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アビ氏から聞いた話です(久々の登場ですな)。
昔アビ氏が勤めていたカーディーラーのすぐ脇にあるビルから飛び降り自殺があり、アビ氏がその現場を目撃し
た…と言うお話は以前どこかで書いた様な気がしますが、そのディーラーでのお話。
アビ氏の先輩がお得意様と飲む事になり、閉店時間にそのお客さんが店に来たそうです。
お客さんは店じまいが終わるまで外で待っていたのですが、支度を終えた先輩が「お待たせしました〜。じゃあ、
行きましょうか」と声をかけると、何だか不安そうな顔をして立っている。怪訝に思った先輩が「どうしたんです
か?」と聞くと、お客さんは「いや、何だか、そこ、凄く寂しい感じがしてさぁ…」と歩道を指差しました。
そこは、先日飛び降り自殺した人が地面に落下した、ピンポイントでその地点だったそうです。
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2011年01月26日
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いつも飲ませて頂いている行きつけの立ち飲み屋さん。
ブログ掲載のお許しを得ましたので、宣伝がてらご紹介させて頂きます。
その名も「安兵衛」!!ビール、おつまみオール300円!!デフレ加速中の居酒屋業界としてはとりたてて驚くほどの
安値ではないですが、横浜駅西口と言う立地からすれば十分安い。
値段より何より私はここの雰囲気がとても気に入っております。おでんも美味しいです。
2000円もあれば、べろべろに酔っ払えます。
お昼はおそば屋さんになります。メガカレーが名物です。とてつもなくデカイです。
横浜で軽く飲みたい時、是非行ってみてください。
時々、浴びるほどビールを飲んでいる腹の出たオヤジが見かけられますが、それは私です。
いつも賑やか。旅行中の外人客も良くみかけます。この間はオーストラリアから来た母娘と一緒に飲みました。
ロンリープラネットにでも載っているのでしょうか?
【行き方】横浜駅西口モアーズとエクセルホテルの間の道を進み、首都高の下の橋を渡って最初の角です。
まあまあ、一杯行きましょう!!
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先週に行ったのですが、書ききれなくて1週間後回しになってしまいました。
藤沢市の片瀬、江ノ島の入り口に程近い所に鎌倉時代から室町時代にかけての刑場跡があります。
それがここ、龍口(龍ノ口)です。
鎌倉時代後期から史書に名前が出てくる刑場ですが、鎌倉初期からこの辺りで首実検が行われていた様です。
義経の首も腰越の浜で首実検されたそうですから、もしかしたらこの場所で検分されたのかもしれません。
腰越状を書いた満福寺のすぐそばで首実検される事になるとは、義経は夢にも思わなかったでしょうが…。
ちなみに、龍口の名前の由来はこの地に残る五頭龍伝説から来ているそうです。
むかし、悪事を働いていた五頭龍が江ノ島の弁天様に惚れ、改心してこの地の守護神になったとされるところか
らこの地名となったとか。
(↓)移転して廃社となった龍口明神社跡に残る龍の彫刻。
文永の役後に来日した元からの使者・杜世忠らは、日本の国情を探るスパイの性格が強いとみなされ、北条時
宗の命によりここで斬首されました。怒ったフビライは再度日本を襲いますが(弘安の役)、前回に懲りてしっか
りと固められていた日本軍の防衛体制と暴風雨によってワヤワヤになって撤退する羽目となったのはご存知の
通り。
