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3年目の言い訳

え〜、3年目の節目に、何かやらなきゃいかんかなと思いつつも、何をすればいいのか思いつかない。
 
当ブログは、オカルト系サイトを自認しつつも、有名UFO事件をこき下ろし、オーパーツを何言ってんだと否定し
て、大予言者を嘘つきよばわりしと、そんな「と学会」気取りの態度が、たまに来るビリーバーさんの癇に障って物凄く長いご批判を頂いたりしております。(それはそれで嬉い事ではありますが。)
 
しかし、その割には、人から聞いた怖い話は素直にビビッて記事にして、自腹を切ってまで心霊スポットを這いずり回り、宇宙人は地球観光に来ているんだと確信している。アビさんなんかからは、「あんたは信じてるのか信じてないのかどっちなんだ」と聞かれる事がありますが、そんな時はこう答えます。「オカルトネタは好きだけど、鵜呑みはしないだけです」と…。
 
自分の事を長々と書くのは気が引けますが、折角の機会ですので、私のオカルトネタへの付き合い方を少々書
いてみたいと思います。偉そうな事を言うつもりはさらさらないのですが、そう聞こえたらごめんなさいです。
 
ちなみに、当ブログを立ち上げた時、最初に掲げた この方針 は、何とか党政権と違って全然ぶれてはござい
ません。
 

総論

オカルトネタが人一倍好きなのは間違いありません。’60年代半ばに生まれた私は、空前のオカルトブームの洗礼を思いっきり浴びて育った世代です。子供の頃は、テレビや雑誌にはUFO・幽霊・超能力に大予言が満載で、学校でもそんな話で盛り上がっておりました。「昨日のユリゲラーみた?すごかったな〜」とか。「ドリフみた?志村おもしれーなー」とか言うのと同等な話題でした。
恐らく、当時の子供の大半はUFOも幽霊も超能力も大予言も、全部信じていたのではないでしょうか?
少なくとも、私は全部信じていました。何せ、「ムー」は創刊当時から読んでいましたし、「UFOと宇宙」のバックナンバーも揃っていました。(全部捨てちゃいましたが。ああ、もったいない。今アレを持っていれば、高値で売れた良い資料になったのに…。)振り返ると、スーパービリーバー少年だったのですね、私は。
 
そして実は、今でも、オカルトネタは大好きです。好きでもなければ、3年も続きませんよねぇ。
 

1.怪談・幽霊話〜いわゆる心霊現象

大好きなジャンルです。と言うか、当ブログは本来これをやるために立ち上げられたものです。
最近、ネタ不足に喘いでおりますが…。
 
幽霊がいるかいないかと言うと、合理的に考えると、幽霊は存在しない可能性が高いと思います。
このブログをやっていて色々調べる内に、心霊現象とされている事象の殆どが、今や科学の範疇で合理的に、否定的な説明や証明ができる事に気づいてしまいました。それほまでに、科学(特に脳科学や心理学)は発展してきているのです。
 
しかし、怪談は文化です。
 
日本人には日本人の怪談があり、タイ人にはタイ人の怪談があり、ハワイ人にはハワイ人の怪談があります。
私にとっては、幽霊がいるとかいないとかは別にどっちでもよく、「話として面白いかどうか」、「どれだけ怖いか」、
「何故そんな話が出てきたのか」と言った事の方により興味をそそられます。
 
反面、そんな純朴な怪談に、妙ちきりんな屁理屈をこじつけて、いたずらに人心を惑わせる似非怪談は大嫌い
です。先祖の霊が祟るだの、水子の霊が祟るだの、守護霊がどうの浮遊霊がどうのとか言って、除霊・御祓いを
名目に金品を巻き上げるアレです。こんなブログを始める前までは「そんなのに騙される方も悪いだろ。大体、子
孫に祟るようなタチの悪い先祖ならこっちから縁を切ってやれ!!」位にしか思っておりませんでしたが、ブログの記
事を書く上で色々調べるうち、その手の輩の手口の汚さに、こんな私ですら義憤を感じざるを得ませんでした。
 
