
- >
- エンターテインメント
- >
- 超常現象
- >
- UFO
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年10月13日
全1ページ
[1]
|
かっちゃんさん、UFO撃退の準備は出来た!!
私的にはやはりインターセプターが好きです。子供の頃、イマイかどこかから出ていたプラモを作りました。
でも・・・
―やっぱり、おねえちゃんがイロっぽい
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 超常現象
- >
- UFO
|
つづくほどのモンじゃないのは判ってますが、もうしばらくお付き合い頂ければ…。
さて、「心霊スポット」らしさがまるで無い展望台。
かわいい園児ちゃんたちは、遠足でしょうか。
何故か、「ダイエーが見える、ダイエーが見える!!」と
みんなで大喜びしていました。
展望台の下の広場には「野島貝塚」の看板が…。
ここは、横浜市内でも最古と言われる貝塚でもあったんです。野島の歴史は古いんだなぁと改めて実感・・・。
木々の間からは、追浜にある日産のテストコースがチラ見できました。残念ながら、今日は何も走っておりませ
ん。ここは、戦時中は海軍の飛行場でした。陸海軍共同開発の試作ロケット戦闘機「秋水」がテスト飛行をした
場所です。
いやーそれにしても、気持ちの良い場所です。
幽霊なんてどうでもよくなってきました。(こらこら。)
響く。
散策にもってこいのところです。
木々の合間からは青空がのぞき・・・
木漏れ日が優しくふりそそぐ・・・。
という訳で、博文公別邸まで戻った取材班。
小一時間の
歴史と自然に触れながら散策するなら、ここ野島公園はおススメです!!
え?幽霊はホントに出るのかって?
さあ、どうでしょう?出ないような気がしますがねぇ…。
―と、「心霊スポット」突撃にしてはミもフタもない結論を下しつつ、取材班は現場を後にするのであった…。
おまけ。
せっかくなので、ついでにお隣の夏島にも立ち寄ってみました。
「島」と言っても、追浜の飛行場を造成する時に埋め立てられ、今では地続きになっております。
ちなみに、夏島は横須賀市になります。
夏島貝塚。日本で最も古い貝塚の一つだそうです。昭和25年・30年に明治大学によって発掘調査されました。
マガキやハイガイなどの他に、マグロの骨も見つかったとか。昔の人も大トロを食べていたんですね〜。
夏島貝塚に隣接する、明治憲法起草地記念碑。
記念碑前から、野島を望む。
取材終了!!
おまけのおまけ。
帰宅して、シャワーを浴びようとして気づいたのですが、左腕に…手で掴まれた様な跡がありました。
手形の大きさは、ちょうど大人の男性くらい…。
いつ、ついたんだろう???
(参考) 横浜・金沢ガイドマップ(横浜金沢観光協会) 野島公園のパンフレット(財団法人横浜市緑の協会) 旧伊藤博文金沢別邸のリーフレット(〃) 以上、旧伊藤博文別邸で無料で頂きました。
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 超常現象
- >
- 幽霊、心霊
|
さて、最近近場のスポットを精力的(?)にこなしておりますが。
今回は、野島へ行って見ました。
野島と言えば、金沢八景の一つに数えられた、古くからの景勝地。
歌川広重の描いた「野島夕照(のじまのせきしょう)」で有名な島です。
横浜の最南部、平潟湾の入り口に浮かび、海抜57mの野島山を抱える小さな島です。
古くから漁師の島として栄え、昔は「百軒島」と呼ばれていたそうです。
これは、島の軒数が百を越えると必ず災いを招くと言われており、軒数が百を超えない様に制限していたから。
恐らく、限られた漁業資源を守る為の方便だったのでしょう。
さて、野島には「野島公園」と言う公園が整備されております。
この公園が、割と有名な「心霊スポット」になっており、色々なサイトにここでの「体験談」が寄せられています。
特に、島の頂上にある展望台付近での話が多く、階段を上がってくる足音がするが、誰もいなかった…とか、
展望台の上から女が見下ろしていたが、上ってみると誰もいなかった…とか、そんな話がある様です。
噂では、野島公園では死体遺棄事件が何度か発生しており、その被害者の霊が彷徨っているとか。
また、展望台付近で首吊り自殺が何件かあり、その自殺者の霊が(以下同文)。
死体遺棄に関しては、実際に1992年に女性のバラバラ死体が公園内で発見されており、この事件は未だ未解