(↓)杜世忠らの処刑。
杜世忠の辞世の句
「出門妻子贈寒衣 問我西行幾日帰 来時儻佩黄金印
莫見蘇秦不下機」
(訳)家を出る時、妻子は寒さを凌ぐ衣服を自分に贈っ てくれ、西行(日本)からいつ帰って来るのか、出世な
ど考えずに無事に帰って欲しいと言っていたのに
来るんじゃなかった感が溢れております(涙)。
また、中先代の乱の後に捕えられ、鎌倉に連行された北条時行もここ龍口刑場で処刑されました。
時行は北条得宗家の血を継ぐ者(「腹切りやぐらで有名な北条高時の息子)です。鎌倉幕府が滅んだ後は信濃
の諏訪氏の下におりました。
建武2(1335)年、まだ10歳の時行は諏訪氏始め反建武派の武士に擁立されて挙兵します。目指すは鎌倉幕府
の再興。鎌倉に攻め上る中で建武の新政に反発する武士が続々集まり、足利軍を次々と撃破し、遂には鎌倉を
奪還します。
しかし程なく京から尊氏率いる軍勢が駆けつけてきます。時行軍は遠江国橋本、小夜の中山(静岡県東部)、箱
根、相模川と立て続けに突破され、鎌倉の入り口片瀬川も抜かれてしまった所で時行は鎌倉から落ち延びま
す。時行が鎌倉を支配したのは僅か20日余りでした。これが世に言う「中先代の乱」です。
鎌倉に入った尊氏は後醍醐天皇からの帰京命令を無視し、対決姿勢を鮮明にします。その後、紆余曲折の末に
室町幕府を起こす事になる、そのきっかけになる事件でした。
南北朝の時代になると、時行は南朝側について足利勢と戦います。しかし、武蔵国で戦いに敗れて捕えられ、
そして龍口刑場の露と消え、ここに北条得宗家の血は途絶えたのでした…。
さて、龍口刑場で有名なのは、日蓮の「龍ノ口法難」でしょうか。
文永8(1271)年は大干ばつに見舞われ、鎌倉幕府は律宗の僧極楽寺良観房忍性に雨乞いを依頼しました。
日蓮は、「7日間で雨が降ったならば、私は貴方の弟子になろう。もし降らす事が出来なければ、すぐに法華経
に帰依しなさい」と書状を送ります。良観は雨乞いの祈祷をしますが、雨は降らず。
次いで日蓮が田辺ヶ池の龍神に祈るとたちまちに雨が降ったと伝えられています。
悔しがった良観は、日蓮を陥れる訴状を幕府に提出し、これに応じた幕府は日蓮を捕らえました。
日蓮は、鎌倉の町中を引き回しの上、龍ノ口の刑場に連行されます。
夜も更け、日付も変わった丑の刻(午前2時頃)、幕府の役人がまさに日蓮聖人の首を切らんと刀を振り上げる
と、江ノ島の方角から月のように輝く鞠のようなものが飛来したのです。これに驚いた幕府の役人は処刑が出来
なくなり、執権北条時宗の下知を得ようと使いを出します。ところがその頃幕府上空でも異変が発生していまし
た。大きな星が降り、地面が振動し、雷が光り、「日蓮を失えば子孫は滅び国土が滅ぶ」と声がする。驚愕した時
宗側からも処刑中止の使者が出され、両者は七里が浜に流れる川の所で行き合った…。そしてそこが行合川と
呼ばれるようになったそうです。こうした大騒ぎの後に処刑は中止され、日蓮は佐渡への配流となりました。
(念のためですが、上記の伝承はかなり日蓮寄りのものです。)
(←)日蓮の龍ノ口法難図。
どうでもいいですが、現れた光はエンケ彗星ではないかという説があります。エンケ彗星とは周期3.3年で太陽を公転する最も周期の短い彗星として知られております。
以下は『星の古記録』(斉藤国治著・岩波新書)より。 「…このときおひつじ・おうし座流星群の一流星が出現したのだと解釈されている。この流星群は太陽暦で十月下旬ごろ活動し、しばしば明るい流星を出現させることで知られている。その母彗星は有名なエンケ彗星で、この彗星がその軌道上にそって落とした一小片が偶然にも日蓮のいのちを救ったといえよう…」 また、日蓮を救ったのはこの様な奇跡ではなく、比企の乱で滅ぼされた比企能員の遺児である能本だとも言われております。以前の記事でも書いた様に能本は妙本寺を建てた人物として知られておりますが、20歳も年下の日蓮とも親しくしており、信奉者でもあったそうです。能本が手を回して北条時宗を説得し、日蓮の処刑を中止させたとの説もあるのです。
