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ああ、やっと終わります…。
 

まとめ

今や、中国ではカトリック信徒の数が共産党員の数を大幅に超え、党も相当な警戒心を抱いている様です。
 
バチカンは表向きは「内政不干渉」の立場をとっておりますが、国際政治の舞台ですから、表もあれば裏もあ
 
る。自由主義諸国の対中国戦略の一環をバチカンが担っているのは間違いないところですが、その辺は当ブロ
 
グの趣旨ではないので割愛します。
 
 
2005年5月13日、ファティマでバチカン国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が声明を出しました。
 
「1989年に相次いで起きた事件【TO注:ソ連・東欧諸国の民主化運動を指す】ソヴィエト連邦においても東欧
 
諸国においても、無神論を標榜していた共産主義体制の崩壊をもたらしました。このためにも教皇は、心の底か
 
ら聖なるおとめマリアに感謝しておられます。しかし、世界のほかの地域における、苦しみの重荷を背負う教会
 
とキリスト者にたいする攻撃は、残念ながらまだ終わっていません。ファティマの『秘密』の第三部にかかわると
 
思われるいろいろな出来事は、もはや過去のことに思えるにしても、聖母マリアから20世紀の初めに呼びかけれ
 
た回心と償いへの招きは、今日もなお時代性と緊急性を残しています…」
 
 
前回の記事をお読みになって、「第一・第二の秘密」と「第三の秘密」の大きな違いにお気づきになった方も多い
 
のではないでしょうか。そう、「第一・第二の秘密」は聖母マリアが言葉で告げたのに対して、「第三の秘密」は
 
「バチカン崩壊」の抽象的なイメージをルチアに見せただけ。色々な解釈の余地が十分に残されているのです。
 
これは何故かと言うと、「第三の秘密」はまだ成就していないからだと思います。共産主義は未だ存在してお
 
りますから、バチカンはまだまだとうぶん「ファティマの秘密」を完結させる訳にはいかないのです。
 
 
「世界のほかの地域」に、中国が思いっきり入っている事は言うまでもありません。バチカンの戦いはまだまだ続
 
くのです。
 

 
1917年に、ポルトガルの寒村で起こったとされる奇跡。
 
 
ルチアが出会ったのは本当に聖母マリアだったのか?それとも彼女の幻覚に過ぎなかったのか?
 
聖母出現が本当だったとしても、預言された内容は本当に公表された通りだったのか?
 
それは誰にもわかりません。
 
全てを知る唯一の存在、ルチア・ドス・サントスは、2005年2月13日、心不全で死去。97歳でした。
 
後を追う様に同年4月2日、教皇ヨハネ・パウロ2世が死去。
 
 
合掌…じゃなかった、アーメン。
 

 
このネタを調べていて、私に判った事実は只一つだけです。
 
それは、「ファティマの秘密」は共産主義の勃興と共に生まれ、以後バチカンによって、それぞれ絶妙な
 
タイミングで世に示され、反共産主義のツールとして使われてきたと言う事。
 
 
―あ、あともう一つ。UFOとかじゃぁないって事。
 
(おわり)
 
 

(参考)沢山あってめんどくさいので、今度入れます。
 
 
イメージ 1
(←)このネタにはもっともっとオカルト探求心を刺激する要素(例えばフランシスコの遺体を移動するために掘り起こしたら、顔が腐ってなかった…とか)があるのですが、その辺はまた別の機会に…。
 
 
 
 