決だとか。そんな事実も、「心霊スポット化」の要因になっているのでしょう。
さて、前置きはこの辺にして、早速行ってみましょう。
公園の駐車場に車を停めると、すぐ横に、伊藤博文の別邸があります。
対岸の夏島で明治憲法を起草したのは有名な話ですが、伊藤博文は金沢の海をこよなく愛したとの事で、ここ
野島にも立派な別荘を持っていたのです。現在では横浜市指定文化財となっており、良く手入れされた庭園の
中に、茅葺寄棟屋根の落ち着いた邸宅が建っております。
見学無料なので、ちょっとお邪魔してみましょう。
この建物の様式は「田舎風海浜別邸建築」と言うそうですが、開放感に溢れて、夏の暑さも快適にしのげそう。
海からの風が、心地よく室内を通り過ぎていきます。
この閑静な一室で、伊藤博文公は何を思ったのでしょ
うか…。
静謐な空気に包まれていると、明治時代にタイムスリ
ップした気分になります。
海に面した縁側からは、シーパラダイスが望めます。古さと新しさのコントラスト。絶妙の借景です。
庭から、憲法起草の地である夏島(向こうのこんもりとした山)を望む…。
おっとっと。また「歴史散歩」みたいになってきました。いかんいかん。心霊スポット突撃の記事なのでした。
さて、では、野島公園に入ってみましょう。
まず、海に沿って
島を時計回りに歩く感じになります。
あまり知られていない様なのですが、野島公園には、横浜では唯一の自然海浜が残されております。
現在、横浜にある自然のままの砂浜は、たったこれだけ…。少々寂しい気がします。
公園内を歩いていると、猫が多いニャーと言う事に気づきます。エサがいいのか、どの猫も良い毛並みをしてお
ります。それにあまり人を恐れません。
園内の様子。広々したバーベキュー場もあります。
さて、公園を半周して、野島稲荷神社に着きました。
由来によると、野島稲荷神社は京都伏見稲荷の系統との事。野島の総鎮守であり、安貞元(1227)年に建立され
た、800年の歴史を持つ由緒あるお社です。
いい雰囲気…。
万治年間(1656〜1660年)には、野島の南端に紀州大納言徳川頼宣公の別邸があったとされ、野島稲荷神社は
その鬼門の護りとして頼宣公の厚い信仰を受けたそうです。 ちなみに、先述のバラバラ死体はこの神社の近くで発見されたとか…。
神社を過ぎると、広い遊び場があります。陽光の中、お子さ
んと遊ぶママさんや、日向ぼっこのお年寄りがのんびりと
時を過ごしています。
そして、ここに、野島のもう一つの歴史がぽっかりと口を開
けておりました。
戦時中に掘られた「掩体壕(えんたいごう)」です。横須賀海軍航空隊の戦闘機を空襲から守るために造られた
もので、全長260mの壕は野島山を北東から南西に貫いています。この中に約100機もの戦闘機を収納する計
画でしたが、終戦の為、実際に使用される事はなかったそうです。掩体壕はふつう1機を格納する程度のサイズ
で造られますが、同時に100機を格納する野島の掩体壕は、現存する中でも日本最大級のものだそうです。
(←)掩体壕の反対側の口。
横須賀に近い野島には、やはり戦争の記憶が残され
ておりました…。
いつまでたっても心霊スポットが出こないですね。
いや、ここからが本番です。
遊び場から、野島山の山頂に向かう上り口がありました。いよいよ、展望台に向かう取材班。
いくぞ、待ってろ心霊スポット!!
小さな島とは思えないほどの豊かな森。
吹き抜けてくる風は、かすかに潮の香りがします。
やや急な、長い長い階段を登り続ける取材班。
結構きつくなってきた…。
登る、登る、登る…
登る、登る…もう、太もも限界だあっ!!
と、取材班が音を上げそうになった時、やっと頂上に到着。
広々とし、良く手入れされた芝生の広場に、展望台がそそり立っておりました。
ここに夜な夜な亡霊が…出るとは思えない様な、明るく開放的な雰囲気。
展望台への階段を登る…。何も感じず。
そして、展望台の上には360度のパノラマが広がっておりました。
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 超常現象
- >
- 幽霊、心霊
|
まあ、ご覧下さい。
(←)20世紀初頭に、ある高名な学者が月を望遠鏡で観測中に、月
面から飛び立つ物体を撮影したとされる写真です。
―ええ、そうです。地球からどんな高性能な望遠鏡で月を観ても、こんな風には見えません。
ましてや、100年前のお話ですから、この写真、どこからどう見てもフェイクです。
―しかし、この写真は只のフェイクではないのです。
じゃあ、何なのか!?