(『鎌倉の刑場龍の口』津田義英著/敬文堂より)
現在、龍口刑場跡には、寂光山龍口寺と言う日蓮宗のお寺が建っております。
日蓮の弟子・日法が龍口刑場跡を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立したのが龍口寺の始まりと伝
わっています。
本堂の右手には神奈川県内で唯一の木造五重塔が控えておりますが、この塔はそう古い時代のものではなく、
明治43年に建てられたとの事です。(竹中工務店が施工したとか。)
(↓)境内の仏舎利塔から見た江ノ島と相模湾。
現在の龍口は主要な道路が交わり、湘南モノレール駅も近く江ノ電も走る交通の要衝として賑わっております。
強烈な日蓮パワーに封じられているせいか、「処刑場跡」と言えどもおどろおどろしさの類とは無縁です。
オフシーズンは緩やかな時間が流れるいい所なので、湘南に行く時は是非寄って見て下さい…。
(↓)干物と江ノ電。
(↑)なんかこれを貼るのがめんどくさくなってきた…。
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「義経首洗井戸」に波乗り娘さんから頂いたコメント2011/1/22(土)
「白旗神社」と「首」であることを面い出しましたので、例によって長文ですいませんが聞いてください(^_^;)去年の冬のちょっと不思議な出来事です。
イベント事がないと行かない鎌倉の八幡様に週末の朝、きまぐれで散歩に行きました。で、銀杏を見て実朝さんの伝説に思いを馳せ…せっかく来たのだから東側も10年ぶりに行ってみるかと。実は東側…白旗神社のある方は、ちょっとした霊的(なのか!?)トラウマがあって以来近寄れず、自分の中では勝手に(八幡様の鬼門)なんて思ってました。でも、感性が鋭すぎた思春期と今の自分は違う、それに本当にそこは自分にとって怖いエリアなのか今一度検証してみたくなったのです。
ちっとも怖くなかった…てのが結論です。むしろこっちは人っ子一人いない状態で、賑わう表参道から静かな白旗神社の参道への¨動→静¨への変化が気に入ったくらいです。ちなみに、この神社に関するその時の私の知識はホントにお粗末で、確か頼朝がらみだっけ?でした。
それから友達がやってるカフェが開くまでまだ時間があったので、暇潰しにカフェのすぐ近くの¨寿福寺¨に寄ってみました…
…続きでーす。 普段めったに寺に行かないのだし、この機会に政子の墓とやらを探してみるべ〜てな感じで。坂を上がって政子と虚子と書いてある2つのやぐらを念入りにチェックし、何のためらいもなく供養塔に触れ、帰ろーと踵をかえした時、ふっと気になって振り返ると見落としたもう一つのやぐらが…誰のか確かめようと中に入ろうとしたが…身体が固まって入れなかったのです。やぐら馴れしている鎌倉人(?)の私でもこんな事は初めて!意味のない畏れを払拭するためと持ち前の探求心のため、再び足を踏み入れようとしたが、その一歩が踏み出せない。なんか上手く表現できないんだけど、凄い空気圧に押し返される感じ。このやぐらの中は自分が入ってはいけない異世界なのかも、自分の本能に従ってここは退散すべきだと思いました。
