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「七人ミサキ」 以前、八丈島の七人坊主の記事を書きましたが、その類話、と言うよりは、元ネタと言った方が良い 話です。有名な話で、度々小説や映画のモチーフにもなっているので、ご存知の方も多いでしょう。 ゲゲゲにも出ていた様な憶えがありますが。 この話には様々なバリエーションがありますが、大まかなストーリーは、次の様なものです。 「七人ミサキ」と云われる七人組みの亡霊が現れ、人をとり殺して廻る。 「七人ミサキ」にとり憑かれると、高熱をだして死んでしまうのだ。 彼らは、とり殺した者を「七人ミサキ」に加え、最古参の亡霊はそれにより成仏する。 だから、「七人ミサキ」は永遠に七人のままである。「七人ミサキ」は自分が成仏する番を待ちながら、人をとり殺すのだ…最近では、「渋谷のあちこちの坂で女子高生7人が、立て続けに死んだ。(援〇交際を行なっていた彼女 らが妊娠した子供を中絶し、その子供たちの怨念が七人ミサキとなり女子高生たちに復讐したといわれて いる)」と言う、「渋谷七人ミサキ」と呼ばれる現代の世相を反映したフォークロアが生まれています。 この「七人ミサキ」の伝承は、基はと言えば、土佐(高知県)を中心として、四国・中国地方に広く伝わ る話だそうです。 しかし、調べていくと、四国・中国に限らず、殆ど全国に類話がありました。 中・四国や九州では、「七人ミサキ」は主に船幽霊であり、海で死んだ者の霊がミサキになり、 漁船に取り憑くと云われています。(舟から灰を捲くとミサキが離れる。) また、陸の「七人ミサキ」は旅の途中で死んだ旅行者、修験者や僧などが化ける様です。 特に、水や食料を求めたが、見殺しにされて「七人ミサキ」になるケースが多く見られます。 岡山県や愛知県、山梨県他に、その様な伝承が残っています。 静岡県では、山で死んだ7人の狩人が「七人ミサキ」となる話が幾つかありました。 青森県津軽地方では、ミサキに憑かれると体の震えが止まらなくなると云われております。 他にも、旱魃の時に農民同士の争いで死んだ7人の農民(愛媛県 西予市)・戦国の世に討ち死にした武 士と家来6人(愛媛県 西条市)・殺された長者一家七人(愛媛県 喜多郡)・岡山城から舟で落ち延び た宇喜多一族の7人が難破したが、後難を嫌った漁師達はそれを見捨てた。(岡山県)等など、 それらは皆「七人ミサキ」となり、祟りを為したのです。 なるほど、あちこちに「七人ミサキ」をモチーフにした伝承があるのだなあ…と知った所で、では? 「ミサキ」って何? 何で「七人」なの? と思い、もう少し調べると… 普通、「ミサキ」と聞いてまず思い浮かべるのは「岬」です。海に突き出た突端部。 「七人ミサキ」が海に纏わる亡霊として語られる場合は、「岬」の字があてられる事も多い様です。 しかし、「ミサキ」の本来の意味は、『ミサキは神幸の先端を行く鉾をミサキ鉾というように、尊敬語 を伴うた先端の意で、これが先導者、神意の伝達者の意を含んだ境の神であり…(高知県百科事典)』 『ミサキは、日本の神、悪霊、精霊などの神霊の出現前に現れる霊的存在の総称。名称は主神の先鋒を意 味する「御先」に由来する。(Wiki)』等とあるように、尊きモノの先達を呼称するものでした。 霊か神かは兎も角、この世のモノではないのは確かです。 しかし、特に西日本では、民間信仰の「憑きモノ」と同化され、 「御先」=「不慮の死を遂げた者が、人にとり憑き禍を為すモノ」 と言う風に変化します。 それが、いわゆる「ミサキ」です。 「不慮の死を遂げた者」とは、先述の通り、旅人だったり、修験者だっり、武士だったりする訳です。 「ミサキ」は、病気、怪我などの予兆として現れる事が多い様です。 寂しい道を歩いているて、突然寒気や頭痛がしたら、それは「ミサキ」の所為。 その後、高熱に見舞われたり、不慮の大怪我をしたりする。 「ミサキ」は風を伴うとも云われ、この様な状態を「ミサキ風にあたった」とも云うそうです。 「憑きモノ」としての「ミサキ」は、出現する場所により、山ミサキ、川ミサキと呼ばれ、徳島県三好郡 では川で疲労を覚えることを「川ミサキに憑けられた」というそうです。 この様な怪異は別名「ハカゼ」と云い、人や家畜がこれにあたると病気になったり、しばしば落命したり すると云われます。 風を伴う怪異としては、妖怪「カマイタチ」も「ミサキ」の同類と言えるかもしれません。 それが、何故七人組みになるかと言うと、柳田國男は『七人御先などと呼ぶのは何れも北斗鎮護の神徳 を体現したもので、所謂七星の剣先を以って外敵を征服せんと企てた法術に因るのであらう』と、北斗七 星信仰にその理由を求めております。ほほう、なるほど。 私TO的には、5人じゃ少なくて迫力に欠けるし、9人じゃ多すぎてキャラが埋没するし…取り敢えず 7人位が、話としては丁度良かったんじゃないの?位にしか思いませんでしたが。 さらに柳田國男は悩みます。 「御先」とは、行列の前に立つことで、「み」は敬語であるから、その後に続く「さき」は従者ではなく、尊き方々と考えられる。 しかし、地方信仰の「みさき」という言葉は死霊または怨霊の意味になっている。 これは、全く尊くない。 「山ミサキ・川ミサキ」はおのおのその最期の(自分が死んだ)場所近くを彷徨って通行の人を悩ましているし、伊勢・土佐の「七人ミサキ」などは、一組七人の数を越えないと、古参の一人が成仏することが出来ぬので、いつも新たな仲間入りを狙っているなどと気味の悪い話ばかり伝わっている… 「みさき」と言う一つの言葉がこれほどまでも真逆の意味を持っているのは何故なんだろう??? (「みさき神考」をTOが勝手に要約) −と、言う所で、「七人ミサキ」の原典ではないかと思われる伝承が土佐にあります。 そう言うよりは、「七人ミサキ」伝承の中では最も有名かもしれないお話です。 |

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