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ああ、やっと終わります…。
まとめ今や、中国ではカトリック信徒の数が共産党員の数を大幅に超え、党も相当な警戒心を抱いている様です。
バチカンは表向きは「内政不干渉」の立場をとっておりますが、国際政治の舞台ですから、表もあれば裏もあ
る。自由主義諸国の対中国戦略の一環をバチカンが担っているのは間違いないところですが、その辺は当ブロ
グの趣旨ではないので割愛します。
2005年5月13日、ファティマでバチカン国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が声明を出しました。
「1989年に相次いで起きた事件【TO注:ソ連・東欧諸国の民主化運動を指す】ソヴィエト連邦においても東欧
諸国においても、無神論を標榜していた共産主義体制の崩壊をもたらしました。このためにも教皇は、心の底か
ら聖なるおとめマリアに感謝しておられます。しかし、世界のほかの地域における、苦しみの重荷を背負う教会
とキリスト者にたいする攻撃は、残念ながらまだ終わっていません。ファティマの『秘密』の第三部にかかわると
思われるいろいろな出来事は、もはや過去のことに思えるにしても、聖母マリアから20世紀の初めに呼びかけれ
た回心と償いへの招きは、今日もなお時代性と緊急性を残しています…」
前回の記事をお読みになって、「第一・第二の秘密」と「第三の秘密」の大きな違いにお気づきになった方も多い
のではないでしょうか。そう、「第一・第二の秘密」は聖母マリアが言葉で告げたのに対して、「第三の秘密」は
「バチカン崩壊」の抽象的なイメージをルチアに見せただけ。色々な解釈の余地が十分に残されているのです。
これは何故かと言うと、「第三の秘密」はまだ成就していないからだと思います。共産主義は未だ存在してお
りますから、バチカンはまだまだとうぶん「ファティマの秘密」を完結させる訳にはいかないのです。
「世界のほかの地域」に、中国が思いっきり入っている事は言うまでもありません。バチカンの戦いはまだまだ続
くのです。
1917年に、ポルトガルの寒村で起こったとされる奇跡。
ルチアが出会ったのは本当に聖母マリアだったのか?それとも彼女の幻覚に過ぎなかったのか?
聖母出現が本当だったとしても、預言された内容は本当に公表された通りだったのか?
それは誰にもわかりません。
全てを知る唯一の存在、ルチア・ドス・サントスは、2005年2月13日、心不全で死去。97歳でした。
後を追う様に同年4月2日、教皇ヨハネ・パウロ2世が死去。
合掌…じゃなかった、アーメン。
このネタを調べていて、私に判った事実は只一つだけです。
それは、「ファティマの秘密」は共産主義の勃興と共に生まれ、以後バチカンによって、それぞれ絶妙な
タイミングで世に示され、反共産主義のツールとして使われてきたと言う事。
―あ、あともう一つ。UFOとかじゃぁないって事。
(おわり)
(参考)沢山あってめんどくさいので、今度入れます。
(←)このネタにはもっともっとオカルト探求心を刺激する要素(例えばフランシスコの遺体を移動するために掘り起こしたら、顔が腐ってなかった…とか)があるのですが、その辺はまた別の機会に…。
特別付録!! 「ファティマ関連年表」1914年7月28日 第一次大戦開戦。
1917年2月23日 ロシア2月革命。ロマノフ王朝崩壊。
1917年5月13日 ファティマでの第一回目の聖母マリア出現。
1917年7月13日 聖母マリアが「三つの預言(ファティマの秘密)」をルチアに伝える。
1917年10月13日 6回目にして最後の聖母出現。「天空の奇跡」が示される。
1917年10月25日(旧暦) ロシア10月革命。
1918年11月11日 第一次大戦終結。
1919年 コーバ・ダ・イリヤに礼拝堂が建てられる。
1919年4月4日 フランシスコ病没(享年11歳)。
1920年2月20日 ヤシンタ病没(享年7歳)。
1922年12月30日 ソビエト社会主義共和国連邦樹立。
1930年10月13日 ファティマの聖母出現をバチカンが奇跡として認定。
1938年1月25日〜26日 西ヨーロッパ一帯に夜空を真っ赤に覆う様なオーロラが出現。
1939年9月1日 ドイツのポーランド侵攻により第二次大戦勃発。
1941年8月31日 ルチアが第一・第二の秘密の内容をしるした「第三の回想録」を教皇に送る。
1942年 バチカンが「ファティマ第一・第二の秘密」を公表。
1943年 ルチアが「第三の秘密」を教皇に送ったとの説あり。(異説あり。以下参照)
1945年8月15日 第二次大戦終結。
1946年5月13日 教皇ピオ12世がファティマを訪れ聖母像に「平和と世界の元后」との王冠を贈る。
1940年代後半 チェコスロバキア・ハンガリー・ブルガリア・ポーランド・ユーゴスラビア・ルーマニア・東ド
イツ等、次々と共産主義国家が成立。
1950年6月25日 朝鮮戦争開戦。
1951年11月18日 バチカンの新聞に「太陽の奇跡」の写真が掲載される。
1956-1957年 第三の秘密が教皇ピオ12世に渡ったとされる説あり。
1960年12月 ベトナム戦争開戦。 1962年10月15日-28日 キューバ危機。冷戦の緊張が核戦争寸前にまで高まる。
1960年代半ば 教皇パウロ6世が「第三の秘密」を開封するも、失神?して再度封印したとされる。
1969年-1979年 デタント(緊張緩和)の時代。
1979年 ソ連がアフガン侵攻を開始。東西は再度緊張し、新冷戦の時代が始まる。
1980年 西側諸国がモスクワオリンピックをボイコット。
1981年5月2日 「第三の秘密」の公開を要求したハイジャック事件発生。
1981年5月13日 教皇ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件発生。
1984年 東側諸国がロサンゼルスオリンピックをボイコット。
1985年 ソ連でペレストロイカが始まる。
1988年 ソ連軍がアフガンから撤退。ソ連の世界に対する影響力の低下が顕在化する。
1989年11月9日 ベルリンの壁崩壊。
1989年12月 ブッシュ(パパ)、ゴルバチョフによるマルタ会談で、冷戦の終結が宣言される。
1989年-1990年 東ドイツ・ハンガリー・ポーランド・チェコスロバキアなどソ連の衛星国が民主化。
1991年12月26日 ソビエト最高会議が連邦解体を宣言。ソ連崩壊。
1994年1月3日 「第三の秘密」の内容をルチアが書き記したとの説あり。
2000年5月13日 バチカンによって、フランシスコとヤシンタが列福(聖人に次ぐ福者の地位に上げられ
る事)される。その後のミサにおいて、「ファティマ第三の秘密」を公表。
2000年6月28日 バチカンは、イタリア国営放送にて正式に「ファティマ第三の秘密」の内容を発表。
2005年2月13日 全ての発端であり、全てを知る唯一の証人であるルチア死去。
2005年4月2日 教皇ヨハネ・パウロ2世死去。
2005年5月13日 ファティマにて バチカン国務省長官アンジェロ・ソダーノ枢機卿が声明。
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