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世間はメリークリスマスなので、根っからブディスト(浄土真宗)な私TOにしては珍しく、教会ネタを。
先に申し上げておきますが、前置きが長いですよ〜。いつものことながら。
師走でバタバタしている方は読まないで下さいね。 時間の無駄ですから。
中央区明石町…っつっても、よっぽど都内か近在かの方以外は、「え?どこそれ」でしょうが、
それを築地と言えば、まあまあ誰でも知っていると思います。
市場があり、何と言っても吉牛1号店がある所ですから。
明石町は、今や「歩くとちょっとある」程度に築地感がないのですが、
江戸〜明治時代くらいの昔は十把ひとからげに築地であり、
むしろ、鉄砲洲のあたり…と言ったほうが通りが良かったらしいです。
そもそも、「築地」って地名自体が埋め立てによって造られた土地を指すっぽく、
100万都市なのに捨てるものが殆どなかったと言われる超リサイクル・シティー大江戸八百八町で、
殆ど唯一捨てるしかなかった火事の廃材なんかで埋め立てたのが始まりらしいです。
現在の明石町と言えば、聖路加国際病院(以下、聖路加)です。
私の勤務先とも程近いのですが、明石町、とは誰も呼ばず、聖路加のへん、と呼びます。
聖路加は、政界財界芸能界、果てはやんごとなきお方まで受診され、
あのサリン事件では多くの被害者の方を救護し、
はたまた、先日は、元ビートルズの外タレが来日後体調不良になって公演をドタキャンした折も、
ここに一時入院したほどの超一流病院です。
一部では金持ち御用達としてやっかまれてるらしい聖路加ですが、実は
私もお世話になったんですよね〜。
正確に言うと、私の知人が大怪我をして、深夜に付き添って行ったのですが、スタッフ皆様の
明るくフレンドリーにして、手厚い看護には感動したものです。
その知人は日本人ではなかったのですが、金払いができるかどうかとかなんて一言も訊かず、
暖かく迎えてくれると共に迅速に治療を開始してくれ、深夜なのに、パパパのパと診断し、
即座にレーザーとかの最新医療機器で傷口を縫合しちゃったりするんですよ!!
あまりのことに、「俺も死ぬときゃここで死ぬわ」と、可愛い(ホント可愛かった)看護師さんに言ったら、
ニッコリ笑って、「生きるために来てくださいネ
キリスト教の良いところ、つまり博愛精神が溢れてるなぁと、一向衆な私TOと言えど、感服したものです。
(↓)夜の聖路加。
そして、聖路加を中心とする明石町界隈は、都内には珍しく、ヨコハマっぽさと言うか、よくある
”後からくっつけられた異国情緒”ではない、真性のバタくささが漂うのです。
それもそのはず、明治の初めから、このあたりは、「外国人居留地」として供用されていたからです。
日本側としては、外人にあまりあちこちウロついて欲しくはないので、いささか周囲と
隔離出来るとこ…つまりは、埋立地で人払いも比較的容易で、川や運河に囲まれて交通も不便な
鉄砲洲のあたりはうって付けだったのでしょう。
(↓)通りの名にも残っている。
ちなみに、ここには、あの!! 時節柄にもピッタリの!! 浅野内匠頭の屋敷もあったのです。
(↓)よくワカランと思うが、それを伝える石柱。
浅野家がここに屋敷を造る時、幕府側からは「切り取り放題」つまり、好きに敷地をとっていいよ、と
言われたとか。つまり、地価が相当安そうな感じの所で、実際、かなり淋しい場所ではあったらしい。
外国人居留地を造る時に立ち退く居住者にも、「代替え地はそのうち探すからね
きりだったとか…。
そんなこんなで、明治元(1868)年にこの地に外国人居留地が開設されたのでありました。
蛇足ですが、当時も外人と日本人の軋轢は色々あって、有名な所では生麦事件
なんてのも起こったりしましたが、割と、かなり普通に、深刻だったのが実は、屎尿、つまり、
ウンコオシッコの問題だったとか。
すみませんねぇ、イブにこんな話で。
江戸では大多数の人口は長屋住まいで、長屋には共同便所があり、そこに溜まった糞尿は
近隣の農家が買い取って肥料にしておりました。
つまりは、人糞も立派な農業資源。まさに金糞。素晴らしき大江戸リサイクル社会。
そんな訳で、ウンコオシッコ満載(すみませんねぇ、イブにねぇ…)の肥たごを担いだ農民が