こんなのは、怪談文化に対する冒涜であるばかりか、それにひっかかってとんでもなく悲惨な目に遭う被害者
(私の知人にも何人かおります)を大量生産してしまうので、今後も批判的な記事を書いていきたいと思います。
(私が駄文を書き散らかした所で、どうなるものでもないですが…。)

1.5 心霊スポット

私が、馬鹿みたいに「心スポ」を訪ねるのは、子供の頃怖くて不思議に思っていたが行く手段がなくて行けな
かった場所に大人になった今なら行ける!!つまり、「心霊スポットの大人買い」をしている様なモノなのです。
だから私は、「心スポ」に行く度に、子供の頃に神社の裏山に分け入った時みたいなドキドキ感を味わうのです。
 
そこに、お化けが出ようが出まいがどっちだっていいんです。ただ、お化けが出ると言われる場所をこの目で見
る、そして何でここにお化けが出ると言われてるのかを調べてみる。
これがこの上なく楽しいのです。(我ながら、ヘンな趣味にハマったものです…)
 
ただし、「心スポ」に行く上で、自分に課しているルールがいくつかあります。
 
その1.夜中には行かない。…ホントに出たら怖いから。たまに、夜間突撃をしておりますが、大抵の場合酔っ
て気が大きくなっております。しかし、真っ昼間に行っても怖い場所があるのには困ったものです。
その2.入っちゃいけない所には入らない。…これは2つの意味がありまして、ひとつは「禁足地系」。八幡の
藪知らずとか、本牧十二天とかです。入っちゃいけないとした先人の意図を尊重すると共に、怖いから入りませ
ん。もうひとつは、「他人の敷地系」。厚木恵心会病院とかの廃墟ネタが多いですが。他人の地所には入らない。
コンプライアンス精神旺盛な当ブログです。
その3.近隣の人に迷惑をかけない。…駐車場所に気を使うとかは当たり前ですが、「心スポ」として名の出
ていない場所は、原則匿住所でやっております。
その4.必ず畏怖・畏敬の念を持って望む。…基本です。

2.UFO〜宇宙人は地球に来訪しているのか

ミステルあたりに言わせると、今更何言ってるんだ、当然じゃないかと言われそうですが。
(この場合のUFOは、『地球を来訪している宇宙人の乗り物』としてのUFOとします。)
 ミステル世代の私が、UFOを嫌う訳がありません。子供の頃は、ミステルがぶっ放す「UFO特番」を食い入る様に観ていたものです。
 
では、UFOが存在するか?と言うと、合理的に考えると、やはり存在しない可能性が高いでしょう。
現に、有名UFO事件をちょっと詳しく調べてみると、そのことごとくはネタが暴かれてしまいます。
  
しかし、私も子供の頃に見てしまってますし(どっかに記事がありますが、卵を横に二つ並べた様な物体が飛ぶ
のを見ました)、それが何かの誤認と言う可能性も非常に高いのですが、心情的には全否定はしづらい。
ただ、一つ言えるのは、UFOが地球に来ているとしたら、それは観光以外に考えられないと言うのが持論です。
 
 
…そんな与太話は置いといて、単純に「空にUFOを見た」と言う目撃談は大好きですし、そんな話が当ブログにも
多数寄せられております。(今後もバンバンお寄せ下さい!!)目撃者の一人として、そう言う目撃談を頭から否定
する気持ちは更々ございません。むしろ、心待ちにしております。
 
だからと言って、やれプレアデスから来ただのシリウスから来ただの、地球人にメッセージを伝えに来ただの、導きに来ただのと、これまた妙ちきりんな事を言われると、ちょっと待てよと。
そんな、世間一般の常識的な判断力をお持ちの方々には「アホな事言うな」の一言で済まさせる話でも、そうで
はない人たちにとっては劇薬となってしまう場合も多々あります。日本ではあまり馴染みはないが確実に「信者」が存在する、いわゆる「UFOカルト」の問題につながっていくのです。そんなのを放っておくと、彗星の後ろに隠れているUFOに乗せて貰うとか何とか言って、集団自殺を遂げちゃったりしかねない。日本では、そこまでいか
なくても、UFO黎明期に「りんご送れ C」なんて事件が起こったりしております。
ともあれ、UFOネタってのは、意外にアブナイのです。頭から信じ込むと…。
 
