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不滅の大投手と呼ばれる男がいた。
1934年11月20日 日米戦に出場。弱冠17歳にして、メジャーリーグ選抜軍を1点に抑える。剛速球と「三段落ち」
と呼ばれたドロップ(現在で言う縦のカーブ)を武器に、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらアメリカ黄金打線か
ら9個の三振を奪う。この時、ルー・ゲーリックは、この投手のストレートは打てないと判断。変化球に狙いを絞
り、唯一の得点をホームランで奪った。試合後、ルースは「彼をメジャーに連れて帰りたい」とコメントした。
1936年 日本でプロ野球リーグが始まる。巨人軍に入団した彼は、プロ野球史上初のノーヒット・ノーランを達
成。以降、合計3回のノーヒット・ノーランを達成する。
1937年春 24勝をあげてプロ野球初のMVPに選出される。
太平洋戦争開戦後、徴兵され、中国へ。戦地では、野球のボールの3倍もの重さのある手榴弾を80m近く投げ
たと伝えられている。戦地で負傷し、マラリアに感染したため、復帰後は剛速球は影を潜める。しかし、抜群のコ
ントロールでノーヒット・ノーランを達成。
再び召集を受け、無事帰還するが、戦地での酷使により、彼の肩は既に崩壊寸前だった。
生命線のコントロールも失い、現役を引退した。
そして、3度目の召集から、彼が帰国する事はなかった。
フィリピンに向かう輸送船と共に、東シナ海に散ったのである。
彼の名は、沢村栄治。
『沢村、左足を思い切りあげて、第一球のモーション。靴底のスパイクが見えるほど、高々とあげました』
(沢村栄治公式戦初登板時のラジオ実況の名アナウンス。NHK志村正順アナウンサー。)
通算成績63勝22敗 防御率1.74
MVP…1回 最多勝…2回 最優秀防御率…1回 最高勝率…1回 最多奪三振…2回
105試合・765回1/3を投げ、被本塁打僅かに8本 奪三振554個 勝率.741
実働僅か5年間での、彼の記録である。
その背番号『14』はプロ野球初の永久欠番に指定された。
戦後、残された映像の解析によると、彼のストレートの球速は159.4㌔とも160.4㌔とも云われる。
口癖は「わしは、まっつぐ(ストレート)が好きや」。
沢村栄治。戦火に散った、不世出の投手。
「戦争は、あなたを失くしたことだけでも罪悪である」との言葉を、サトウハチローは彼に贈った。
沢村の終世のライバルと言われ、上半身が捻り切れんばかりのフル・スイングで沢村を打った、阪神の景浦将
はフィリピン・カラングラン島で戦死。一説では、餓死したとも云われる。
名古屋(現中日)のエース・石丸進一は、応召後、神風特攻隊に志願。最後のキャッチボールをした後、笑顔で
グラブを放り投げ、特攻出撃。未帰還。
現在判明しているだけでも、プロ野球創成期に輝いた綺羅星たち、67人のプロ野球選手が戦死している。
彼らの望みは「生きて帰りたい。生きて家族に会いたい。生きて野球がしたい」
それだけだったのではないだろうか。
皆、天国で、存分に野球をプレーしている事を祈るばかりである。
今日、2010年8月15日は、65回目の終戦の日です。
首位攻防だなんだと騒いでいられるのも、平和だからこそ。
今日1日くらいは、歴史の重みを感じながら、プロ野球を観戦したいと思います。
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