フェイクです。「只の」がつかないだけです。
何でこのフェイクが只のフェイクじゃないのか、その理由はと言うと…。
まず、このフェイク写真を作成したとされるのが、アメリカの物理学者・ロバート・ウィリアム・ウッド(Robert Will
iams Wood、1868年―1955年)だと言う事。ウッドさんがどれだけ有名かつ優秀な方だったかはWIKIのこの項目
でもご参照頂くとして、兎も角、あのアインシュタインさんと肩を並べて写真に納まる様な人だったのです。
そして、もう一つ。
この写真が、UFO史上初の「インチキUFO写真」だと言う点。
それも、このフェイク写真から「只の」を取り払う理由なのです。
ジョン・ホプキンス大学の物理学教授だったウッドさんは、分光学の権威でありました。
英王立協会からランフォード・メダルを、全米科学アカデミーからはヘンリー・ドレイパー・メダルを貰う程の人。
そのウッドさんがある時、「月を望遠鏡で観測しとってん。そしたら月面から何かヘンなもんが飛び立ちよって、
慌てて写真撮ったがな!!どや、めっさすごいやろ、コレ!!」と、言ったとか言わなかったとか。
わあ、偉いセンセがえらい写真撮りはった!!えーらいこっちゃ!!
―と、世間はえらい騒ぎになったとかならなかったとか。
この写真が作られたとされる20世紀初め頃には当然「UFO」だの「空飛ぶ円盤」だのと言う概念はありませんで
した。ウッドさんは、「UFO」のユの字も無かった頃に、何故「UFO」の偽造写真を作ったのでしょうか?
―もちろん、ウッドさんは「UFO」の写真を作った訳ではなく、恐らくは、「月世界に住む高等生物」と言う概念を
パロった写真を作ったのです。
20世紀初め頃と言うと、ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」が映画化(1902年)され、大ヒットしていました
(フランス語での原題は「Le Voyage dans la Lune」、英語では「A Trip to the Moon」)。
この作品は14分かそこら(それでも当時としては長編)のサイレント映画ではありますが、魔術師と言われたジ
ョルジュ・メリエスの脚本・監督によって創造された映像は、「映画史上初のSF」と言われております。
それどころか、それまで「映画=動く写真」にすぎなかったものに「ストーリー」を持たせ、現在において我々が
「映画」と呼ぶ物の原点を造ったと言える作品である…と評価する方も多い、歴史的名作。
(←)映画史上に燦然と輝く名シーン。
<痛いやんけ。何すんねんな。
この映画では、月には月人(↓)が住んでおりました。(このくだりは、H.Gウェルズが元ネタですが。)
―と言う事で、世の人々は月を見上げてる度に「あそこにも人が住んでんのかもなぁ」と思ってた事疑いなし。
月にロマンを馳せていられる時代だったのです。
実を言うと、ウッドさんは、大のイタズラ好きだったそうです。
それまでも「宇宙から落下してきたと思われる球体を発見した」とか何とかという話をシカゴの新聞に載せたり、
へんちょこりんなパロディ本を書いたり、論文にまでジョークを入れたりと、そう言う方だったのです。
そんなウッドさんがこんな美味しいタイミングを見逃す筈も無く、こんな写真をでっち上げ、「お月さんネタ」
で、イタズラを仕掛けたのでしょう。
ウッドさんは、片方でそんな与太話をギャグりつつも、もう一方では「N線の発見」が錯誤である事を証明したり
と、いわゆる「似非科学」の検証・批判の分野でも足跡を残しました。
このネタは、UFOをはじめ、いわゆるオカルトネタを扱う者にとって様々な示唆を与えれくれます。
高名な学者の話でさえ鵜呑みにするな。 と言うのもひとつ。
UFO写真ネタは、最初っから偽造・捏造で始まった。と言うのもひとつ。
何となく、オカルト・似非科学に向かう姿勢を教えられる様な、教えられない様な、そんな感じのお話でした。
(参考) 山本弘のSF秘密基地 Wikipedia
(←)クリックしたら、円高が落ち着くかも。
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 超常現象
- >
- UFO
全1ページ
[1]