ですから、私としては、UFOネタを懐疑的に検証しつつも「観光UFO」の証拠を掴むべく、努力を惜しまない所存
でございます。何しろ、UFOが大好きなので。ベントラベントラスペースピープル…。
  

3.超能力・大予言・滅亡論

 これらについては、ノストラダムスの五島さんやユリさんに散々担がれたので、あんまり信じていません。
メジャー処は、売らんかなの商業主義に走るあまりに、オカルトネタとしての魅力を失っております。
はっきり言ってつまらない。全然面白くありません。
 
(ユリさんって、いつまでたっても手品の腕があがりませんねぇ…。マリックさんからネタをパクる訳だわ。)
 
大予言で言うと、あの人(訴状未だ届かず)を始めとする、他人の国だと思って気軽に大地震だ何だと言い放っ
ては外しまくる外人似非予言者連中には虫酸が走ります。(日本人にもそんな予言者が大勢いますが。)
地震の被災者は日本にも大勢いらっしゃるし、日本に住む以上はいつ何時自分がそうなってもおかしくない。
予言者の方々にはもう少々のデリカシーと的中率を期待したいところです。
 
2012ネタを始めとする最近の滅亡論も、あんなのが論と言って良いなら、何だってアリだと思います。でも、201
2年12月まであと1年ちょっと。今から楽しみではあります。
 
このネタで散々儲けた連中が、どう言い訳するのか。
 

4.オーパーツ

ネタとしては好きです。見た感じをそのまんま主張するのが、良い感じです。
特に私が好きなのは、古代エジプトのグライダー。良いですねぇ。味があります。
 
オーパーツネタは、最初っから妙ちきりんな話を繰り出してくる事が多いのが、潔くて好きです。
リングにかけろ的に言うと、ファーストブローがギャラクティカ・マグナムみたいな。
ほれ、こんなモンが古代の遺跡から出てきたぞ!!と。
そして、主張者はどいつもこいつも あまり深く考えてない所が良い味を出してます。
大抵の場合、その後のフォローも一切無しだし。
 
つまり、すぐにネタばれして、ツッコミどころが満載なので好きです。
 
しかも、中には本当に世紀の大発見があるかもしれないと、そこはかとなく思わせる雰囲気も好きです。
(実際にそう言うのも混じってますし)
 

5.都市伝説

 昔、松谷みよ子さんの『現代民話考』を全巻読むほどにハマりました。都市伝説って、民話なんだなぁと。
 
最近、某芸人さんが「信じるか信じないかはあなたの自由です」みたいな本を出されてますが、そう言うなら、同
時に懐疑的な説もきちんと載せて欲しいと思ったりします。両方読んだ上で判断して貰う方がユーザーフレンドリ
ーなのではないかと。ビリーバチックな話だけ出しておいて、「信じるか」もくそもない様な気がします。
 
とは言え、たまに面白い話に出くわすので、油断できないジャンルではあります。
 

6.オカルト現象を科学する

当ブログにも「心霊現象を科学する」なんて書庫がありますが。科学者でもない私がこんな書庫を作る事自体お
こがましいのは重々承知です。しかも、野暮っちゃ野暮だし。
 
しかし、意識しようとしまいと、我々一般庶民もオカルトネタには日常的に接しております。幽霊、UFOもそうです
が、気だの、スピリチュアルだの、マイナスイオンだの、何とか水だの、血液型だの。
 
そんな一庶民が、科学者の主張も取り入れて、バランス感覚を持ってオカルトネタに接する事は大事なので
はないかと思ったりもします。そうする事によって、単に無批判に信じ込む事無く、単に頭から否定する事無く、
真にオカルトネタを楽しめるのではないかと、そんな風に思っています。
 

