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【前回の記事】 2010年4月20日(火) 部屋の電話が鳴った。Mさんからだ。時計を見ると、まだ5時。集合時間の6:30には随分と早い。 モーニングコールでない事は確かだ。 「やはりまだ、テーゲルから飛んでません。予定を繰り上げて、早めに空港に行って様子を見ます。場合 によってはそのまま中央駅に走って、ICEでフランクフルトに向かいます。フランクフルトは開いてい て、午後に日本向けのルフトハンザが飛ぶそうです。済みませんが、すぐ下に集合してください」 これが、強行軍の始まりを告げる電話だった。慌てて身支度を整える。荷物は昨夜にパッキング済みだ。 そそくさと朝食をとり、タクシーに分乗して空港へ。 ものの数分で到着するが、タクシーの荷物を降ろさないままMさんはカウンターに駆け込み、数分の間、 係員と話し込んでいる。舞い戻ってきたMさんが、これからの行動予定を皆に告げる。 「ベルリンはダメです。スイス航空の線は捨てます。今日午後に、フランクフルトからルフトが成田・関 空・名古屋に1便づつ飛ぶので、それを押さえようとしましたが、オンライン上は満席で、ここからでは どうにもならないと言われました。こうなったら、ICEで向こうの空港まで行って、空席待ちをします。 すぐ中央駅まで行くので、皆さんタクシーに戻ってください」 我々はチケットもないまま中央駅に駆け込み、ハノーファ行きICEに飛び乗った。(ちなみに言うと、 あちらの駅には改札がないので、券がなくてもホームまで行けるのだ。)席は満席で、大きなスーツケー スを抱えたまま、デッキに立つ。メンバーに文句や愚痴を言う人はおらず、其々を気遣いあっていた。 我々以外にもデッキや通路に立つ人が多く、やっと「大混雑の列車」を味わう事が出来た。 人を掻き分けやって来た女性車掌を捉まえて、Mさんが全員分の切符を買う。 1時間ほどでハノーファ着。息つく暇なくホームを移って、フランクフルト行きのICEに乗る。 こちらは意外に混んではおらず、全員が2等のコンパートメントに収まる事が出来た。 幸い、隣がビュッフェ車だったので、三々五々食べ物や飲み物を買いに行き、腹に入れる。 ビールを買い込んだのは私だけだったが。 フランクフルトまでは3時間ほどだったろうか。バカ話で盛り上ったり、一眠りしていたりする内、あっ と言う間に時間が過ぎ、13:00過ぎに到着。降りたホームで、空港行きのICEを待つ。 定刻よりやや遅れて入線した列車に乗ろうとしたが、何か変だ。 ICEとは似ても似つかない古ぼけた客車。 「Mさん、コレ、変ですよ。ICEじゃなくないですか?」と声をかけると「確かにおかしいですね…ちょ っと確認してきます」と、Mさんはホームの表示板を見に走り出す。ついて行って見ると、乗る筈だった 列車には40分の遅れの表示が出ていた。ヨーロッパで鉄道旅行していると良くある、「何の前触れも無く 違う列車が来る攻撃」だ。(20年前これで随分泣かされたし、随分助かったものだ。) ともあれ、乗る筈の列車じゃないのが来てしまったのだ。 焦るMさん。「―まずいな…チェックインに間に合わないぞ。空港まで電車で15分くらいだから、タクシ ーで行きましょうか…」「でも、万一道路が混んでいたら…」と私。 「うーん、どうしようかな…あ?あれあれ!!」思案顔で表示板を見ていたMさんが叫んだ。 「別の列車で、空港行きのがありますよ!!ああ、もう出てしまう…皆さん、20番線、20番線です!!急いで 行きましょう!!」いつの間にか、全員が集っており、Mさんの掛け声で早足でスーツケースを押しながら 遥か離れた20番線を目指す。痛風の足には辛いが、痛いも痒いも言っていられない。 何とかギリギリで全員が空港行きのローカル列車に飛び乗る事が出来た。 空港に着くと、混んではいるが、カオスと言うほどのものでもない。休む間もなくルフトハンザのチェッ クイン・カウンターに並ぶ。 順番待ちの時間を使ってMさんの説明が始まった。 