カフェのオーナーである友人にさっきのネタを話し、PCでやぐらの事を調べてもらったら、実朝の供養塔と判明しました。それから友人に、「面白いね〜銀杏→白旗神社→寿福寺と全て実朝つながりだね」て、この人教科書にあんま出てないしわからんし興味ないのに…でもここからもっと不思議な偶然が起こったのです―。
↑思いのほか長すぎてスミマセン、続きです(^_^;) そんなことがあってから数日後、夜中に目が覚め寝付けないのでケーブルテレビでFOXチャンネルを見ようと数字入力したら、なぜか時代劇がやってる。チャンネルを入力し直そうと思った瞬間、画面の中で男が階段で仁王立ちになり「実朝の首をとったぞー」と勝ち誇ってるシーンが…。番組表を調べたら「草萌える」という鎌倉幕府がテーマのドラマでした。 それから数日後の週末、友達の新居のある秦野市に数回目の訪問(近所にかの有名なヤビツ峠があります)。帰りは車で駅まで送ってもらうのですが何気なく車窓の外に目をやったら、案内板に「←源実朝の首塚」と書いてありました。2年前から何度かこの道通ってるのによりによって知るタイミングがすごくね!? て事でオチはないんですが、これだけ偶然が重なるのは不思議だったので…秦野市の実朝さんの首祭りにでも行ってみようかと思います(b^ー°) ちょっと遠いので、秦野の近くにお立ち寄りの機会があれば首塚に取材に行っていただけるとありがたいです。実朝さんのおかげで鎌倉の歴史に以前よりかは興味がもてましたし♪ 「人形の家」にかっちゃんさんから頂いたコメント2011/1/26(水)
うぁぁぁあああ〜〜〜。。。背筋ゾォ〜〜〜。。。( ̄Д ̄;)
そういえば、
昔、引越し先を探してて、とある借家を紹介され内見しました。 そこは何でも、スポーツ選手の持ち家だったとかで、こじんまりとしながらも そこそこの広さの家でした。あちこち内見中、2階の部屋に箱を見つけて、 中を見ると日本人形が・・・。。。なんか気味悪くてそこは断りましたが。。。 それからあまり日を空けずにワタシャ事故りましたよ。。( ̄◇ ̄;)。。
「北海道幕別町のUFO」 に波乗り娘 さんから頂いたコメント2011/2/19(土)
北海道出身の先生から聞いた話しですが―函館の実家(といっても町外れのすごい田舎)の裏が平原になっていて、夜になるとオレンジ色の光を放つ巨大なUFOが時々着陸してたそうです。数少ない地元の人達は、「軍機だかUFOだか知らないけど、恐くて近寄れないよね〜」て噂してたそう。てか何で警察に通報したりしなかったんでしょうね?先生たち、のどかすぎだよって ( ̄∀ ̄;) 続いて頂いたコメント
函館UFOの話しですが、恩師に詳しい場所を聞いてみますね(近所なので)
私の体験談ですが、2009年の1月1日、大型客船¨ヴァンテアン¨の初日の出クルーズのデッキで変なものを見ました↑この船は、限りなく三浦半島寄りに走るのですが、戻る途中、数百メートル沖ぐらい?の上空に、銀盤みたいなのが浮いてるのに気づきました。その平面的な丸は、微動だにせずUFOぽくないのでどういった現象なんでしょうか〜?友達と数分間見てたんですが、目を話した隙に消えてました。銀盤は、横浜辺りの陸に近い海上に浮いてましたよ〜何にせよ、ずいぶん離れたところからハッキリ見えたのが印象的でした!
それと、その前の年の2008年の元旦にも、江ノ島の上空で数10機の物体を見ましたよ(トンビではありません・笑)これは目撃者がけっこういます!でも少なくとも神奈川新聞には何にも書かれてなかった〜↓誰かしら書いてると思ってちょっと検索してみたんですが、或る一人のblogにしか書かれてなかったですね。去年・今年と、元旦は、東京湾も相模湾も行ってないのでわかりませんが、年の初めは空を見上げたら面白いものが見れるかも!?
続いて頂いたコメント
続報です!