 
そんなこんなで、これからもぼちぼちやっていきたいと思っておりますので、宜しくお願い申し上げます。
 
TO
 
 
 
 
ここの所、「心スポ」記事が多いです。
 
季節が良いので、お散歩がてらに「心スポ」を廻るのにハマっているのです。
 
全く、妙な趣味です。
 


 
さて、鎌倉の「心霊スポット」として有名なものの一つに「泣塔」がございます。
 
刻まれた銘から、文和5(1356)年に建てられたとされる、宝篋印塔(墓塔・供養塔などに使われる仏塔)です。
 
鎌倉市指定有形文化財に指定されている史跡です。
 
由緒は不明ですが、この地は新田義貞の鎌倉攻めの際、最初の激戦地となった州崎古戦場である事から、
 
戦死者の慰霊碑であると言う説があります。また、州崎の戦いに敗れて配下90名と共に自刃した鎌倉幕府第16
 
代にして最後の執権・北条(赤橋)守時の供養塔とも言われています。
 
別名「陣出の泣き塔」とも呼ばれ、鎌倉七不思議の一つにも数えられております。
 
泣塔にまつわる怪奇現象は古くから様々伝えられております。
 
 
昔、この石塔を近くの寺に移した折、石塔が住職の夢枕に立って元の場所に戻してくれと泣いて頼んだ。
 
(石塔が夜な夜なすすり泣いた…とも。)
 
それからこの石塔は「泣塔」と呼ばれる様になったとされています。
 
また、泣塔のある土地を買ったものは必ず没落した為、土地の買い手がつかなくなった…とか、やはり夜な夜な
 
男女のすすり泣く声がする…塔を動かそうとすると必ず怪我人や死者がでる…などとも云われています。
 
戦時中の昭和17(1942)年、海軍がこの地に工場造営を開始したのですが、泣塔を動かそうとした者が次々と不
 
審死し、工事現場では度々怪奇現象が起こったそうです。祟りを恐れた地元住民の要望もあり、泣塔周辺は造
 
営区域から外されたと言う事実もあります。
 
その後も幽霊が出る、祟りに遭うなどの噂が流布し、周辺の開発が遅れるほどの影響も出たそうです。
 
海軍さえも畏れさせ、開発をも阻む泣塔。なかなかパワフルな「心霊スポット」です。
 
今日は天気がよくありませんが、行ってきました。
 


 
泣塔は鎌倉の梶原にあります。湘南モノレールの湘南深沢駅から歩いて10分もかからないでしょう。 【地図】
 
以前はJR大船工場の敷地内で、拝観にはJR東日本の許可を取らなければいけなかったのですが、2006年に
 
工場が閉鎖され、泣塔周辺は鎌倉市が買収しています。
 
 
さて、そぼ降る冷たい雨の中、現地に到着した取材班。
イメージ 1
現地は、広大な工場跡地が多目的公園となっていまし
た。右手奥のこんもりとした森に泣塔があります。
 
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泣塔の森はそこだけ時間が止まったかの様に、周囲の景色から切り離されております。確かに、手を触れるのを畏れられてきた事が判ります。
 
恐る恐るアプローチを開始する取材班。
 
 
 
 
 
 
 
 
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泣塔周辺は、ぐるりと一周フェンスで囲われておりました。唯一の通用口には南京錠がぶら下がっています。
 
入れません
 
「確か、今では誰でも入れるってどっかのサイトに書いてあったのに…。」予想外の展開に戸惑う取材班。
勝手に入れない様にするとは、よっぽどヤバイ場所なのか!?
 
 
仕方ないので、フェンス越しに取材を試みます。
 
木々の間から、見えました!! 泣塔が!!
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―間近でないので、いまひとつ迫力に欠けますが…。
 
そう言えば、鎌倉の友人によると、子供の頃に地元では「泣塔を見ると、1週間以内に幽霊が出る」と言われてい
 
て、心底ビビッていたそうです。とすると、私のところにも近いうちに幽霊がやって来るのでしょうか???
 
