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【前回の記事】 いつもながら、連載が長くなると飽きてきますが。一体こんな記事に需要があるのでしょうか。 あると信じて続けましょう。 2010年4月18日(日) 延泊になってからこっち、ずっと天気に恵まれている。今日もピーカンだ。 朝食後の集合時間に、Mさんから定例の状況説明。 聞き飽きたフレーズの「空港全面封鎖継続中、再開の目処たたず」の上塗りに「火山の活動再度活発化」 が加わった。こうなれば、「シベリア鉄道で帰るか!!」と言う冗談が冗談に聞こえなくなってくる。 空路が閉ざされれば、人は陸と海に逃げるのは当然で、鉄道・フェリー・レンタカー・長距離バスは大変 な混雑を見せていると言う。 こんな時にのんびり観光なんてしていていいのか?とも思うが、ホテルにじっとしていて飛行機が飛ぶ訳 でもないし、我々としては、火曜日にスイス航空が飛んでくれるのを祈るだけだ。期待薄だが…。 ベルリンの朝は日本では夕方になるので、いつもの通り家にメールし、会社に電話して現状報告。 海外でも携帯がつながるのは有り難いが、架けても受けても通話料はこっち持ちだそうだ。 帰ってからの請求書が怖い…。(帰れればの話だが。) でも、妻からの「こっちはみんな元気だよ」とのメールにはホッと和み、「店の事は心配しないで下さ い」と言う後輩の声には、いつの間にか頼りになる男になったなぁ…と少々感動した。 そんなこんなで、まだ人もまばらな通りをホテル近くのツォー駅まで歩き、そこからSバーン(東京で言 うと、山手線+京浜東北線みたいな近郊電車)で中央駅へ。 中央駅ではガイドのRさんが待っていてくれた。(↓ 真ん中の女性がRさん。) 日本人ガイドのRさんはドイツ人のご主人を持つ妙齢のご婦人。前にもベルリン市内やポツダムを案内し てくれた方だ。建築・美術・歴史に精通し、自身も芸術家で、個展を開くほどの水彩画家だそうだ。 しかし、Rさんの特徴は、博識よりも何よりも、その歩くスピードにある。 兎も角、やたらめったら速いのだ。 5秒、目を離すと姿が消える。万が一彼女が走り出したら、ボルトより早いのではないか? 痛風の足ではついていくのが辛いのだ。 そんな訳で、今日は少々ゆっくり歩いて頂ける様にお願いをした。 さて、定刻にやってきた列車はプラハ行きの国際列車。DB(ドイツ国鉄)のICEに比べると、やや旧態依 然としているが、そこがまたいい味を醸し出している。 1等車の車内はさすがにゆったりとしており、広い窓から北ドイツの春光が降り注いでくる。 列車はどれも大混雑…の筈だったが、この列車は8割ほどの乗車率だ。お陰でゆったりとくつろげる。 うたた寝をする人、会話を楽しむ人、ビールをあおる人(私)、メンバーは思い思いに時間を過ごす。 ベルリンの市街を抜けると、車窓には見渡す限りの広々とした草原が広がった。 意外に知られていないが、ドイツの国土面積は日本より狭い。大雑把に言うと、日本全土から四国を差し 引いた位の面積だそうだ。それでいて8千万を越える人口を持つので、人口密度は日本と同じ位かなと思 いきや、その実それは日本の7割にも満たない(日本=約340人/km² ドイツ=約230人/km²)。 これは、ドイツ国土の大部分が平地である為だ。山がちで人の住める場所の少ない日本とは好対照で、勢 いちょっと街を離れると、ゆったり・たっぷり・のーんびりしたホテル三日月状態になるのである。 (言っている事が良く判らない方は、スルーして下さい。) そんな事はどうでも良いとして、途中いくつも可愛らしい村を通過しながら列車は南へ走る。 そして、ベルリンを出てから2時間少し。左手にゆったりとした流れが見えてきた。エルベ川だ。 それから間もなく、列車はドレスデン中央駅に滑り込んだ。 クドクドとしたドレスデンの観光案内は割愛しよう。 ただ、この街はごみごみした大都会ベルリンとは違い、たおやかな時間が流れていた事だけは記しておこ う。ベルリンに行った際は是非足を伸ばしてみられる事をお薦めしたい。 付け加えると、エルベ川沿いの風景は、自然と歴史とが描く一幅の名画と言っても過言ではない。 途中立ち寄った絵画館には、まさかここで見れるとは思わなかったフェルメールの「窓辺で手紙を読む 女」があり、ドガの次にフェルメールが好きな私は、涙が出そうになった。 30分程の間、私はこの絵の前に釘付けになり、いつしかこの婦人の佇む部屋の中にすい込まれていた…。 