特別付録!! 「ファティマ関連年表」

1914728日 第一次大戦開戦。
 
1917223日 ロシア2月革命。ロマノフ王朝崩壊。
 
1917513日 ファティマでの第一回目の聖母マリア出現。
 
1917713日 聖母マリアが「三つの預言(ファティマの秘密)」をルチアに伝える。
 
19171013日 6回目にして最後の聖母出現。「天空の奇跡」が示される。
 
19171025日(旧暦) ロシア10月革命。
 
19181111日 第一次大戦終結。
 
1919年 コーバ・ダ・イリヤに礼拝堂が建てられる。
 
191944日 フランシスコ病没(享年11歳)。
 
1920220日 ヤシンタ病没(享年7歳)。
 
19221230日 ソビエト社会主義共和国連邦樹立。
 
19301013 ファティマの聖母出現をバチカンが奇跡として認定。
 
1938125日〜26日 西ヨーロッパ一帯に夜空を真っ赤に覆う様なオーロラが出現。
 
193991日 ドイツのポーランド侵攻により第二次大戦勃発。
 
1941831日 ルチアが第一・第二の秘密の内容をしるした「第三の回想録」を教皇に送る。
 
1942年 バチカンが「ファティマ第一・第二の秘密」を公表。
 
1943年 ルチアが「第三の秘密」を教皇に送ったとの説あり。(異説あり。以下参照)
 
1945815日 第二次大戦終結。
  
1946513日 教皇ピオ12世がファティマを訪れ聖母像に「平和と世界の元后」との王冠を贈る。
 
1940年代後半 チェコスロバキア・ハンガリー・ブルガリア・ポーランド・ユーゴスラビア・ルーマニア・東ド
          イツ等、次々と共産主義国家が成立。
 
1950625日 朝鮮戦争開戦。
 
1951年11月18日 バチカンの新聞に「太陽の奇跡」の写真が掲載される。
 
1956-1957年 第三の秘密が教皇ピオ12世に渡ったとされる説あり。
 
196012月 ベトナム戦争開戦。
 
19621015-28日 キューバ危機。冷戦の緊張が核戦争寸前にまで高まる。
 
1960年代半ば 教皇パウロ6世が「第三の秘密」を開封するも、失神?して再度封印したとされる。
 
1969-1979年 デタント(緊張緩和)の時代。
 
1979年 ソ連がアフガン侵攻を開始。東西は再度緊張し、新冷戦の時代が始まる。
 
1980年 西側諸国がモスクワオリンピックをボイコット。
 
198152日 「第三の秘密」の公開を要求したハイジャック事件発生。
 
1981513日 教皇ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件発生。
 
1984年 東側諸国がロサンゼルスオリンピックをボイコット。
 
1985年 ソ連でペレストロイカが始まる。
 
1988年 ソ連軍がアフガンから撤退。ソ連の世界に対する影響力の低下が顕在化する。
 
1989119日 ベルリンの壁崩壊。
 
198912月 ブッシュ(パパ)、ゴルバチョフによるマルタ会談で、冷戦の終結が宣言される。
 
1989-1990 東ドイツ・ハンガリー・ポーランド・チェコスロバキアなどソ連の衛星国が民主化。
 
19911226日 ソビエト最高会議が連邦解体を宣言。ソ連崩壊。
 
199413日 「第三の秘密」の内容をルチアが書き記したとの説あり。
 
2000513日 バチカンによって、フランシスコとヤシンタが列福(聖人に次ぐ福者の地位に上げられ
           る事)される。その後のミサにおいて、「ファティマ第三の秘密」を公表。
 
2000628日 バチカンは、イタリア国営放送にて正式に「ファティマ第三の秘密」の内容を発表。
 
2005213日 全ての発端であり、全てを知る唯一の証人であるルチア死去。
 
2005年4月2日 教皇ヨハネ・パウロ2世死去。 
 
2005年5月13日 ファティマにて バチカン国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が声明。
 
 
 
 
さて、できれば今回で終わらせたいネタですが、どうなることやら…。
 


 
「ファティマ第一・第二の秘密」はそれぞれ第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦の勃発を、そして長年封印
 
されていた「第三の秘密」は教皇ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件を的中させていたと言われておりますし、実
 
際その通りではあるのですが、調べて行くうちに意外な事実に突き当たりました。
 

「第一・第二の秘密」が公表されたのはいつ?

