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余り表に出ませんが、航空自衛隊内での「UFO」目撃報告は、結構数多くなされている様です。 その中でも、空自の最新鋭主力戦闘機がUFOに対し、スクランブル発進をかけ、 あまつさえ、空戦機動の後に撃墜された、と言う知る人ぞ知る『事実』があります。 事件の概略は次の通りです。 1974年(S49年)6月9日の夜、茨城県の航空自衛隊・百里基地から、2機のFー4EJファントム・ジェット戦闘機が緊急発進した。離陸後、一機はトラブルの為脱落し、残る一機 (パイロット;ナカムラ二等空佐・ナビゲーター;クボタ三等空佐 機体番号;17−8307) がGCI(地上要撃管制)の誘導で目標空域に向った。 当初は通常の対ソ連機のスクランブルかと思っていた乗員に対し、GCIからは、このスクランブルの目標は、数十人が目視し、レーダーでも補足した「発光体」の確認であるとの指示が来た。 高度9,000mまで上昇したナカムラ機は、数キロ前方に「発光体」を発見した。それは直径約10メートル、赤オレンジ色に輝く円形物体で、側面にぐるりと四角い形の窓或いは推進機関の外部装置らしきものが取り囲んでいた。 ナカムラ機が接近すると、「発光体」はそれを回避する様な機動を行い、反転すると、ナカムラ機に 襲いかかる様に接近して来た。 危うく回避するも、2度・3度と「発光体」のアタックは繰り返され、ナカムラ二佐は必死に回避機動をかける。後席のクボタ三佐は、無線でGCIに状況を逐一報告する。 ナカムラ二佐が20mmバルカン砲の射撃準備に入ろうとした時、 「発光体」がナカムラ機と衝突した模様。 F−4搭乗員二人は射出座席で脱出するも、ナカムラ二佐のパラシュートに機体の火が引火し、 ナカムラ二佐は墜死。 生還したクボタ三等空佐の報告によると「追跡中、この物体は非常に知識の進んだ生物によって操縦されているに違いない」と確信していたという。 【F−4EJ(改)戦闘機】 この事件に対する自衛隊の公式コメントは、資料によって、2つに別れます。 一つは、完全否定。事件当日、自衛隊機の墜落事故は1件もない。 但し、「レーダーで未確認機が補足され、緊急発進したが何も発見出来なかった」事があるとは認めた。 只それは、おそらく渡り鳥の集団とか気象観測用気球、或いはレーダー波の伝播ミスと思われる… との見解。 もう一つは、航空自衛隊は、その後四年間の調査をした結果、このF−4EJ戦闘機、製造番号17−8 307は「航空機」または「未知の物体」と衝突したと発表した。…と言う物。 −しかし、後者は確認が取れませんでした。 (航空自衛隊の事故年表にも、この年のF4墜落は1件も載っていませんでした。) まあ、もし本当にこんな事件があったのならば、とても事実は公表は出来ないでしょう。 そこで、ちょっとこの事件の裏をとって見ました。 空自へのF−4EJ引渡しが開始されたのは71年から。部隊配備は72年から始まっております。 当時の百里基地所属の飛行隊は301SQで、73年に部隊が創設されています。 百里は、新鋭機F−4EJの言わば「ホームグラウンド」で、首都圏防空の要として機能していました。 百里のスクランブルと言えば「東京急行」と言われるコースを侵入するソ連機の迎撃 が主でした。太平洋上を南下してくるソ連機を洋上の防空識別圏で迎え撃つ訳です。 70年代と言えば、冷戦もたけなわ、年間200件超の防空識別圏事案が発生していました。 17−8307号機の乗員が当初は対ソ連機インターセプトだと思っていたと言うくだりは、 まさに、百里基地での任務を遂行するパイロットらしい判断です。 事件があったとされるのは、74年6月なので、配備時期・所属部隊やその任務での矛盾は無い様です。 …で、この事件の唯一の具体的な手掛かりである、「機体番号」もちょっと調べてみました。 自衛隊機の機体番号は、ある一定のルールに沿って付けられています。 機体番号の一桁目は領収年度・二桁目は登録順(機種毎に異なり、F−4EJは7)・ハイフンの後は、機種区分(戦闘機なら8)・残りの3桁は製造順(F−4EJは301〜)。 と言う事で、この事件で『撃墜』された機体(17−8307号機)は、配備が始まった71年領収の F−4EJ戦闘機の7号機であるという事が判ります。 F−4EJは、導入時にアメリカからまず完成品を2機輸入し、 その後11機がノックダウン生産(部品を輸入し、国内で組み立てる)で完成。 そして、三菱重工でのライセンス生産(許可料を支払って製品を生産する)が本格的に始まります。 17−8307号機はその番号から、F−4EJ導入から7番目の機体という事が判っているので、 F−4EJ初期の機体番号のリストを調べると…。 17−8301・8302(これが71年に、最初に輸入された機体) 次は、 27―8303〜8306 (翌72年に領収した機体) そして、 37―8307〜8323(73年に領収した機体) 47−8324〜8352(74年に領収した機体)… あれ?17−8307号機が無い…。 そう、実は、71年領収の機体は17−8301・8302の2機のみで、8307の番号が付くのは、 73年領収になってからなのです…。 何だかなあ…。 存在しない機体が、UFOに墜される訳は無いわなぁ…。 よく考えたら、幾らなんでもF−4が一機堕ちて、パイロットが殉職すれば、大騒ぎになるよなあ。 自衛隊って、弾丸一発失くしただけで、大問題になるものなあ…。 ―何か、つまらない結論になっちゃって、すみません。 ============================================================================================== このネタ、海外では結構有名事件の様で、『UFO軍事交戦記録』(コールマン・S・フォンケビュツキー 著・徳間書店)なんかにもでておりますが、出所は不明。何でわざわざネタバレしやすい機体番号なんか を出したのかが謎です。F-4の墜落事故は幾つもあるからその一つをでっち上げればよかったのに。 ちなみに『UFO軍事交戦記録』は私の書棚から行方不明中です。どこ行っちゃったんだろう。 【2013.8 追記】 最初にこの「事件」の記事が載ったのは、アメリカの雑誌「Saga's UFO Report」1978年3月号との事 ですが、記事を書いたリチャード・ドレイパーが何処でこのネタを仕入れたのかは不明。
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