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さて。 色々調べてみた結論から申し上げますと、どうやら「うつろ舟の蛮女」と言うお話は、滝沢馬琴の創作 クサイのです。勿論「宇宙人がやって来た」と言う話をデッチあげた訳でもなさそうなのです。 以下、少々詳しく検証してみます。 談・奇談・世相話・事件話を毎月一回披露し合う「兎園会」と言う好事家の会が結成されました。 会員には江戸の文化人が名を連ねており、珍談・奇談と言えど時代考証なども深く吟味された為、皆 批判に耐えうる話を集めるのに躍起になっていた様です。 「兎園小説」は、「兎園会」会員の言説・文稿を集めた随筆集です。 馬琴他の編纂により、文政8(1825)年に本集一二巻が成立しました。 「うつろ舟の蛮女」は本集一一巻に収められております。 事件は享和3(1803)年に起こったとされるので、発生から22年を経て、世に広まった事になります。 ちなみに「兎園小説」には、他にも「貧乏神の話」・「間抜けな幽霊に取り殺された男の話」・「天から 人が降ってきた話」等々が収録されており、まさに珍談・奇談のオンパレードです。 しかし、読んでみると、それぞれ中々説得力がある秀作揃いなのはさすがです。 「兎園小説」とは、つまるところ、文化人・知識人が「いかにもアリそうな不思議話」を持ち寄っては 品評し合う、「知的好奇心ゲーム」の産物だったのではないか?と思います。 (この辺の「兎園会」のノリは、こんなブログやってる私にシンパシーを感じさせるモノがあります。) 現代に例えて言うなら、BBCあたりが考証を重ねて、いかにもホンモノっぽいUFO番組や幽霊番組を (知的なジョークとして)作る…そんな感じではなかったか…と思います。 例をあげると… ○『朝顔の露の宮』(御伽草子) 継母浮草の前は、朝顔の上と露の宮との逢瀬を知り、怒って朝顔の上を吉野山へ棄てる。二人の恋人は再会できぬまま死ぬ。事情を知った帝は「ひとえに浮草の前の仕業」と言い、彼女をうつほ舟にのせて流す。 ○『小栗(をぐり)』(説経) 郡代横山は、娘照手と小栗判官との結婚を喜ばず、小栗を毒殺した上に、照手をも相模川に沈めよと鬼王鬼次兄弟に命ずる。兄弟は彼女を殺すにしのびず、照手を牢輿に入れたまま海へ流す。 ○『かるかや』(説経)「高野の巻」 大唐の帝の娘が、他の帝と祝言するが、三国一の醜女であったため送り返される。父帝は娘をうつほ舟に入れて西の海に流す。讃岐国のとうしん太夫が、筑羅が沖でうつほ舟を拾い上げ、彼女を養女(または下女)とする。あこう御前と呼ばれるこの女が、弘法大師の生母である。 ○『カンタベリー物語』(チョーサー)「法律家の話」 ローマの王女クスタンスは、請われてサルタンのもとに嫁すやいなや、姑に憎まれ、舵のない小舟に乗せられて海へ流される。三年以上を経て舟はイギリスに漂着し、彼女は国王のアラと結婚する。ところがアラの母の陰謀で、クスタンスは鬼子を生んだことにされ、嬰児とともにふたたび小舟に乗せられ海に放たれる。 ○『金の茄子』(昔話) 王様または殿様の前で粗相をした奥方が、懐妊の身で、あるいは生まれたばかりの子とともに、うつほ舟に入れられ海へ流される。 ○『三国史記』巻12「新羅本紀」第12敬順王9年 昔、中国の皇帝の娘が夫なくして孕んだので、人々が疑い恐れて海に流した。彼女は辰韓にたどりついて子を生んだ。その子が海東(朝鮮)の始祖王となった。 ○『八幡愚童訓』下 震旦国陳の大王の娘大比留女は七歳で懐妊する。父王が問うと、「仮寝していた時、朝日の光が胸にさしてはらんだ」と答える。大比留女は、生まれた皇子とともに空船に乗せられ、海に放たれる。船は日本の大隅国に流れ着く。 【物語要素辞典より】 どうやらこの伝承は、中国から朝鮮半島を経て、日本に入って来た様です。 概ね、粗相(不義)をした貴女が(妊婦か子連れが多い)「うつろ舟」で流され、漂着地で神格化される と言うパターンが多い点で共通しております。 ―今で言う「民俗学者」の一面も持ち合わせていた馬琴は、当然この伝承を知っていた筈です。 3.民謡「牡丹長者」との類似性宮崎県延岡市の民謡「牡丹長者」は、盆踊り「ばんば踊り」となって近代まで伝わっています。