怖い様な、楽しみの様な…。
 
イメージ 12
泣塔の背後にやぐら(洞窟式のお墓)が見えます。このやぐらに反響する風の音がすすり泣きに聞こえるのでは
 
ないか…との合理的仮説もありますが、そんな事はどうでもよくなる空気が漂っております。昼間でも、結構コワ
 
イ…。入れなかった事を半ば感謝するヘタレ取材班。
 
イメージ 13
雨降る肌寒さと、だだっ広い広場で独りで泣塔と向かい合うストレスに負け、塔に向かって手を合わせた後に
 
そそくさと現地を立ち去る取材班でした。
 
イメージ 8
 


 
さて、車に戻って人心地ついた取材班は、ついでに、泣塔が移されて夜泣きした(赤ん坊みたいに言うなって)と
 
されるお寺に向かう事にしました。手広の交差点から西鎌倉に向かった右側にある青蓮寺と言うお寺さんです。
 
 
イメージ 14
正式には、飯盛山仁王院青蓮寺と号する真言宗のお
寺です。
 
弘仁10(819)年に、 弘法大師が東国を巡暦した際、鎌倉に滞在して17日間の護摩の秘法を修された時、美しい天女があらわれ護摩の助法や斎食の給仕をしたと。
お陰で大師は無事修法を終える事ができ、その事を聞かれた天女は一粒の仏舎利を大師に奉り、その姿は忽ちのうちに見えなくなり、翌朝眼を覚ますと、側の池には青色の美しい蓮華が咲きほこっていた。
 
この開山の縁起から青蓮寺の名がとられたそうです。
 
イメージ 4
(←)境内の池。伝説の青い蓮にちなんでか、青いのぼりが立っていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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(←)青い不動明王。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こちらのご本尊は鎌倉時代作の木造弘法大師坐像(国重要文化財)。この木像は両膝等の関節が鎖によって
 
結ばれ、動かすことのできる珍しい仏像で「鎖大師」と呼ばれています。秘仏で、年5回の開帳の時しか拝観はで
 
きません。ちなみに「青蓮寺の鎖大師」は、泣塔と共に鎌倉七不思議に並んでおります。
 
イメージ 15
 
今となっては、境内の何処に泣塔が置かれたのかは判りませんが、耳を澄ませば、泣塔のすすり泣きが聞こえ
 
てくる様な気がしました。
 
イメージ 3


 
おまけ。北条守時について。
イメージ 7(←)泣塔近くに建つ「州崎古戦場跡の碑」
 
元弘3(1333)年5月15 日〜16日に分倍河原で幕府軍を破った新田義貞の軍勢は、鎌倉目指してまっしぐらに進軍して来ました。北条守時は執権自ら6万余騎の大軍を率いて、巨福路坂から州崎で防衛ラインを構築します。州崎の戦いは熾烈を極め、日に65度も切り結ぶと言う凄まじさ。守時の軍勢は討たれ、逃げ出し、最期には僅か三百騎しか残っていませんでした。5月18日、矢折れ刀尽きた守時は、作法通り見事に腹を十字にかっさばいて、戦場の露と消えました。高時らが東勝寺で自刃し、鎌倉幕府が滅亡する4日前の事でした。
 
常識的に考えれば、執権たる者、不利となれば一時退却して軍を立て直すのが普通の様に思えるのですが、何故守時は州崎を死に場所に選んだのか。実は守時は、執権とは言え北条得宗家の血筋ではなく、実権は得宗の高時らが握っておりました。鎌倉を滅ぼした足利高氏(尊氏)は妹婿にあたり、高氏が幕府に反旗を翻して京都の六波羅探題を攻めた時には高時から謹慎を申し付けられています。
 
「太平記」では、高氏と通じているのではないかと嫌疑をかけられた守時が、それを振り払うために死を覚悟の上で州崎に出陣したとされています。守時の心中を察した義貞は、その振る舞いに涙しつつ、守時と戦ったそうです。守時は、鎌倉武士としての誇りを守る為に、この地で死んでいったのです…。
 


 
さて帰ってきてから、鎌倉市役所に問い合わせた所、泣塔を拝観する時は文化財課に申し出るとフェンス通用口
 
の鍵を貸して下さるとの事でした。(最初に調べておけば良かったです…。)
 
今度は鍵を借りて、泣塔に迫ってみたいと思います!!
 