 
何となく、1917年の「ファティマの奇跡」の時には、公表されてたんじゃないの?と言う雰囲気があるのが「ファテ
 
ィマ第一・第二の秘密」です。
 
しかし、ところがどっこい。「ファティマ第一・第二の秘密」は、「奇跡」から25年も経った1942年にバチカンに
 
よって公表されていたのです。
 
1942年と言えば、とっくに第二次世界大戦は始まっており、このタイミングで「これこれこうで、この事は預言され
 
ていました」と言われても、後出しジャンケンみたいで釈然としません。ジュセリーノじゃなんだから。
 
 
また、「第三の秘密」も教皇暗殺未遂事件から19年後に公表された訳で、やっぱりこれも、「預言」は兎も角
 
「予言」としては賞味期限切れですね。「予言」と言うのは、文字通り物事が起こる前に予め言うから意味がある
 
のですから。
 
 
「ファティマの奇跡」の数年後、フランシスコとヤシンタはスペイン風邪で相次いで亡くなります。残されたルチア
 
は14歳で修道女学院に入り、その後は修道女となり、世間からはほぼ完全に隔離された人生を送る事になりま
 
した。シスター・ルチアは「聖母マリア」との約束を守り、「ファティマの秘密」を決して他人に伝えなかったそうで
 
す。しかし、司教の奨めとイエスの許しを得て(シスター・ルチアは修道院に入ってからも度々イエスやマリアと
 
邂逅すると言う神秘体験を重ねていたそうです)1941年8月31日に「第一・第二の秘密」の内容を示した「第三の
 
回想録」を書き綴り、レイリア−ファティマ地区の司教宛に送ったと言われております。つまり、「第一・第二の秘
 
密」が明文化されたのも、第二次世界大戦が始まってからだったのです。
 
25年もの間、聖母マリアの言葉を一言一句全て憶えていたとは、さすがにシスター・ルチアは只者ではない!!!
 

何故そのタイミングで公表されたのか? 

しかし、どうしてバチカンは1942年に「第一・第二の秘密」を公表したのでしょうか?
 
それは、「秘密」の内容を読むと合点がいきます。ちょっと長いですが、引用してみます。
 
 
1917年7月13日、「聖母マリア」は3回目の出現の折に、ルチアにしばし地獄のイメージを垣間見せ、こう仰ったそ
 
うです。
 
「…戦争がもうすぐ終わろうとしています。しかし,もし人々が神に背くのをやめないなら,ピオ11
 
TO注:在位期間192226-1939210日】が教皇である間に,もう一つの,もっとひどい戦争が
 
始まるでしょう。ある夜,まだ見たことのない光がやみを照らすのを見たら,それは,戦争や飢餓,教会と教
 
皇に対する迫害による世の罪のために今まさに神が,世を滅ぼそうとしておられる大いなる徴(しるし)で
 
あると悟りなさい…」
 
とまあ、ここまでが第一次世界大戦終結と第二次世界大戦の勃発を予言しているくだりです。そしてさらにマリア
 
様は、こう仰ったそうな。
 
「それを防ぐために,わたしの汚れない心にロシアを奉献することと,償いのために毎月初めの土曜日に聖
 
体拝領をするよう,わたしはお願いにまいります。もし,わたしのこの要請を受け入れるなら,ロシアは回心
 
,平和が訪れるでしょう。さもなければ,ロシア,戦争と教会への迫害を推し進めながら,自分の誤りを
 
世界中にまき散らすでしょう。
 
善良な人々は殉教し、教皇は非常に苦しみ,多くの国々は滅ぼされるでしょう。けれど,最後には、わた
 
しの汚れない心が勝利するでしょう。教皇は,ロシアをわたしに奉献,ロシアは回心し,世界に平和の時
 
が与えられるでしょう」
 
実は、カトリック信徒にとっては、「ロシアがカトリックを迫害する、ロシアを回心(神の道に心を向けること)させな
 
くてはならない」と訴えている後半部分の方が重要なのです。(「第一の秘密」を戦争の終結と勃発、「第二の秘
 
密」を共産主義によるカトリックの迫害、と捉える向きもあります。)当時のロシアと言えば、共産主義のソ連。
 
神論の共産主義とカトリックの関係は常に戦闘的だったのは歴史の常識です。
 
1942年と言えば、破竹の勢いでロシアに侵攻していたドイツの押せ押せムードにも翳りが見えてきた頃。
 
親ナチだったバチカンが、「おいおい、まずいんちゃうんけ?」と焦りだした頃でしょう。(ちゃうんけ?と言ったかど
 
うかは知りませんが。)
 