「これからチェックインして荷物も預けますが、それで乗れるとは限りません。一応予約上は、成田行き で30席・関空行きで100席ほど開いているとは言いますが、ウエイティングしている人も多いので、すぐ に埋まってしまいます。チェックインしたらそのまま出国を通って、ゲートまで行って下さい。席が空 いていれば、そのまま飛行機に乗れますので、乗れる人から乗って下さい。乗れなかった人は、また入国 して、今日はフランクフルトのホテルに泊まります。念の為、インターコンを取ってありますから」 全員一緒に帰れないかもしれないと言う事は、何日も前から言われていたので、皆ある程度覚悟はしてい た様だ。私はNさんと、そうなったら私達は最後まで残ろうと約束していた。金とパスポートと航空券さ え持っていればなんとかなるし、実はスイスの旅にもまだ未練があったりして…。 カウンターに並んでいるうちに、成田行きのチェックインはタイムオーバーで終了してしまった。 仕方なく、まだ時間のある関空行きにチェックインする事にする。 さて、15分もしない内に順番が回ってきた。 Mさんがカウンターの係員と真剣な表情でやり取りしている。 後から聞いた話だが、我々の持っているチケットはスイス航空に変更されていたので、このままではチェ ックイン出来ないと言われたのだそうだ。しかし、そんな一言で引き下がるMさんではなく、「スイス航 空に変更したのは、我々の意思ではなく、そちらが勝手にやった事だ。責任をもってチェックインさせな さい」と、強引にねじこんでいたのだ。 お陰でメンバーは次々とチェックインし、出国審査へと消えていく。 出国の先の広いロビーでは、ずらりと並んだベンチが全てベットと化していた。日本に居る人達は、たぶ ん我々がこう言う所で寝泊りしていると思っているのかもしれない。 指定されたゲートに行くと、みなバラバラになってしまった様で、そこにメンバーの姿はなかった。 予約客はすでに乗機した後で、人影は少ない。 一緒に来たY君と、みんなどうしたんだろう、もう乗ってしまったのかな、とウロウロしていると、 Mさんがやって来た。そして、パラパラと皆が集ってきた。 ゲートの係員がやや焦りながら手招きして「早く乗れ」と言う。 ボーディングパスを渡し、そこで初めて座席番号が入り、我々は飛行機に乗り込むことが出来た。 席はバラバラだったが、飛び立つ前の短い時間にMさんが全員の乗機を確認した。 奇跡だ。まさか、予約なしの飛び込みで全員乗れるとは!! 間もなく、我々を乗せたルフトハンザ航空740便フランクフルト発関西国際空港行きはドイツの大地をひ と蹴りのもとに飛び立った。 思えば、ドイツに来たのは僅か8日前だが、それはもう1年も前の事だった様に感じる。 色々な事が起こったが、良い同行者とツアコンさんに恵まれた、とても良い旅だった。 眼下には、相変わらず平坦なドイツの田園風景が広がり、やがてそれも雲の下に消えていった。 2010年4月21日(水) その後、機は火山灰の影響など微塵も感じさせずに快適な飛行を続け、定刻前に関空に到着。 出国ゲートの先には、TVや新聞の取材班が待機しており、私も共同通信の方から取材を受けた。 (↓)共同通信の敏腕記者の取材に対し、的確かつウイットに富んだコメントをするTO。 ちなみに、NさんはNHKのTVカメラに収まったそうだ。 (↓)関空に到着し、さすがに疲れを見せる一行。 さあ。いよいよ、みんなとのお別れの時だ。 旅はいつも、潮が引くように終わる。 メンバーは全国あちこちから集っているので、関空で、伊丹で、1人2人と抜けていく。 それぞれ、また来年の再会を約束しながら。 そうして、羽田で、独りになった私の前には、8日ぶりの日常が待っていた。 (おわり・全然緊迫感のない体験記にお付き合い頂き真に有難うございました。) 【おまけ】
帰りの駄賃に、Kちゃんから個人用の携帯番号をGETした。「あまり出ませんけど…」と予防線を張られたが、「いいよ、出るまでかけ続けるから。うっひっひ…」とエロ笑いしたら、マジでビビっていた。 |