イメージ 6
(←)だんだん鎌倉巡りから抜け出せなくなってきました。
 
先々週だったか、取材に行ったきり記事にするのを忘れていました。
 
以前、記事にした場所の実地検分です。この場所の曰くは【前の記事】をご参照下さい。
 

 
さて、現地を訪れたのは11月4日の頭だったでしょうか。
 
朝に家を出る時は細かい霧雨がそぼ降り、これはなかなか趣のある取材になりそうだと思ったら、現地に着く
 
頃には一天にわかに晴れ上がり、絶好の行楽日和となってしまいました。いや、なって全然いいのですが。
 
 
現地は、京急の戸部駅から歩いて10分くらいでしょうか。西区役所の近くの、何の変哲もない坂道です。
 
この先が「暗闇坂」です。ランドマークタワーが見えてます。都会的な「心霊スポット」です。
イメージ 1
 
明るい陽光の満ちる坂道をテクテク歩いていくと…
 
イメージ 10
(←)くらやみ坂の石標がありました。
 
その背後には、小さな祠が2つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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暗闇坂一帯が明治32(1899)年まで監獄及び刑場だった事は前に記事で書いた通りです。
 
由来が書かれた看板一つ立っていないこの祠は、やはり刑死者の霊を祀るものなのか。だとしたら、これは御霊
 
信仰による祟り封じではないのか?等と勝手に思ったりするのですが、記録が全くないのでその辺のところは良
 
く判りません。祠には真新しい花が供えられていて、周りも綺麗に掃除されており、今だ大事にお参りされている
 
事を伺わせます。
 
かすかに、刑場の跡を感じさせるのはこの祠だけ。戸部刑場には「南無妙法蓮華経」と彫られた慰霊碑が建って
 
いたそうですが、今はその姿はありません。
 
 
時計を見ると昼休みの頃です。隣接する西中学校からは生徒達の若々しい騒ぎ声が閑静な住宅街に響いてお
 
ります。「心霊スポット」的な雰囲気は微塵もありません。ここなら私でも深夜に来れます。生首が飛ぶの飛ばな
 
いのと噂もある様ですが、それはやはり「元刑場」との土地の曰くから発生した御伽噺ではないでしょうか。
 
イメージ 12
 
ちなみに、前の記事で西中学校は刑場の跡地だと書きました。大概の資料にもそう書いてあるのですが、その
 
後の調査の結果、それはどうやら間違っていたみたいです。
 
『ものがたり西区の今昔』(西区の今昔編集委員会編・西区観光協会1973年)にはこんな証言が出ていました。
 
西中に刑場があったというのば誤りです。坂の右側には牢や刑場はありません。 きれいな山でした。あの
 
山は私たちの山でした。刑場は一番高い三角地の所にありました。当時もここだけはのぞくことができませんで
 
した…」(海老塚氏夫妻談)
 