そのタイミングで「マリア様がロシアを回心させろと仰った」と言うメッセージを世界に発信するとは…。
 
多分に政治的な匂いを感じざるを得ません。

「第三の秘密」公表の背景

そして、第二次世界大戦が終結。バチカンの天敵である共産主義は生き残り、東欧諸国をはじめ世界のあちこ
 
ちで共産主義国家が成立していきました。共産主義が世界を制覇し始めたのです!!
 
やばい、やばいぞバチカン!!
 
−と、そんな中でついに東西両陣営が直接戦火を交える事になってしまいます。
 
1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。
 
その翌年に、例の「太陽の奇跡」の写真が公表されました。またまたタイミング良過ぎ〜!!と思うのは私だけで
 
はありますまい。
 
 
さて、そんな中、「ファティマ第三の秘密」が一体いつ書き記され、バチカンに送られたかは今ひとつはっきりしま
 
せん。資料によって書いてある事が違うのです。しかし、ヨハネ・パウロ2世がシスタールチアに宛てた手紙の中
 
に「1957年以来教理庁に保管されている云々」との一節があるので、一応その年に「第三の秘密」がバチカンに
 
渡ったとみなしておきます。
 
ルチアは「第三の秘密」を記した時に聖母マリアから1960年まで開封してはならないと告げられたとしましたが、
 
時の教皇パウロ6世がそれを開封したのは1960年代半ばだったとされております。パウロ6世はその内容に驚
 
愕・失神し、再度封印したとの逸話が残っています。(どうでもいですが、何で1962年のキューバ危機の時に、開
 
けて読まなかったのが不思議です。「世界滅亡」一歩手前までいった事態だったのに…。)
 