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2010年04月28日
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【前回の記事】 2010年4月19日(月) 今日も晴れ。 金曜日までの通常の日程中はずっと天気が悪く寒かったのだが、飛行機が止まってからこっちはずっと 晴天に恵まれ、コートを着る事もない。ついているのかいないのか。 帰国に備えて、今日はゆっくりしようと言う事で、集合時間は12:00。 そうは言ってもいつも通り6:00には目が覚めてしまった。 自覚は無かったが、この旅行中ずっと、Nさんと朝食一番乗りを争っていたらしい。 朝食で誰とも会わないなぁと思っていたら、みんな私よりずっと後に食っていたのだ。 その朝食をとるレストランでは、受付の女の子と顔馴染みになってしまい、ルームナンバーを言わなくて も顔パスで入れるようになってしまった。今日のお米は炊き立てらしく、ふっくらだった。 飯を食ったあと、その足で両替に行く。手持ちのユーロが心細くなったのだが、明日飛行機が飛ばない事 も考えて、少々多めに両替する事にした。ホテルのレートはお話にならないので、ヨーロッパ・センター の両替所へ行った。この辺では、ここが一番レートが良いそうだ。 集合時間に皆ピッタリ集り、ロビーでMさんに状況を訊く。 「空港再開の目途立たず」…と、いつもの答えが返ってくると思いきや、意外や意外。 ミラノでは空港が開いてアリタリアの成田便が飛び、ベルリンは今日午後2時から、ロンドンも深夜から 開く予定だと言う。昨日飛んでいた飛行機は、思った通りテストフライトだったそうだ。KLM・ルフ ト等が飛行機を飛ばしたそうだが、特に問題はなかったと言う。TVニュースでもテストフライトの模様 を伝えていたらしい。航空当局も、空港再開の方向で協議を始めるそうだ。 この調子なら、帰れるかもしれない。 ただ、油断は禁物で、Mさんも今日は1日ホテルのビジネスセンターに詰めて情報収集に当たるそうだ。 全く、頭が下がる。 その後全員で昼食をとってから、数人ずつのグループに別れて夕方まで自由行動とする。 貸し自転車で市内を回る人、買い足りなかったお土産を買いに行く人など様々。 私はNさんら数人と、Sバーンを乗り継いで郊外にある「ユダヤ人収容所跡地」を見学に行った。 (もう観光見聞録は飽きたので、詳細は割愛します。) 夕刻またインターコンチネンタルのロビーに集合。Mさんによると、テーゲルはまだ閉鎖が続いている が、深夜には再開予定との情報が入っているとの事。 兎も角、予定通りスイス航空に乗る前提で動くそうだ。 日中、どこかの航空会社のクルー達が暇を持て余してロビーをウロウロしていたそうだ。いつお声がかか るか判らないのでホテルから出られないと嘆いていたと言う。 バスで空港近くのホテルへ移動し、到着間もなく近所にあるイタリア料理屋へ夕飯を食いに行く。 陽気なシチリア人が経営する店で、ピザやパスタもイタリアそのもの。とても美味い。 明日帰れる(可能性がある)と言う事で、場はさよならパーティーの様相を帯び、みな旅の思い出を語 り、大いに盛り上った。皆の心中には、やっと帰れると言う安心感と、この非日常な楽しい旅が終わり を迎える寂しさ、それと帰ったら相当仕事が溜まっているだろうなぁと言う憂鬱さが折り重なった複雑な 感情が渦巻いている事は言うまでもない。 さて実は、ここでサプライズを仕込んでいるのだ。そろそろ始めるか。 タイミングを見て、私が突然「♪あなたに〜会えて〜本当に〜良かった〜」と歌いだすと、皆がそれに続 いて「♪嬉しくて〜嬉しくて〜」と歌い始める。♪ルールールールルールーと皆がハミングする中で、 何事が起こったかと頭の上に?マークをたくさん浮かべているKちゃんに、Yさんが声をかける。 「Kちゃん、一生懸命頑張ってくれて、本当に有難うございました!!これ、みんなの気持ちです!!」 とプレゼントを手渡す。心底ビックリしたKちゃんの表情がみるみる崩れ、涙顔になった。 