 
色々調べて現地に行った結果、刑場が何処にあったのかはほぼ特定できましたが、書くのは止めておきます。
 
そんな事を今更はっきりさせても、得をする人は一人もいませんし。
 

 
さて、これでおしまいでもつまらないので、暗闇坂に因縁のあるもうひとつの場所に足を向けます。
 
 
暗闇坂からすぐ近くの法亀山願成寺です。真言宗のお寺です。開山は天文7(1538)年だそうですが、由来は
 
もっともっと古い。天平年間(729〜749年)、この地を通った行基(また出ました)が喉の渇きに水を探していると、
 
渓谷から亀が這い出て来たのでそこを掘ってみたら清水が沸き出たと。そこで、行基はこの地を法亀山と名づけ
 
て草庵を結んだのが始まりだそうです(願成寺の案内板より)。
 
イメージ 13
 
願成寺には、戸部刑場で処刑された3人の咎人の墓があります。せっかくですから、お参りさせて頂きましょう。
 
イメージ 14
 
静謐な境内に、お寺の幼稚園から、明るいちびっ子のはしゃぎ声が響いておりました。
 
丁度お迎えの時間だったらしく、境内を抜けるお母さん達から「こんにちは〜」と何度も挨拶を頂きました。
 
 
(↓)延命の井戸。ここが、行基が掘ったら泉が沸いたところだそうです。
イメージ 15
一口飲めば、たぶん2〜3年は寿命が延びたでしょうが、そう長生きをしたいとも思ってない私は、あえて口にし
 
ませんでした。
 
 
墓所に入って案内板の通りに行くと、ございました。
イメージ 16
 
戸部刑場で処刑された、左から鳶の小亀、間宮一、清水清治の墓です。
 
この人たちが、何故に戸部刑場の露に消えたかと言うと、こう言う事件(↓)を起こしたからです。
 
イメージ 3
これは、「鎌倉事件」と言われる、攘夷事件です。
 
イメージ 2
 
小亀が市中を処刑を前に市中を引き回された日には、横浜中の芸者や鳶職が総出で繰り出し、木遺音頭を唄
 
い、冥土への花道を飾ったといわれております。外国人の横暴に腹を据えかねながらも手を挙げる事の出来な
 
い横浜の庶民の目には、小亀の行為が英雄的に映ったのでしょう。

 
そんな小亀は兎も角、清水と間宮は今風に言うと只のテロリストじゃん。
 
―との印象を持たれる方も多いかとは存じますが、実は鎌倉事件には、少々の裏があります。
 
 
鎌倉事件とはこんな事件でした。
 
その日、長谷の大仏を見物した帰りの英国士官ボールドウインとバードが若宮大路のあたりで2人の浪人風に切
 
り殺されました。幕府は英国公使オールコックの圧力によって迅速な対応をとらざるを得ず、事件の1週間後に
 
共犯者と思しき2名を捕縛しすぐに処刑。主犯格とされた清水も逮捕し、市中引き回しの上、戸部刑場で英国側
 
の立会いのもとに斬首しました。清水の生首は3日間にわたって吉田橋に晒されたそうです。
 
 
ところが翌年、間宮が真犯人として名乗り出てきたからさあ大変。幕府は今更そんな事言われても…と頭を抱え
 
ながら、それでも自首してきた男を追い返す訳にも行かずにやむを得ず逮捕しました。間宮は共に英国人を討っ
 
男の名前も出しますが、処刑してしまった清水らの冤罪を認める事も出来ない幕府は、間宮も極秘裏に処刑
 
してしまいました。全くもって酷い話です。
 

 
そんなこんなの過去を見下ろす様に、お寺の杉がそそり立ち…。
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そしてそれをさらに見下ろすかの如く、ランドマークタワーがその向こうにそそり立っておりました。
 
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横浜の新旧を一望した思いのTOでした…。
 

 
と、ここで終わりかと思いきや、そうではないのが今回のしつこい面白いところ。
 
願成寺を後にした取材班(相変らず一人)は、ぷらぷら散歩をきめこんで横浜駅に向かいました。
 
イメージ 8
 
平沼の廃駅でも見ていこうかな…と思ってたら、ひょんな所でひょんなモノに出会ってしまいました。
 
ジャジャーン!!
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何と、戸部刑場に建っていた慰霊碑(↑)に出会ってしまったのです。
 
イメージ 7
たまたま通りがかった久成寺と言うお寺さんの敷地内
 
に、戸部刑場の慰霊碑が移設されていたのです。
 
いやあ、心底ビックリしました。
 
こんなブログやってると、たまに不思議な思いをするも
 
のですが、今回も偶然とはいえ…。いやいや、もしかし
 
て、この石塔に呼ばれてしまったのでしょうか???
 
 
 

 
イメージ 9
(←)眠いので寝ます…。
 
 
 

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