ちなみに、ここはレンブラントやラファエッロ、ジョルジョーネ、プッサンなども驚く程充実していた が、それらをおいても、私はこの絵に浸りたかったのである…。 ―かっこつけた文章は疲れるなぁ。 少々補足すると、ドレスデンは旧東ドイツ領だった。Rさんによると、終戦間際の爆撃により街は壊滅 し、東の時代は中世の建物も荒れるに任され、通りには開く店も無く、閑散殺伐とした街だったそうだ。 東西ドイツの統合後、巨額の費用と何年もの時間をかけて、ドレスデンは復活したと言う。 幸いな事に、名画や美術品の数々は疎開して戦火を免れており、終戦後再びこの街に戻って来たそうだ。 そんな解説をしながらも、相変わらずRさんの歩きは速い。人の話を聞いていたのだろうか。持ち前の対 抗心に火がつき、絶対負けないとばかりに痛風の足で頑張ったが、お陰で随分と痛みがひどくなってしま ったわい。(ビールの飲みすぎと言う説もあるが。) ―と言う訳で、思いの外に収穫のあったドレスデンを後にし、一行は再びベルリンへ。 みんなも口々に「来てよかった」と言ってくれて、首謀者としては一安心だ。 帰りの列車はウイーン発だったが、これも満席と言う訳ではなく、空席もちらほらしていた。 「列車は大混雑」との話はどこへ行ってしまったのだろう?まあ、いいけど。 心地よい揺れの中でいつしか眠りに落ちてしまい、気がつくと列車は宵闇のベルリン中央駅に到着しよう としていた。 中央駅到着後、Sバーンに同乗してツォー駅まで送ってくれたRさんともここでお別れ。 「飛行機が無事に飛ぶ事を祈ってます」とRさん。 「次は痛風治して万全な状態で来ます。歩く早さでは絶対に負けませんよ」とリベンジを誓う私。 旅の別れが良いのは、それはまたいつか会う約束になる所だ。 さて、その後。駅前のスーパーで買出しをして、定例の部屋飲みへとなだれ込む。日を追うごとに参加者 が増えるのは嬉しい限りだ。蛇足ながら、ビール一瓶約100円!!の激安っぷりには猛烈に感動した。 (↓)左からTさん、Nさん(私の同僚・たまにこのブログに出る人ですよ)、Y君 (↓)Kちゃんを口説こうとするYさん。笑ってごまかすKちゃん。 (↓)ギャランドゥーなTOにしなだれかかるKちゃん。また恋の前科が増えちまったぜ…。 (↓)Sさんと共に、「ギャランドゥー・ブラザース」を結成。 と、ここでTVニュースが始まった。思わず見入る一同ではあるが、英語なのでよく判らない。 デトロイト育ちでバイリンガルな筈のKちゃんも、早口すぎて聞き取れないと、情けない事を言う。 ―何となく、空港の閉鎖が続いているのだけは確かな様だ。 誰かが、「そう言えば、帰りの列車から、かなり高い所を飛ぶ飛行機を見ましたよ」と言う。 爆睡していた私は知らなかったが、何人かの人が明らかにジェット機と思われる機影を見たと言うのだ。 UFOじゃねえの?と混ぜっ返すが、真面目にUFOよりも飛行機の方が珍しく感じられてしまうのだ。 たぶん、火山灰の影響を調べる為に試験飛行をしてたんじゃないか…と言う結論に達したが、もしそうな ら、航空会社はやはり飛ぶ気満々なのだ。もしかすると火曜日には予定通り帰れるかもしれない。少し明 るい兆しが出て来た様に感じられた。 さて、お世話になったこのホテルも今宵が最後だ。明日は空港近くのホテルに移動する。 この際、お世話になったお礼にホテルの名を明かして宣伝しよう。 インターコンチネンタル・ベルリンだ。 部屋の内装はベルリンで流行のデザイナーズ系だが、使い勝手が良く、落ち着ける。 オバケも出ない(たぶん)。 フロントのおねいさんが愛想良くて無茶苦茶カワイイ。 グランドフロアのバーの皆さんも、日本人の酔っ払いに対しても毎晩親切丁寧に接客してくれた。 朝食のビュッフェに和食メニューがあるのは今や当然と言えば当然だが、山菜の漬物があったのには感動 した。但しご飯は3日程使い回しているらしく、初日しっとり・2日目ごわごわ・3日目パサパサだった。 毎日アメニティーをかっぱらっても文句ひとつ言わないルーム係りの人にはチップをはずんでおこう。 (つづく) …次回、いよいよフィナーレ!!(の予定) お気楽な連中は果たして帰国できるのか!? ―と言うより、ホントに帰国する気があるのか!?もう2・3泊したい気もするが!!スイスにも行きたいし!! ともあれ、乞うご期待!! |
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2010年04月27日
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