(今は「新・ばんば踊り」となり、歌詞が替わっている。) この「牡丹長者」の歌詞の内容が「うつろ舟と蛮女」に類似していると、民俗学者の柳田国男が1925年の 論文で指摘しています。 「牡丹長者」のストーリーはと言うと… 『太政大臣八重関白の一人娘である鶴姫は 時の帝の妃に仕えていたが 13歳の折に不義をしでかし うつろ舟で海に流された。 鶴姫は 漂着する先々で難が及ぶのを恐れた人々によって海に突き返された。 やがて常陸の国に辿り着いた鶴姫は漁師に保護され 海で揺られた百合姫様と呼ばれる様になった。 姫の美しさの評判は 嫁探しをしていた牡丹長者の耳に届くところとなり 目出度く嫁入りした』―確かに、似ています。 更に、鶴姫の乗せられた「うつろ舟」の描写を見ると… 『つごりつごりは真鍮の金具 四方と天井はビードロ透かし 中の餌食が百日分で 蘇鉄団子にゃ上菓子つめる 』とあります。 金属で補強され、天井はガラス張り。食料として「団子=練り物」「菓子」を積む。 「兎園小説」の「うつろ舟」の描写に酷似しています。 「牡丹長者」=「ばんば踊り」は、「音頭(口説)」の内容から相当古いものと考えられていますが、 一説には江戸時代後期(「兎園小説」が書かれた頃)に盛んになったと言われています。 当時の延岡への流通は海運(千石船)によって成されており、「牡丹長者」は千石船によって、上方経由 で江戸まで伝わった様です。 古今東西の伝承・民話を収集し、それをモチーフにして南総里見八犬伝などの名作を創作した馬琴ですか ら、「うつろ舟の伝承」やその類話の「牡丹長者」を「うつろ舟の蛮女」の下敷きにしても不思議では ないと思います。 当時の時代背景はどの様なものだったのでしょうか。 少々遡ると、寛政4(1792)年9月にロシア皇帝の正式な使者としてアダム・ラクスマンが、日本との通 商を求めて根室に来航しております。寛政12(1800)年には伊能忠敬が蝦夷地の測量を命じられる中、 ロシア軍艦により1805〜6年にかけて樺太や択捉島の日本の番所や会所が襲撃され、利尻島の幕府船が焼 かれました。ロシアとの紛争が勃発したのです。 このような状況の中で、文化3(1806)年幕府は防備の強化の為、全蝦夷地を直轄領としました。 馬琴が「うつろ舟の蛮女」の舞台とした、享和3(1803)年は、ロシアへの警戒感が日毎に高まっていた 時期なのです。 その後、浦賀沖には頻繁にイギリス船が現れる様になり、さらに、「兎園小説」が発表される前年・ 文政7(1824)年には、薪水を求めたイギリス人が水戸藩領に無許可で上陸し、藩士に捕まると言う事件 が起きています。 「兎園小説」は、異人の来航が世間を騒がせていた頃に世に出されたのです。 また、「化政期」「大御所時代」と言われるこの時期は、天保の改革の余波もあり、厳しい統制の時代。 絵草子の出版・販売が制限されたりもしており、本を出すにもそれなりに注意しなくてはならない状況 でした。お上の気に触る本を出すと、発禁・捕縛に遭いかねない環境だったのです。 ―と言う事を踏まえて、次回は馬琴がこの話を創作していく過程を推測したいと思います。 (皆さん、飽きてませんか?―つづいちゃいます。) |
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2009年03月12日
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さて、この「うつろ舟」の形状がUFOを思わせ、また「搭乗員」の容姿たるや、アダムスキーおじさん あたりがコンタクトしたと言い張っている「美女型宇宙人」を彷彿とさせる為、矢追系の方々はこの事件 を「宇宙人との接近遭遇事件」と捉える傾向にあります。 この事件に対する矢追系的解釈とは… ○「うつろ舟は、紛れも無く円盤型UFOである。実は、漂着したのではなく、上空から着陸したのである。 ○美女の乗員が乗っていたと言うのは、「プレアデス系宇宙人(*1)」とのコンタクトケースに酷似している。 ○UFO内部の文字は、「ユミット(*2)」や「アダムスキーがコンタクトしていた宇宙人(*3)」の物に類似しており、これこそ「宇宙文字」である。 ○乗員が大事に抱えていたのは、スーパーテクノロジーを駆使した通信機(もしくは武器)である。 ○その他。 (*1)アスケットやセミヤーゼ(セムジャーゼ)と名乗るイケメンや別嬪さんのパツキン宇宙人達。 (*2)地球の危機を何故か手紙で知らせてくれる宇宙人。ウンモ星人。 (*3)金星とか土星とか、割と近場に住む宇宙人達。揃いも揃ってパツキン美女。《参考資料》 ↓美人宇宙人の皆様。 ↓ウンモ星人のUFO。確かに、似たような字が… 更に、1996年に刊行された『空飛ぶうつろ舟』(古川薫/著)と言う歴史小説が、この傾向に拍車をかけ た様です。 『空飛ぶうつろ舟』のストーリーは、是非読んでみて下さいなのですが、要は、光の円盤が舞い降りてき たりとか、幕府が事件の隠蔽を謀ったりとかと言う話がさも事実だったかの様に流布されだしたのです。 (小説の内容をそのまま素直に事実としてしまう所が、いい味を醸し出していますが…。) ―さて、ホントに「うつろ舟」=「UFO」なのか? ちょっと調べてみました。 |

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毎度の「UFOご存知ネタ」です。 ななな何と、江戸時代に美人宇宙人の乗ったUFOが海路日本にやって来た!! ―のです。 以下は、滝沢馬琴(南総里見八犬伝の著者)が、各地の奇談を集めた「兎園小説」の中で紹介したお話。 享和三年の春二月二十二日の午後のことである。 小笠原越中守の知行所、常盤国のはらやどりという浜で、沖合いに舟のようなものが遥か遠くに見えたので漁村の人たちはたくさん小船を漕ぎ出し、浜辺に引き寄せた。 見るとその小舟の形は香箱のように丸みがあり長さは三間(約5.5メートル)あまりで、上のほうは硝子・障子で松脂で塗られ、底は鉄の板金を段段に筋のように貼りつけている。これは荒波に揉まれても打ち砕かれないためであろう。 上から中が透き通って見えるので、皆が近寄って見てみると中に姿が異様な一人の婦人がいた。 彼女の眉と髪の毛は赤く、顔は桃色で、頭髪はかつらを被って白い髪が背中の方まで垂れている。これは獣の毛で出来ているのであろうか、あるいはより糸か。これがなんであるか知る人はなかった。 互いに言葉が通じないので、どこから来た者なのか聞く手だても無い。 蛮女は二尺四方の箱を持っていて、大事にしている様子で少しも手放す事も無く人も近づけない。 この舟の中にあるものを調べると水二升ばかり小瓶に入れてあり、敷物二枚、菓子のようなもの、肉を練ったようなものがあった。 女は漁村の人達が集まって相談するのを、のんびりとした様子でにこにこしながら見ていた。 土地の古老は、 「これは蛮国の王の他へ嫁した娘が、間男をしたのがばれて、その間男は殺されたが流石に王の娘であったので殺されずにこのうつろ舟に乗せられ流され、生死を天に任されたものであろうか。だったらこの箱の中にあるのは間男の首じゃないのか。昔、このような蛮女の乗ったうつろ舟が近くの浜辺に漂着したことがあったと云われている。その舟の中にもまな板のようなものの上に生々しい人の首が乗せられていたという言い伝えだ。このことを併せて考えると彼女の持っている箱にもそんなものが入っているんじゃないだろうか。だからこの女は大事にして身から離さず持っているのではないか。」と言う。 このことを官府に報告すると雑費も多くかかるであろうし、このように漂着したものを再び流した先例もあるので、また元のように舟に乗せ、沖に引き出して押し流したという。 もし仁心の心を持ってすればこのような事はしなかっただろうに、これはその蛮女の不幸であった。 またその中に蛮字の多くあったという事から、後で考えると最近浦賀沖に出没するイギリス船にも同じような蛮字があり、この蛮女はイギリスか、あるいはベンガル、もしくはアメリカなどの蛮王の娘なのであろうか。ただこれは知る術は無い。(原文を口語訳)(↓)「兎園小説」に描かれた図 ↑ま、まさにUFO!! ああ、この話か!!と膝を叩く方も多い事でしょう。 (と、言う所で、余りに眠いので、寝ます。続きはまた…お休み…なさい…) 【つづきはコチラ】
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