 
その後、デタントがあったりソ連のアフガン侵攻があったりオリンピックをボイコットしたりしなかったりと、冷戦時
 
代には色々な事が起こりました。バチカンは常に反共であり、中でも1978年10月に第264代ローマ教皇となっ
 
たヨハネ・パウロ2世は、ポーランド出身と言うこともあって宗教の枠組みを超えた積極的な反共外交を行い、東
 
欧民主化勢力の精神的支柱となり、シンボルとなりました。
 
 
対する共産側も黙っちゃいない。バチカンに息のかかった者を送り込む工作をする位では気が済まず、遂に実
 
力行使に出ます。「教皇暗殺を強行するでぇ!!」と言ったかどうかは知りませんが。
 
1981年5月13日教皇ヨハネ・パウロ2世が、サンピエトロ広場で狙撃され、辛くも一命を取り留める事件が発生。
 
背後にはKGB他東側の諜報機関の存在がありました。この日は「ファティマの奇跡」の記念日であり、教皇はフ
 
ランシスコとヤシンタの追悼ミサを執り行っていたのです。
 
 
そして色々何やらあった末、1985年からゴルビーがペレストロイカをおっぱじめ、ソ連軍はボロボロになってアフ
 
ガンから撤退し、もうソ連は世界に強い影響力を発揮できる力がないことがバレバレになり、何だかんだで、1991
 
年12月26日、ソ連は解体されました。相前後して、ソ連の衛星国と呼ばれた東欧諸国は相次いで民主化。
 
 
バチカンは、無神論者との戦いに一つの勝利を収めたのです。
 
 
そんな混乱も一段落し、、ソ連に代わって台頭してきた共産主義の大国がありました。
 
中国です。
 
共産主義がサタンの次に嫌いと言うバチカンが、中国を黙って見ている訳がない。表と裏から中国に浸透し
 
ていったのが2000年前後。中国4000年の歴史と言いますが、バチカンだって2000年の歴史。いい勝負です。
 
 
その2000年5月13日、バチカンは聖母と邂逅し夭逝したフランシスコとヤシンタを列福(聖人に次ぐ地位に引き上
 
げる事)し、その後のミサで、ルチアが書き記したとする「ファティマ第三の秘密」を公表しました。
 
その内容はこうでした。
 
「すでに述べたあの二つの啓示のあと,私たちは,マリアの左側の少し高いところに,火の剣を左に持った
 
一人の天使を見ました。この剣は,まるで世界を火で焼き尽くさんばかり,火花を散らして光り輝いてい
 
ました。しかし,その炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触
 
れると消えるのでした。天使は,右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め,悔い改め,悔い改
 
め」。それから私たちには,はかりしれない光〜それは神です〜の中に,「何か鏡の前を人が通り過ぎると
 
きにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だと
 
いう感じでした」そのほかにも幾人もの司教と祭司,修道士と修道女が,しい山を登っていました。その
 
頂上には,樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は,そこに到
 
着なさる前に,半ば廃墟と化した大きな町を,苦痛と悲しみにあえぎながら震える足でお通りになり,通りす
 
がりに出会う死者の魂のために祈っておられました。それから教皇は山の頂上に到着し,大十字架のも
 
にひざまずいてひれ伏されたとき,団の兵士たちによって殺されました。彼らは教皇に向かって何発
 
もの銃弾を発射し,矢を放ちました。同様に,他の司教,司祭,修道士,修道女,さらにさまざまな地位や立場
 
にある多くの信徒たちが,次々に殺されていきました。十字架の両腕の下には二人の天使がい,おの
 
おの手にした水晶の聖水入れに殉教者たちの血を集め,神に向かって歩んでくる霊魂にそれ注ぐのでし
 
た。」
 
シスター・ルチアは「白い法衣をまとった司教」は教皇を意味すると確信していると述べ、1981年のヨハネ・パウロ
 
2世が狙撃された事件の予言だと説明しました。しかし、この「預言」と言うかルチアの見たビジョンは明らかにそ
 
れだけではなく、無神論者(=共産主義者)によって蹂躙壊滅させられるバチカンであり、バチカンが代表するキ
 
リスト教世界の崩壊そのものです。バチカンのみならず、全てのカトリック信徒にとってはまさに悪夢の事態。
 
 
「ファティマ第三の秘密」の公表は、そんな恐ろしい予言を乗り越えて、我々は共産主義に打ち勝ったのだ!!と言
 
う、ひとまずの勝利宣言だったのです。
 
 
「第三の秘密」を公表したラッチンガー枢機卿はこうコメントしました。「普遍の運命などない。信仰と祈りは歴史
 
に影響を与えうる。最後には、祈りは弾丸より強く、信仰は軍隊より強いということだ
 
−これは、見方によれば1989年の天安門事件を皮肉っている様にも聞こえ、そうだとすれば、バチカンの中
 
国に対する宣戦布告であったのかもしれません。(−と言うのは穿ち過ぎでしょうか?)
 

 
と、言う所で、文字数制限になってしまいました。
 
まだ続くのか…ハァ…。
 
イメージ 1(←)中日やばし!!―別に応援している訳ではないが…。
 
 
 
 
長くなりそう、と言うか、下書きはそれはそれはもう既に大長編になってしまっております。
 
恐らく、10や15の連載ではきかないでしょう。忙しいのに何やってんでしょうか私は。これをこれから記事にする
 
のか…と、そこまでやる気力も時間もないので、大幅にハショッて記事にします。
 


 
さて、ファティマに現われた女性はナニモノだったのか。
 
ナニモノもナニも、聖母マリアだったんでしょ?と思われるかもしれません。
 
だって、こんな(↓)イメージですもんね。
イメージ 8
 
しかし、「ハイそうですね」と言ってしまうと当ブログは成立しなくなるの
 
で、一応「懐疑的に」検証してみます。
 
ここでは、いつもの通り、「UFO説」をケチョンケチョンにして見ようかと思
 
います。実はそうする事によって、「ファティマの秘密」の秘密(言ってる事
 
が良く判らん)が解明できるかも知れないのです。
 
 
 
 
 
 
 
念の為申し上げておきますが、私は実は懐疑的なUFOビリーバーです。宇宙人はUFOに乗って地球観光にやっ
 
てきていると確信しており、その証拠を探してUFOネタを検証し続けているのです。ところが本件は、検証の結
 
果、UFOも宇宙人も一切絡んでないと思うに至りました。
 

「ファティマの奇跡」の正体はUFOか!?

