|
続きです。マスターの語りは熱を帯び始めました。
「旨いもの食って、温泉に浸かって、酒を飲んで、仲間と私は上機嫌でした。本気でもう一泊してもいいなと思っ
てね。部屋で飲んでるうちにそろそろ夜も更けてきて、12時までは風呂に入れるのを思い出して、もう一回湯船に
浸かりに行ったんです。仲間は、もう眠いから先に寝ると言って布団に入りました。それから温泉に行って、2〜3
0分ほどで部屋に戻ると、仲間はもう鼾をかいてましたね。私は風呂上りにもう一杯だけ飲んで寝ようと、灯りを消
したまま窓際に置かれた椅子に座って、缶ビールを開けました。
―すると、廊下に足音が聞こえましてね。パタ・パタ・パタと、スリッパで歩く音が近づいて来たんです。同時に、
『ここかなぁ…ここかなぁ…』と、女の声がしましてね。てっきり、『こんな遅くに客が着いたのか。随分無理して山
を下ってきたんだな』と思いまして。たまにあるんですが、足の遅い女性なんかが、大幅にコースタイムから遅れ
て、歩いている内に夜になってしまうんです。それにしても、ちょっと遅すぎる気がしましたが…。どうやら女一人
の様なので、随分心細かったろうと同情もしました。
『ここかなぁ…ここかなぁ…』と言う声と、パタ・パタ言う足音はだんだん私らの部屋に近づいて来ました。自分の
部屋を探しているんだろう。隣の部屋でもあてがわれたのかな。と、そう思いました。すると足音がピタと止まって
『ここだ』と、声がしました。何となく、私らの部屋の前の様な気がしました。間違えて入ってきたら、お疲れ様、一
杯飲みますかとでも言うつもりでしたが、そうはならなかったので、いや、やっぱり隣の部屋なんだろうと思いまし
たね。隣の客はともかく、窓の外からは渓流のせせらぎが聞こえます。川でも見ながら飲もうと、私はカーテンを
開けたんです。そしたら…」
ごくり。
「窓の外に、女が立って…いや、立ってたわけじゃないです。2階ですからね。浮いてたんです。窓の外に」
お、女ッ!!出た!!
「ええ、出ました。はっきりと見ました。若い女に見えました。こう、つばのついた帽子を被って…服装からすると、
登山者ですね。赤っぽいチェックの厚手のシャツに、ニッカボッカを履いて…。私はぎゃああと叫んでしまいまし
てね。腰を抜かしながら布団の方に転げたんです。仲間も起きて、何だ!?と言うので、震えながら窓を指差すと、
仲間も女に気付いて悲鳴をあげました。情けない話ですが、私たちはうわうわと言いながら部屋を飛び出して、
廊下をバタバタ走って、食堂のある1階に逃げました。玄関に置かれたソファーに座ったんですが、言葉が詰
まって何も出てきません。すると、仲間が言ったんです。『喉が渇いた』と…。え?こんな時にと思いながら仲間
を見ると、背中に、あの女が、おぶさっているんです!!だらーんと両手を仲間の胸に垂れ下げて…垂れ下がった
手は真っ白で、蝋細工みたいで…とても生きている者の手にはみえませんでした。帽子を被っているのと、俯い
ているので顔は見えませんが、さっき窓の外に居た女に間違いありません」
うわわ…
「私は腰が抜けたようになってしまい、動けません。それでも、『お、お前、う、うしろ、うしろ…』と言っても、仲間は
うわの空で、『喉が渇いた…喉が渇いた…』とつぶやくだけです。私は怖いやら、仲間が心配やらで、頭が混乱し
てどうしていたのか良く憶えてませんが、気付くと水の入ったヤカンを仲間に渡しており、彼はそれをゴクゴクとラ
ッパ飲みしていました。女の姿は消えていました。仲間は殆ど一息でヤカンの水を飲み乾すと、そのままぐたりと
気を失ってしまいました。女が消えたので少し冷静になった私は、こんな時間に宿の老夫婦を起こす訳にもいか
んし、とりあえず仲間を背負って、部屋に戻りました。もう、いつあの女が出るか気が気じゃなくて、足が震えまし
たよ。仲間を布団に寝かせ、私も布団を被って寝よう寝ようとするんですが、怖くて寝れない。もちろん電気は点
