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そろそろ「ピィィィ」にも食傷気味なので、こんなお話は如何でしょう。
とある南国の夜の街角。
いったい、この街に篭った熱気が少しは薄らぐ事があるのかと思わせる程に暑い夜です。
街に沈殿する大気の最下層部は、揚げ物の安い油の臭いと、何百万もの人間の体臭、無限に続く渋滞から
吐き出される排ガス、そして排水不良の下水臭で満たされています。
そんな裏路地で、行きずりの男と街の女が出会いました。
女は、まだ少女と言っていい年齢の女を二人連れておりました。
道端で、パーティーをしています。
敷物にした新聞紙の上には、その辺の屋台で仕入れてきた食い物と、ビールが無造作に置かれています。
男に生ぬるいビールを差し出した女は、恐らくはたちを幾等も超えていないでしょう。
しかし、その目は、見たくも無い物を見続けてきたらしく、暗い光を湛えていました。
路上の酒宴はいつの間にかはじけて終わり、気付くと、二人は男が泊るホテルの部屋におりました。
テーブルの上には象のエンブレムのビールが何本か。
灰皿の脇には免税品のマイルドセブンと、名も読めない地元のタバコの箱が転がっています。
女は何故か免税品の方をつまみ上げ、明らかにフェイクと判るブランド・ライターで火を点します。
いつ降り出したのか、土砂降りの雨が、ホテルの窓を洗っています。
男は雨を眺めながら この街ではスコールの中でも傘もささず歩く人が多い と言いました。
傘も買えない人だって多いのよ
男は背中を向けていたので、そう言う女の表情は見えませんでした。
そして、とりとめも無い会話の中で、女は 私を抱くのか と言う意味の言葉を発しました。
そうしてもいいが 無理にそうしたくはない と男は応えました。
ただ と、男は付け加えました。
朝までここに居て欲しい だって 一人になったらピィィィが怖いからさ
女は抜けるような笑顔を、初めて男に見せました。
私が居ればそんなもの来ないわよ そう言いながら、女は声を上げて笑いました。
やがて、象のビールが全て空きました。
同衾のまどろみの中で、女はとつとつと呟きます。
この国では、自殺する人が多いの そんなこと知ってた?
いや 意外だね 殺しても死なない様な人は沢山居たけど
みんな、貧乏で死ぬのよ ここでは 貧乏から逃れるには死ぬしかないらしいわ
いや 前向きに頑張れば未来は開けるよ そんなお題目が男の口から出る訳も無く、
部屋を、窓を叩く雨の音と、エアコンの音だけが満たしていきました。
男がふと、女が声を殺して泣いているのに気付いたのは、それから暫くしてからでした。
声になるかならないか、女は呟きました。
わたしの両親も死んだわ
男は何も言えませんでした。
女が泣きつかれて眠るまで、男は考えておりました。何を考えたらいいのかを、考えていました。
朝方、シャワーの音で目覚めた男が、焦点の合わない目でタバコを咥えると、それは女のタバコでした。
ソファーに崩れ落ちながら こいつは悪くない と肺に煙を満たしていると、バスルームから、
ガチャリと女が出てきました。
えへへ と、何故か女は照れ笑いをしています。
私 帰るね あ 財布にさわらないでいいから
片手で胸を押さえながら、もう片手で財布をまさぐる男を制します。
男はそこで初めて 俺はこの女に惚れたかもしれない そう思いました。
ほんの数時間で覚める恋だと認識しながらも。
数分後、女は身支度を整え、なにやら自分の国の言葉を喋りながら、軽く男と唇を合わせました。
そうしておいて、くるりと振り向くと、そのままそそくさとドアを抜けて、行ってしまいました。
―その日も、街はやたらと暑く、それでも活気と雑踏は路地の裏々まで行き渡っております。
名も聞かなかったあの女も、今頃この熱気の中を逞しくも繊細に彷徨っているのだろう。
冷房の効きすぎるツアー・バスの中で、男はそんな事を想っておりました。
男は、ふと別れ際の女の言葉を思い出し、現地人のガイドさんに
これ どう言う意味? と訊ねました。
ガイドさんは、にやと笑って言いました。
お客さん、どこでそんな事言われたの? それ、アイシテル って意味よ
(創作です。)
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