先生の実家は、森町というところです。ただし、件の平原は今はないそうです…。先生のお年が70近くて、最後に実家に帰ったのが、20年前で、その時すでに平原じゃなくなってたそうなので。 因みに、先生の旦那様も同じく函館出身で、UFOなんて日常茶飯事に見てたそうです(@_@)でも、こっち(神奈川)に来てからは、誰もそんな話しを信じないのでいつしか話さなくなったそうです。 東京湾の銀盤の話しですが、表現が違ってました―銀盤というより白銀盤に近かったです(^_^)v 「甲府事件」の現場を歩く。 にtom*o*81004*6 さんから頂いたコメント2011/3/4(金)
報道があってから、そういえば訳の分からない物を私も見た、と家で両親に話したものの、そんな物がある訳無い、と一蹴されました。 時が過ぎそんな記憶も忘れ去っていた頃、甲府のソフトボールチームに所属していた私はナイターゲームをしていました。
スリーアウトを取りベンチに戻ると、(小学校のグランドを借りていました)何かビニール袋が校舎の上を風で舞い上がって飛んでる、と誰かが指差してました。
バットを振りかざすと、先ほどの”ビニール袋”が頭上近くに来ているではありませんか!輪郭のハッキリしたその物体はアダムスキー型と呼ばれるUFOと思われ、私がUFO!!と大声を出した瞬間から試合は中断、騒然となりました。
奇しくも1975年のあの事件のすぐ近くでした。
距離はどの位とは言えませんが、細部まで確認出来たのでかなりに至近距離と思われ、オレンジから赤、赤から青へとゆっくり回転しながら変色を繰り返していました。 「宇宙人、横浜に現る!!」 にびびさんから頂いたコメント 2011/3/24(木)
初めまして、最近御ブログにはまってしまった、小学6年の夏休みの宿題にUFOと宇宙人を題材にしたびびという者です。 昨年、親父の一周忌がすみましたが、親父の葬式の次の日にお袋に電話をしたら、お父さんから電話があったよ…とのこと親父が天国(怒らない、人あたりがいい人だったから多分)にいった朝6時25分に電話がなったそうです。
へぇ〜とただ聞いていましたが、それから初七日のとき、また電話が朝6時25分だったそうです。 83のばあさんはまだボケていませんし、電話は黒電話。 ほんとの話ですが…なんなんでしょうね。 以上、報告でした。 「ショウカイセキ」に やんさんから頂いたコメント 2011/3/31(木)
うお!! それ三年位前、朝方(4〜6時頃)場所は、沖縄県石垣島です。 一度そういう体験をしたことがあります。 地元でそういうお坊さんがいないので、このシャンシャンという音で目が覚めたとき、少し怖かったので、寝たふりをして気付けば朝でした。 ちなみに少し霊感があるもよう。何度か怖い体験をしています。 僕も詳しく知りたいです!! 「『火星人の後姿』写真の真相(オチ)!!」にlovers8695 さんから頂いたコメント2011/4/10(日)
? 横浜市某所に在ると言う[亡霊坂]の記事からはじまり、ついつい最後まで記事を読破してしまいました。 [亡霊坂]は何処なのかと気になった侭の心残りです。
自分も長い人生の中で何回か、「これは現世のものではないのでは」と言う経験をしてます。
その中で特に印象に残るひとつを。
その体験をしたのは既に25年程の四半世紀も前の事です。
場所は横浜市泉区内でした。
県道から脇に入ると閑静な住宅街が在り、更にその住宅街の中に市立の中学校が突如現れる。 その様な立地だったと記憶してます。 その中学校の脇に道が在りました。
中学校の塀に沿って緩やかな坂を下ると川に突き当たりました。 徒歩でなら間違いなく左にクランクをして抜ける事が出来た筈です。
しかし自動車でそこを抜ける事が出来るか否か不明だった為に、
私は川に向かう様にして自動車を止めました。 車内には運転をして来た私の他に助手席にひとり、
後部席にふたりと、計4人の者が乗ってました。 時間としましては午前の1時頃から2時の間だったと記憶してます。
車内では他愛のない話しをしてました。
その様な状況下でサイドミラーに、ふと、人の気配を感じました。
私はそのサイドミラーを凝視しました。
すると左右に5〜6列に並んだ制服姿の一団が隊をなして行進して来ました。
今よりも大集団の暴走族が全盛でしたので、私はとっさに「暴走族!」と思いました。
私の様子に気がついたのか!?
後部席の左に座る者が次に気がつき 「やばい!絡まれる」と小さな声を発しました。 その声で残りのふたりも進んで来る隊に気がつきました。
車内が無言になった時を同じくして隊の先頭は丁度、
車に差し掛かりました。 私は首を振らない侭に横目の様な感じで横を通る隊を見ました。
隊は前を見た侭に視線を逸らす事なく車の真横を通過して行きました。
縦には何列くらいの人が居たでしょうか!?
私には随分と列をなしてると見えました。 そしてそれは車内に居た全員が同じでした。 隊の大勢が何を持ってたかは全く見えませんでした。
他の部分はハッキリと見えただけに不思議でした。 ハッキリと見えたその隊は、
映画や書物で見る先の日本兵のものと思えました。 他の者も同じ思いでした。 |

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