へっこらおっこら通りを歩く…ってのは、江戸っ子にとっちゃぁ当たりめぇだったのが、
ゲェジンは、やれ不潔だやれ文明国にそぐわねぇだといいやがる。
あげくは、表を通った糞尿運搬の臭気が館の中に入って困るなんて、幕府にクレームを
つける輩も出てきやがる始末で、てめぇらだって中世には二階三階の窓から通りの真ん中に掘られた
排水路にクソションベン(重ね重ね申し訳ない…イブなのに…)放り捨ててペストとかを流行らせた
クセしやがって…と、当時の江戸っ子が言ったかどうかは知りませんが、とかく外圧に弱い我が国
の事、応急的かつ現実的対処として、とりあえず肥たごに蓋をする…としたとの事です。
(↓)江戸の小便買い。現金や農産物との交換で下肥を買ったそうな。
同時に、ゲェジンが指摘したのは”立ちションベン”。(ホントすみまんせん。イブに。)
アレは今でも欧米行くと御法度らしく、酔っ払って立ちションするのはドイツ人と日本人だけ、なんて
言われたりしますが、江戸にはいわゆる公衆便所と言うものはなく、と言うか、でものはれもので、
ションベンなんてどっかそのへんですりゃぁいいじゃねぇかと、大らかな文化だった。
当然、江戸っ子(♂)にとって、立ちションなんてなぁ、罪悪感の欠片もなぇどころか、野糞すら
日常茶飯事。
(↓)辻番の脇に立ちションベン。
そこで、明治になって、東京府ってのが出来たと思えば、「外人は綺麗好きで、悪臭を嫌うので、
ドブさらいをちゃんとして、ゴミをそのへんに捨てないで、立ちションとかもしちゃダメだお」的な
お触れを出します。そして、いわゆる”公衆便所(立ちション用)”が造られたりもしましたそうな。
そんなこんなで、外国人居留地のクソションベンの問題も神経を使ったらしく、一応下水道なんかも
敷設されたそうです。
ええと、何のハナシでしたっけ?
ああ、心霊ですね。 心霊心霊。
築地の居留地には、当然ですが、病院や教会もありました。
前者は聖路加になるのですが、後者も今も続いております。
ここでやっと、タイトルの場所までたどり着きましたが、それが「築地教会」です。
築地教会は明治7(1874)年に、東京で初めてのカトリック教会として献堂式が行われたと言う
由緒正しき教会。
教会の敷地内には孤児院や小学校も置かれたそうですが、明治10年頃、その小学校に
化け物が出た…と、教師である小川某伝道師が書き記しているそうです。
ある夜、木村という12〜3才の生徒が夜中に起きたところ、ガラス窓一面にシワだらけの
化け物が大きな口を開けて睨んでいた。「おおお、お化けが出たァ〜」と叫んだ声に、
目を覚ましたのがコックの渡辺。
布団に潜って震えている木村くんに「どこだ化け物は!?」と聞き、布団の中から木村くんが
指差す方を見ると、確かに恐ろしい化け物の顔が浮かんでいる。
渡辺コックは「化け物もクソもあるか!!」 (また、クソか!! イブなのに!!)
と言いつつ、自分も布団を引きかぶってしまったそうな。
(←)シワだらけの化け物(想像再現図)。
(↓)往時の築地教会。
また、築地教会の神父さんが、信者夫婦に取り憑いた大入道に悪魔祓いで対抗した…
なんて話も、小川伝道師は書き残しているそうです。
―え? そんだけ? とお嘆きの貴兄貴女。
そんだけ、なんです。すみません。
勿論、築地教会は今では心霊スポットでも何でもない、聖なる祈りの場ですので、
タイトルに「元」をつけた次第でございます。
てな訳で、改めて、ウイウッシュアメクリスマス、ハッピーハッピークリスマスでございます。
(↓)勝鬨橋からの隅田川夜景。
(↓)聖路加ガーデンのクリスマスツリー。
(参考) 『伝説探訪 東京妖怪地図』 田中聡/著 荒俣宏/監修 祥伝社黄金文庫 他
(Xmas特別付録)サンタ小噺
①サンタさんが煙突を降りると、その部屋にはうら若き美女が全裸で眠っていた。
しばらく呆然と美女の寝姿に見とれていたサンタさんは、こう呟いた。
「どうやら部屋を間違えてしまったらしい…。しかし困った。罪を犯せば天国に戻れなくなるし、
罪を犯さないと、狭い煙突に引っかかって戻れなくなる…」
②「ねえ、聞いて聞いて!! イブの夜、薄目あけたらサンタがママにキッスしてたのよ!!」
「うちなんか、サンタとママがレスリングしてたわ」
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