けたままです。どのくらい時間が経ったのか…パタ・パタ・パタとまたあのスリッパの足音がしました。それも、明
らかに部屋の中で!!足音は私達の布団の周りをパタパタパタと、ぐるぐる回っていました。もう、生きた心地はしま
せんでしたよ!!布団を被ったまま、ガタガタと震えていました。早く、どこかへ行ってくれと念じながら、震えてまし
た。―それでもいつしかウトウトし始めたんでしょう。目が醒めたら、朝になっていました…。これも不思議な事
に、電気は消えてました。あの女が消したんでしょうが…。ホントに、朝が来たのがあんなに嬉しかったのは初め
てでしたよ」
ほー…こ、怖かったです…。マスター、今の話、ブログに…
「―いや、まだ続きがありまして…。ほっとして、仲間を起こそうとしたんですが…顔を見て驚きました。頬はげっ
そりして、目が落ち窪んで、唇はかさかさ、顔色は灰色っぽく…まるでミイラの様なんです。呼吸はありますが、
それもゆっくりしていて、もう今にも死にそうな感じで…。大声をかけても、昏睡状態と言うのか、全く反応しない
んです。慌てて、宿のばあさんに救急車を呼んで貰ったのですが、山奥なので1時間もかかると言う。仲間の様
子を見たじいさんは『こりゃ、死人に憑かれとる。お客さん、心当たりがあるじゃろう』と言うので、昨夜の出来事を
話すと、すぐに仏間へ運べと言う。言われるままに仲間を背負って、受付の奥にある仏間に運んで寝かせまし
た。いや驚いたのが、仲間の体が軽い事!!夜に部屋に負ぶって行った時と全然違うんですよ。たった何時間かで
こんなになるものかと思いましたね。じいさんとばあさんはそれから仏壇に向かって一心不乱にお経を唱え始め
ました。昔の年寄りって凄いと思いますね。そのへんの坊さんよりずっと立派なお経を滔々と唱えるんです。
そのお陰か、しばらくすると仲間が『うーん』と呻いて、意識を戻しまして。水を求めるので、飲ましたりしている内
に救急車が来てくれまして、病院に運び込む事ができました。
え?仲間の病状ですか?医者が言うには、重い脱水症状だと。もう少し来るのが遅かったら危なかったそうで
す。しかし、そんな訳はないですよ。何時間か前に、ヤカン一杯の水を飲んでるんだから。でも、脱水症状である
のは間違いないって。事情を聞かれたので、正直に昨日からこっちの事を話したら、医者も妙に納得しまして、
『まあ、山では色々不思議な事が起こるから…』なんて言ってましたよ」
その女、何物だったんでしょうか?
「さあ、たぶん山で遭難した人の霊か何かを連れてきてしまったんだと思いますよ。盆の時期でしたしね」
おじいさんたちのお経で成仏して離れたんでしょうね…。
「いや、そうでもなくて…。確かに仲間はすぐに回復して、今でもぴんぴんしてますけど、どうやら私の方に憑い
て来たらしくて」
え?え?マスターに???
「うーん、私に、と言うより、私の周りにと言うか…」
その時、トイレ帰りと見える常連らしき酔客が話に割り込んできました。
「マスター、ここに座ってた女の人、帰っちゃったの?何か、場違いなカッコだったよねぇ、あの人」
場違い?女?そんな人いましたっけ?そう言う私にその男は怪訝そうな顔をしました。
「いたよ〜、あなたの隣に座ってたじゃない。帽子被って、山登りみたいな赤い服着てさ〜。靴も登山靴で…」
千鳥足で自分のテーブルに戻る男の背中を見ながら、私の背筋に冷たいものが走りました。
「―と、言う事です。この店に居憑いているんです。私も時々、姿を見ますが…。ところで、喉、渇きませんか?」
私は、口の中がカラカラで、喉が焼ける様になっている事に気付きました。
マ、マスター、生をもう一杯下さい!!
「はい。少々お待ちを」
マスターは、心なしか、少しニヤリとして言いました…。
「大丈夫、お客さんに憑いて行く事はありませんから。そんな事になったら、ウチもビールの売り上げが激減しち
ゃいますからね。ずっと居て欲しいくらいですよ」
|

- >
- エンターテインメント
- >
- 超常現象
- >
- UFO