UFO本やUFOビリーバー系サイトでは、「ファティマの奇跡」を宇宙人とのコンタクト・ストーリーとみなす傾向が
 
非常に強い。そりゃ尤もな話で、ちょっと見慣れないものが空を飛んでると、無批判無検証でUFO(宇宙人の乗り
 
物と言う意味の)と思ってしまう方々ですから。何せ、「ファティマの奇跡」には、「卵形の球体」だの「動く太陽」だ
 
の、それこそパッと見UFOチックなアイテムが盛りだくさん。UFOビリーバーさん達が、これは間違いなくUFO
 
だぁ〜ッ!!と思ってしまうのは、当たり前田のクラッカーです。
 
しかし、調べてみると、それもやはり思い込みに過ぎなかった事が何となく判りました。
 

 
 まず、ビリーバーさんたちの論拠である、「卵形の球体」や「動く太陽」などのUFOチックな「天空の奇跡」が本当
 
に出現したのかが非常に疑わしいのです。
 
 
「ファティマの奇跡」を伝えた当時の新聞(前回記事参照)ですが、ご覧の通り、「天空の奇跡を見上げる群衆」の
 
写真は多々掲載されておりますが、肝心要の「天空の奇跡」の写真は1枚も載っていないのです。常識的に考え
 
れば、一連の奇跡の中でもクライマックスである「動く太陽」は、本件最大の報道価値がある筈です。その写真
 
が載っていないとは、どういう事なのか。
 
 
例えば、プロ野球のある試合で、3−0で負けてる9回裏ツーアウト満塁の場面で逆転サヨナラ満塁ホームランが
 
出たとしましょう。その翌朝のスポーツ紙で、「ホームランを見上げる観客」の写真を一面トップに持ってきて、
 
「バッターが打った瞬間」の写真を1枚も掲載しない新聞があるでしょうか?あったら是非お目にかかりたいもの
 
です。つまり、「動く太陽」の写真を載せないのは、それほど有り得ない事なのです。(ちなみに、今の例で勝っ
 
たのは当然ながら巨人ですが。)
 
 
発生したなら必ず新聞に写真が出る筈の事象なのに、そうでなかったと言う事は、そんな事象は発生していな
 
ったとも考えられます。
 
 
「おいおいTO、あんた前回の記事で『太陽の奇跡』だか何だかの写真をどっかから拾ってきては載せていたじゃ
 
ねえか!!ありゃあ、一体全体なんなんだい!?」と、お思いになる方もいらっしゃいましょう。
 
はい、その通り、載せました。アレを。しかし、アレは、「ファティマの奇跡」当時、つまり1917年の新聞に掲載され
 
たものではないのです。実はアレ、「ファティマの奇跡」から34年も経った1951年11月18日にバチカンの日刊紙
 
『Li Osservatore Romano』に「(バチカンの)厳正な審査の結果、真性と判断された写真」として掲載されたものな
 
のです。
 
いくらなんでも審査に時間かけすぎだろ!!とツッコミのひとつも入れたくなる代物なんですね〜、アレは。
 
普通なら、すぐに新聞に載るネタなのに、何で34年も経ってから世に出たのか???しかもバチカンの新聞から???
 