「うう〜、びなざん、あじがどおうございばずぅぅ(訳:皆さん、有難うございます)」と鼻を啜るKち ゃんが包みを開けると、Kちゃんのニックネームが入ったオリジナルのTシャツが出てくる。SさんとY さんが、街のTシャツ屋でわざわざ作って貰ったのだ。費用は勿論全員で割り勘。 「ヴァァァァ、うれぢいいい(訳:わあ、嬉しい)」と喜ぶKちゃんに皆から拍手と「ありがとう!!」の 声が飛んだ。彼女は、ギロッポンの強いキャリアウーマンを気取ってはいるが、時折女の子らしいモロさ も見せる(Y君に言わせると「寂しい女なんですよ」と言う事になるが)可愛らしい娘さんだ。 根っから真面目で気立てが良くて、何より裏表なく一生懸命参加者の為に頑張っていたその姿が、皆の心 を打ったのだ。 さてこれで一段落と思いきや、ハミングが終わらない。 次はSさんが「Mさん、本当にお世話になりました!!」と立ち上がる。 滅多な事では驚かなさそうなMさんも、え、何々、何ですかとリアル・サプライズ。 同じく、オリジナルのTシャツをプレゼントすると、顔を赤らめて喜んでくれた。 ツアコンが、プロ中のプロであるMさんでなかったとしたら、この延泊ツアーはとんでもない事になって いただろう。参加者の要望を的確に掴み、それを叶える為に迅速に動いて下さった。 私も今まで多くのツアコンさんにお世話になったが、ツアコンと客の垣根を越えて仲間意識を持ったのは Mさんが初めてだ。飲みの席では、絶対にブログに書かないという約束で、国会議員・有名スポーツ選 手・大物芸能人に添乗した時の裏話を、実名入りで沢山披露してくれた。どのエピソードも死ぬほど面白 く、アレを書いたら、恐らくこのブログも一気にアクセスが増え、一躍人気ブログになる事間違いなしな のだが、約束なので書けないのが残念だ。アー残念だ。残念だ。 ともあれ、サプライズ大成功の巻!!であった。 良かった良かった…と思っていると、何故か再び♪ルールールールルールーとハミングが始まった。 え?段取りもう完璧に終わったじゃん、何まだ歌ってんの?と思ったら…。 「TOさん、みんなを引っ張ってくれて、有難うございました!!お陰でとても楽しかったです!!」 ―ええ〜っ!!俺もぉ!? これには本当に驚いた。こいつら、俺まで騙しやがって!!と同時に、思わず涙腺が緩んでくる。 何か、ギャグで返さないと泣いてしまう。しかし、こう言うときに限って何も出てこない。 渡されたTシャツには「I LOVE R」と、あの現地ガイドにして我が最大のライバル、Rさんの名が刷り 込まれていた(笑)。 しかし、この旅行中はやりたいように好き勝手にやっていて、どこへ行ってもビールを煽ってオヤジギャ グを連発し、痛風の足を気遣って貰い、皆には迷惑だったのではと思っていたが…。 こんなに嬉しい事はない。この旅行をこのメンバーと過ごす事が出来て、本当に良かったと思う。 陳腐だが、ありがとうの一言しか出てこなかった。 気がつけば、店のオッサン達も巻き込んで、食事の席はパーティーとなる。 空には相変らず飛行機の姿は無く、その北緯52度と言う樺太と同じ高緯度の空がようやく暮れなずんでく る頃、我々はホテルに戻った。吹く風はやや冷たいが、心は温かだった。 さてその後。慣例に従い、今夜も部屋飲み。 Kちゃんがビールの3ℓ樽を買い込んできて、私の部屋にMさん含めてほぼ全員が集った。 何しろそのフロアに泊まっているのは私達だけだったので、気兼ねする事無く夜更けまで騒いだ。 Mさんはどうやら、徹夜覚悟で情報収集にあたるつもりの様だ。 明日、帰れるかどうかは明日になってみないと判らないが、明日は明日の風が吹く。 その風が火山灰を吹き飛ばしてくれる様に祈りながら、遅い床に就いた。 (文字数制限の為、已む無くつづく) 引っ張りすぎだと判っていながらつづいてしまうこの文章ベタっぷり。 次回は必ず最終回なので、もう少しだけお付き合いの程を…。 |
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