしょうか?」
 
学芸員さん 「そのようなご認識で宜しいと思います。」
 
 
お忙しい中、取材班の下らない質問に真摯にお答え頂いた学芸員さんに感謝するとともに、
 
真摯さ故、そのお答えの中に、いささかの言質をとったような気がするのもまた事実ではある。
 

 
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 ミュージアムショップで「赤い靴チョコ」を買い子供達へのお土産としつつ、現場を後にする取材班。
 
お化けが出るかどうかは兎も角、近在の方々でまだここを訪れた事のない方は、是非行ってみて
 
頂いたいと、改めて思いつつ、記事を終えるのである。
 

 
(↓)ヨコハマ土産のお菓子といえば、いささかこれか?

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