 
―さあさあ、何だか、話が怪しくなって参りました。
 
 
(↓)アレ。(再度掲載)
イメージ 7
(何度見ても、う〜む…だよなぁ…。)
 

 
じゃ、じゃあ、「卵形の球体」はどうなんだよ!!あれなんか、まさにUFOだろうよ!」!と、お思いの方も多いかと存じま
 
す。確かに、それを目撃した司教達(奇跡現象がホンモノかどうか確かめに来たのです)が「あれは聖母の乗り
 
物でごわす」と認めた空中現象。しかしながら、司教達が認めた…というのがミソなのです。
 
いや、ごわすと言ったかどうかは知りませんが。
 

 
これは、その内記事にしようと思っていたネタなのですが、キリスト教の宗教画にはその様な「球体」が数多く描
 
かれております。そして、そのことごとくは、UFOビリーバーさんたちにとっては「UFO存在の証拠」として取り扱わ
 
れております。
 
イメージ 1
(←)その中でも、最も有名処なのがこれ。セルビア・モンテネグロのデシャニ修道院にある14世紀のフレスコ画です。ちなみにこの修道院は世界(文化)遺産です。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2イメージ 3
こんなの見たらビリーバーさんならずとも、UFOだと思っても無理はありません。でも…
 
 
 
 
 
 
イメージ 4イメージ 5(←)こんなの(『聖母と聖ジョバンニーノ』フィリッポ・リッヒ作 14世紀)とか…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6
(←)こんなの(『十戒を受け取るモーセ』)とか…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
―とまあ、挙げていったらキリがないくらいに、「ヘンな球体」が描かれている宗教画は多いのです。
 
 
それもその筈、キリスト教では天から聖なる者が降臨するのを視覚的に表すのに、しばしば「楕円の球体」を用
 
いたのです。この手の宗教画は、教会や貴族などが画家に注文して描かせたものが多く、絵の構成要素は全て
 
事細かに契約内容に盛り込まれており、画家が勝手に表現する事は出来ませんでした。発注者たちは聖書の
 
一場面を忠実に再現する事を望んだのです。当然、絵の表現方法には細部に至るまで決まりごとがあり、「神聖
 
な者」が地上に現われる表現としては「こんな感じで描く」と決まっていたのです。その「こんな感じ」が「卵形(楕
 
円)の球体」であり、それが今から見るとたまたまUFOそっくりに見えるに過ぎないのです。
 
 
―と言う訳で、記事ネタをひとつ損した気分になるTOでした。(これって、独立した記事でもいけるよなぁ…。)
 

 
ファティマに現れたとされる「卵形の球体」は、その写真すら無く、「こんな事があった」と伝承されているのみで
 
す。しかもそれを「あれは聖母の乗り物じゃけん」と言ったのは司教達。うーん、怪しい。いかにも宗教的。
 
(じゃけんと言ったかどうかは未確認ですが。)
 

 
そんな事を知ってか知らずか、ビリーバーさんたちは、UFOチックな伝承に無批判無検証で食いついたあげく、
 
「ファティマの奇跡」で出現した女性は、宇宙人であると主張します。気持ちは重々承知の上で言うのですが、何
 
でわざわざ遠い星から来た宇宙人がイベリア半島の片田舎で、「教会を建てろ」だの「ロザリオの祈りをしろ」だ
 
の辛気臭いと言うか、宗教臭いと言うか、そんな預言をするのでしょう?
 
この宇宙人はクリスチャンだったのでしょうか。しかも、カトリックの(笑)?と言う事は、ムスリムの宇宙人とか、
 
浄土真宗の宇宙人とかもいるのでしょうか???苦笑と興味が尽きません。
 
 
地球人にコンタクトしてくる宇宙人は、大抵の場合、相手の人選を間違ってますが、「ファティマの宇宙人」も
 
また然り。聖母のふりして小難しい預言をするなら、ルチア達みたいな朴訥な子供よりも、その辺の司教とか、何
 
だったらバチカンまでひとっ飛びして直接ローマ教皇の所に行った方が早いと思うのは私だけなのでしょうか?
 

 
 しかし、「ファティマの秘密」ってのが、ビシバシ的中したってTOてめえが前の記事で書いたろうよ!!」と憤りを感じ
 
るお気持ちも十分理解できます。しかしながら、調べてみると、その「的中」ってのもまた怪しい。調べていて、驚
 
いたのが実は…
 
 
 
…と言う所で、もう死ぬほど眠いので、一旦〆めます。
 
 
イメージ 9
 
お休みなさい…。
 
 
 
 
 
 
 
 

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